第37話

有里は目の前の光景に、目をこすった。


先ほどまで、彼女はアルフォンスの看病をしていた。

室内には二人きりだったはず。床に伏したアルフォンスと、それを看病していた有里。

彼女が彼の部屋に着いた時には、彼は既に深い眠りについていた。

やるだけの事はやった医師は侍女たちと撤収し、全てを任された有里だけが残った。

時折、苦しそうに目を開けるアルフォンスだがうつつを映してはおらず、彼女の問いかけすら届いていないようだった。

何とか薬を飲ませたり汗を拭いたりと彼を看ていたのだが、どのくらい時間が経った頃だろうか。突然、彼は寒さを訴えはじめた。

恐らく、毒を排除しようと彼の身体の中の細胞が戦っている事の証なのだろう。

上掛けを増やしたりしてみたが、その震えは止まることはなかった。

彼の身体は、非常に熱い。だからこそ、寒さを感じる。あの寒さは有里も何度か経験したことがあるので、その辛さがよくわかる。

彼女はほんの少しだけ考え、服を脱ぎ始めた。そして下着姿になると、アルフォンスの布団の中へと潜り込み彼を抱きしめた。

すると反射的なのだろうか。彼も有里に縋る様に抱きついてきた。

当然の事だが、彼の身体は熱く、その熱を分け与えられるかの様に彼女の身体も熱を帯びてくる。

すると徐々にアルフォンスの震えは治まり、やがて穏やかな寝息を立て始めた。その様子にほっと息を吐き有里も体の力を抜けば、うつらうつらとし始めそして、アルフォンスを胸に抱きしめながら有里も眠りへと落ちたのだった。



私・・・・アルの部屋で多分、寝ちゃったはずなんだけど・・・・ここ、どこよ?これって、夢?


意識が浮上するように目を開ければ、知らない部屋に有里は立っていた。

灯りのない、暗い部屋。窓からは柔らかくも眩しい月の光が差し込み、青白く室内を浮かび上がらせていた。

そして、聞こえてくるすすり泣くような声。視線を巡らせれば、寝台の上に小さな塊が見えた。

・・・・子供?―――有里は目を細め、一歩踏み出した。

ベッドの端で膝を抱え泣いている子供。その髪は月光を浴び銀色に輝いている。


―――アルフォンス?


それは直感。幼い彼を見たことなどない。なんせ、この世界には写真などないのだから。でも、有里にはわかった。

彼はアルフォンスなのだと。だから、もう一歩踏み出す。そして、声を掛けてみた。


「泣いているの?・・・どこか、痛いの?」


小さなその子は、はっとしたように顔を上げた。そして、有里は、やっぱり!と確信した。

淡い月光の元でもわかる、若葉色の美しい瞳。琥珀はまだ散りばめられていないが、とても美しい見慣れた瞳。


でも、とても小さい・・・何歳くらい?


有里は一歩一歩慎重に近づき、寝台の脇に立った。その動きを涙にぬれた大きな瞳が追いかける。

そして「あなたは、女神さま?」と、可愛らしい声で問いかけてきた。

ちょこんと小首を傾げるその仕草は、まるで少女の様で有里は心の中で悶絶する。


ぐっはー!かわゆい・・・抱きしめたい!!


心の中で涎を拭きながら、ん?と思う。先ほどは小さい・・と思っていたが「小さい」ではなく「細い」のだ。

「私の名前は、ユウリだよ」

「ユウゥ・・・リ?」

大人のアルフォンス達ですら上手く発音できなかった名前を、一生懸命言おうとするその姿は・・・・

「か・・・可愛いっ!もう、我慢できない!!」

そう叫び、有里は幼いアルフォンスに抱き着いて頬擦りしまくった。彼は驚いたように身体を震わせたが、逃げることもなく反対にその身体を摺り寄せ抱き着いてくる。

「ユウ・・リィは、女神さまなの?」

闇夜と同じ髪と目を持つ彼女を、女神と思うのは当然のこと。だが有里は「違うよ。女神さまの・・・知り合いかな?」そう返せば、あからさまにがっかりしたように俯いた。

「そっか・・・女神さまじゃないんだ・・・・」

「・・・・・貴方を、助けに来たかと思った?」

アルフォンスは小さく頷いた。

彼の小さい頃の話を、彼女はフォランドから聞いていた。今がそうだとすれば、彼は十才。


十才にしては・・・細いし、小さい・・・


有里は子育てを離れて久しいので、十才の子供の標準は忘れた。しかも異世界での基準もわからない。

でも・・・これは痩せ過ぎだ・・・と思う。将来の彼は背も高く健康体で育つとわかっていても、心配してしまう域にきている。

「ねぇ、君はアルフォンスだよね?十才?」

「なんで僕の事知ってるの?」

「ん~、女神さまに聞いた、からかな?」

「えっ!?女神さまから?」キラキラと子供特有の疑いのない真っ直ぐな眼差しで見つめられ、嘘を吐いたことに罪悪感は否めないが、彼の為に何かできれば・・・と、その思いが先に立つ。

例えこれが夢の中だったとしても。


そう、夢の中では何でもできるじゃない!おかしな世界が常識なんだから。

ならば先ずは、ヌルガリ伯爵が寄与したアルフォンスの敵を排除しなくては。と、拳を握りしめた。


有里は「上がってもいい?」と、一応アルフォンスに許可をもらい、寝台に上がり、アルフォンスを膝に抱き上げるように抱きしめた。

「やっぱり、軽いし、細い・・・」と眉根を寄せる。

「ねぇ、君のお話聞かせて?」そう言いながら、幼い彼の頬を濡らす涙を、優しく拭った。


小さなアルフォンスは、たどたどしくも、一生懸命言葉を紡いだ。

しかも、言葉を選びながら。その姿がいじらしくて、有里はたまらずその頭に頬擦りをしてしまう。

「じゃあ、その乳母を辞めさせよっか」

「・・・でも、僕は一人では何もできないから、ダメな人間だから・・・・」

そう言いながら、また、ぽろぽろと泣き始める。

有里は「あぁ・・・これは、支配・・・・」と、悔しさに唇を噛んだ。

幼いアルフォンスにこの二年間、言葉の暴力で雁字搦めにしてきた彼等、ヌルガリ伯爵を許せない気持ちで心の中はまるで嵐の様に荒れ狂う。

フォランドから話を聞いた時も酷いとは思った。だが、有里の存在しない過去の話だ。

でも、今は夢とはいえ、目の前で泣いている幼気な少年を放ってはおけない。

「大丈夫!一人で何でもできる様に、私が教えてあげる。アルフォンスはダメな子じゃないよ。だって、立派な皇帝になるんだもの」

「僕が?なんでユウゥリ、は知ってるの?」

「ふふふ・・・それは、秘密。私は女神さまの知り合いだよ?」

そう言えば、アルフォンスの瞳に輝きが戻り「ほんとう!?」としがみ付く様に身を乗り出してくる。

可愛いなぁ、と思いながら有里は頷き、そして「明日から早速、行動開始だよ!」と彼をキュッと抱きしめたのだった。

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