時空戦記オーヴァドライブ

太陽ひかる

第一話 直虎と琉歌とシザーリオ(1)

 二〇一四年三月下旬、いよいよ春めいてきたその日の夜明け、曙光の一閃が夜の闇を払い、東京の街を赤く照らし出した。多摩にある真行寺の御屋敷もまた、朝の光りを浴びて闇のなかから徐々にその姿を現しつつあった。

 真行寺邸は古い家だ。母屋は入母屋の屋根をした日本家屋で、屋根瓦も破風を飾る鬼瓦も年季が入って黒ずんでいる。平屋だが広い土地に建っており、部屋数は多く、弓なりをした渡り廊下の先には離れがある。庭には牡丹や躑躅つつじを始め種々の草木が植えられ、まだどれも花をつけていないが、朝露に濡れながら春を迎えて息づき始めていた。また蔵があり池があり水路が造られ築山がある。それらが高い塀に囲まれて、早朝のその時間、しんと静まり返っているのだった。

 やがて空が明るんで鳥のさえずりがうるさいくらいになると、屋敷から一人の若者が庭に出てきた。名を真行寺直虎しんぎょうじ・なおとらと云う。

 直虎は朝空を見上げて目を細めると、まずストレッチをし、それから旋風寺流古武術の型を演じ始めた。そのころには気持ちの良い風が吹き始めていた。

 さて、直虎は高校入学を間近に控えた十五歳の日本人だ。身長一六一センチ、黒髪を潔く丸坊主にしており、明るい茶色の瞳は、光りの加減によっては紅玉のように見える。そして非常に整った美しい顔立ちをしていた。それが動きやすい黒のタンクトップにスパッツという格好で、毎朝の日課としている武術の型を演じているのだ。突き、蹴り、立ち回り、そのすべてが流麗で力強い。

 ――今日は調子がいい。

 直虎は空と風の清々しさに心を洗われながら、いつになく精神が研ぎ澄まされていくのを感じていた。

 そこへ忍び寄る小柄な人影がある。その人影は最初自然体で歩いていたが、一際強い風が吹いた瞬間に大地を蹴り、直虎に襲い掛かった。庭木の枝が風に揺れるさざめきのなか、それに素早く反応した直虎は返り討ちの蹴りを放つ。それを端緒に猛烈な体術の応酬があり、ついに直虎会心の正拳が相手の腹に突き刺さった。

「うっ!」

 相手はそんな呻き声をあげて尻餅をついたが、痛そうな顔一つせず、無垢な目をしてじっと直虎を見上げてきた。追撃をかけようとしていた直虎は、しかしその目を見て思い留まると、握り拳をほどいて相手に手を差し伸べた。

「ここまでだ」

「もうよろしいのですか、直虎様」

 鈴を転がすような少女の声に、直虎は一つ頷いて云う。

「ああ、十分だよ。今日もありがとう、琉歌」

 すると琉歌は差し伸べられた直虎の手を借りて立ち上がった。

 この少女は名前を宝塚琉歌たからづか・るかと云う。直虎の幼馴染で、雪のように真っ白い髪を切下きりさげにした、明眸皓歯の美少女だ。直虎と同じく高校入学を控えた十五歳で、背丈は一五五センチもなく、乳房の方もつつましい。それが直虎と同じく黒のタンクトップにスパッツと云う姿である。

 琉歌は一歩後ろに下がると、直虎に目を向けて無表情のまま淡々と云う。

「毎朝このように組手相手を務めさせていただいておりますが、私のような若輩者で、果たして直虎様の修練になりますでしょうか?」

「それはもちろん。道場の仲間たちと朝から稽古することはできないし、一人で型を演じているのと、二人で組手稽古をするのとではやっぱり違う。俺はありがたいと思っているよ。でもおまえは、毎朝こうやって叩きのめされるのが嫌になったか?」

「いいえ。私は痛みもなにも感じませんから。ただ私ではお役に立てないのではないかと考えただけです。そもそも私の格闘技は直虎様に教わったもの……直虎様が学んでいる旋風寺流古武術を又聞きで学んでいるに過ぎません。弟子が師に勝てる道理はないのです」

「そんなことはないさ」

 そう云った直虎に、琉歌が今日の天気でも訊くような口調で尋ねてきた。

「もし直虎様が一つ上の鍛錬をお求めでしたら、魔法を解禁いたしますか?」

「魔法か……」

 そう、この世界には魔法がある。炎を燃やしたり嵐を呼んだり、人の傷を癒したりといった、科学とは別の力で数々の奇跡を実現する魔法使いが存在する。

 だがそんな魔法使いたちが歴史の表舞台に出てきたのは、長い人類史から見るとつい最近のことだ。というのも、魔法使いは非常に数が少なく、異端視と迫害を恐れて自分たちの存在をひた隠しにしてきたからだ。

 どのくらい少ないかと云うと、この世におよそ千人である。これはいつの時代も変わらない。なぜなら魔法使いになる条件は、普通の人間には見ることも触ることもできない『魔法』を、精神に所有することだからだ。

 ――魔法を精神に所有するだって?

 つまりこの世界における魔法とは、物質ではないが一種のアイテムであり、それを親から子へ、師から弟子へと譲り渡していくものなのだ。魔法を譲った親や師は、その瞬間から魔法使いでなくなってしまう。そして魔法を受け継いだ若者は先代に師事して受け継いだ魔法の扱い方を学ぶ。それがこの世界の魔法使いであった。

 さて、こういう仕組みだから魔法を得れば誰でも魔法使いになれるわけだが、最低限の才能というのは要求される。つまり魔法を見て触れることのできる『魔覚』とも云うべき先天的な才能だ。多くの場合、魔法使いの子供は親からその才能を引き継いでいるため、魔法使いは自分の子供に魔法を譲る。それが繰り返されれば、魔法使いの家系ができる。

 直虎と琉歌は、まさにその魔法使いの家系に生まれた末裔たちであった。

「世界統一政府の発足後、白い魔女の号令に応じ、魔法使いたちが世に名乗りをあげてもう半世紀……だが俺とおまえの家系は、世間には魔法使いであることを未だ隠している」

「別に珍しくはありません。迫害を恐れ、世に隠れ潜むのが本来の魔法使いなのです。私たちの家系はたまたま同じ地域に門を構えていたので、交流がありましたが」

「ああ、真行寺家うちは幻術、宝塚家そっちは雷術を受け継ぐ家系……そしておまえをうちで引き取って、もう五年以上になるのか」

 直虎はそのまま過去の思い出に絡め取られかけたが、話がすっかり横道に逸れてしまっていることに気づいてかぶりを振った。

「話を戻そう。とにかく魔法を扱った訓練はしない。雷の魔法を想定した戦いは俺にとって意味がないし、幻術の修行は別にやっている。おまえとやるのはあくまで格闘だけだ」

「左様でございますか」

「左様だよ」

 直虎はそう云って頷くと、母屋の方に顔を振り向けた。そこに金髪に緑の目をした男装の麗人が立っている。

 今まで黙ってこちらを観察していた彼女に、直虎はやっと声をかけた。

「混ざってくれていいんだぞ、シザーリオ」

「僕は乱暴なことは嫌いなんだ」

 シザーリオは涼しげな声でそう答えると、長い脚で一歩を踏み出し、直虎と琉歌とで正三角形を描く位置に立った。

「今日初めて見せてもらったけど、君たちは毎朝こんなことをしてるの?」

「ああ、俺の日課だ」

「武術だかなんだか知らないけど、女の子を殴るなんて褒められたものじゃないよ。僕はあまり感心しないな」

 そう声を尖らせるシザーリオはイタリアからやってきた留学生で、日本には昨夕着いたばかりである。ホームステイ先は直虎の家だ。女が来ると聞いていたのだが、会ってみると金髪を涼しげに短くし、緑柱石エメラルドの瞳を持つ男装の麗人であった。直虎と同じ十五歳なのに背は一七〇センチ以上もあり、手足はすらりと長い。それが服の下から大きな乳房が自己主張しているにもかかわらず、ドレスシャツにスラックスという男の恰好をしていた。ぴかぴかの革靴もやはり男物である。

「大丈夫かい、琉歌?」

 シザーリオは直虎の横をすり抜けて琉歌の前に立つと、優雅に小腰を屈めて彼女の顔を覗き込んだ。

 そんなシザーリオに、琉歌は淡々と云う。

「平気です。私は痛みを感じませんので」

「でも実際のところ体は傷ついているわけだから、いたわらなくちゃいけないよ。よかったら僕の回復魔法で癒してあげようか?」

 シザーリオはそう云うと、右手で琉歌の頬にそっと触れた。

「なにか感じるかい?」

「いえ、なにも。回復魔法を使っているのですか?」

「いいや、まださ。ただ祈っているんだ。僕の君への気持ちが伝わりますように、ってね」

 だが琉歌は眉一つ動かさない。直虎は見ていられなくなって云った。

「無駄だよ。琉歌は触覚も温度を感じる機能も失っている。その真っ白の髪を見ればわかるだろう。普通じゃないって」

 するとシザーリオが不機嫌そうに直虎を睨んできた。

「僕が云ってるのはそういうことじゃない」

「わかってる。でも駄目なんだ。優しさだって感じないんだよ」

 残念ながら、琉歌はもう壊れているのだ。先ほど本人が云った通り、痛みもなにも感じないし、口調も平坦で表情もない。氷のようではなく廃墟のよう。それが宝塚琉歌だった。

「無駄だ」

 直虎が重ねて云うと、シザーリオは不満そうに鼻から息を抜き、琉歌に触れていた手を下ろして直虎に向き直った。

「ねえ、直虎。僕は昨日、イタリアから日本にやってきた。四月になれば留学生として君たちと同じ高校に通うことになっている」

「ああ」

「でも君はイタリアの魔法使いの家系に生まれた僕が、どうして日本にやってきたのかを知らない。そして僕も君たちのことをなにも知らない。当たり前だよね、昨日出会ったばかりなんだから。でも僕たちはこれから一緒に暮らしていくわけだし、お互いのことをもう少しよく知っておいた方がいいと思うんだ。友人としても、魔法使いとしても。それに……」

 シザーリオはそこで言葉を切ると琉歌に視線をあてた。

「僕はこういう少女がここにいるなんて話は聞いていなかった」

 シザーリオは人形のような琉歌をじっと見たあと、直虎に目を戻して云う。

「これから先の同居生活を考えると、お互い、身の上話をした方がいいと思うんだ。もちろんなにもかも全部ってわけにはいかないだろうけどさ」

「……そうだな」

 振り返ってみれば直虎自身、十歳のときに旋風寺道場の門を叩いたとき、これからともに修行していく門下生たちとのあいだで自己紹介を兼ねた打ち明け話をやった。話すことはなんでもいいのだ。いくつまでサンタクロースを信じていたとか、初恋の人は誰だとか、そんなことで構わない。とにかく打ち明けることで、打ち解けるきっかけができた。

 ましてシザーリオはこれからの同居人である。魔法使い同士だから魔法のことを隠す必要もないし、仲良くなるためにも、無用なトラブルを避けるためにも、お互いの諸々を話しておいた方がよいであろう。

「わかった。琉歌、構わないな?」

「直虎様がそれでよいのでしたら、私に是非はありません」

 琉歌は冷たく響く声でそう云うと、一切の説明を直虎に任せたというように口を閉ざしてしまった。直虎は一つ頷くと、シザーリオに視線を返して云った。

「では、俺たちの方から話そう。まず俺は今から十六年前……一九九八年六月十日に、幻術を受け継ぐ真行寺家の長子として生まれた。父は直之、母は朱鷺恵ときえと云う」

 するとシザーリオが悲しそうに眉宇を曇らせた。

「でも、お父さん、いないよね」

「ああ、父は俺が生まれる前に亡くなった。そして母は俺を厳しく育てた……」

「それは僕も昨日、朱鷺恵さんに挨拶したときに思ったよ。この人、なんか怖いなって。まだ若いのに凄味があるよね」

 シザーリオはそう云ってから、慌てて辺りを見回した。だが屋敷の広い庭はしんと静まり返っていて、雀の声しか聞こえない。

 直虎は笑いを含んだ声で云った。

「母上は、この時間の俺の鍛錬は見ないさ。それはともかく、母がとても厳しかったせいか、俺が八つのときに亡くなった祖母は俺をいつも甘やかしてくれた。飴と鞭ってやつだな。幻術の手ほどきをしてくれるときですら、優しかったくらいだ」

 するとシザーリオは目をぱちくりさせた。

「直虎は、おばあさんから幻術を教わったの?」

「ああ。祖母は幻術の魔法を受け継ぐ真行寺家の人間だった。それが父に幻術を譲って隠居していたところ、父に先立たれたため、ふたたび幻術を所有したんだ。それを俺が六歳のときに受け継ぎ、俺は祖母から幻術の基礎を教わったというわけさ」

「なるほど。魔法を継承した時点で、理論上はその魔法でできるすべてを実行できるはずだけど、実際には先代に手ほどきしてもらわなくちゃいけないからね」

「車をもらったとしても、運転技術は一から習得しなくてはいけないのと同じだな」

 それに「うん」と相槌を打ったシザーリオは、そこで首を傾げた。

「でも六歳は少し早いね。魔法は子供のうちに受け継いだ方が精神によく馴染むって云うけど、普通は十歳くらいだ」

「それはそうだが、今にしておもえば祖母は自分の寿命を心配していたんだろう。実際、俺が八つのときに亡くなったわけだし……」

 祖母があの世へ行ってもう七年以上になる。今さら悲しくはなかったけれど、当時の直虎は大泣きしたものだった。それをどう思ったか、シザーリオがすまなそうに云う。

「ありがとう。つらいことを思い出させてごめんね」

「いや、もう昔のことだから……それより琉歌のことに移ろうか」

 直虎はにんがりと笑いながらそう云うと、人形然としている琉歌を見て話し始めた。

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