第7話

何が楽しいのだろうと、ニコニコしながら朝食をとる目の前の女性を、不思議なモノでも見るような表情を浮かべながら、ちぎったパンを口に運ぶ若き皇帝。

こうして二人で朝夕の食事を摂る事に、ようやく苦痛ではなく心地良さを感じる位にまで、互いの距離が縮まってきたのだと思う。

元々、無表情なアルフォンスを目の前に、初めは強張った表情だった有里。初日は互いにどう接していいのか分からず、緊張しまくりで食べ物の味すら分からない状態だった。

だが今の様に穏やかに食事ができるようになるまで、さほど時間がかかる事はなかった。それは全て有里の気遣いのおかげだと今は感謝しかない。


女神ユリアナが言っていたように、彼女の前では全てが平等であり、この世界とは価値観そのものが違っていた。

目覚めた彼女は黒い瞳を瞬かせたかと思うと、にっこりと笑い、「初めまして。ユリアナの依頼でこちらに来ました二階堂有里と申します。よろしくお願いします」と頭を下げた。

一瞬、そこに居たすべての人間が硬直したのを、いまだ鮮明に覚えている。

女神の使徒が何の衒いもなく頭を下げる。神の色を纏う、しかも女神直々に召喚した使徒がだ。

それは単に文化の違いなのだと後で知った事だが、何も知らない自分達には衝撃以外の何ものでもなかった。


女神ユリアナが黒い髪、黒い瞳を持ちながらも、この二大陸で暮らす人々には、黒を纏う人間は一人も存在していない。

つまりこの世界では黒は尊き色であり、神の色と言われているのだ。

だが彼女にしてみれば、それは何でもない事。彼女にとっての黒は身近なもので、珍しいものでは無いからだ。

その所為か、『女神の使徒』と言われる事にどちらかと言えば拒否感を示し、かしずかれる事に戸惑っていた。

「私は一般人だから偉くないのよ!」と常に言い、「様」付けで呼ばれる事を非常に嫌がった。

そして、ただの話好きのおばちゃんだからと、誰とでも気軽に話し笑いあう。

そんな彼女に、初めは周りの者も戸惑っていたが、今では近所の顔見知りの様に挨拶をかわすまでになっていた。


三カ国の国王もはじめは興味津々で近寄ってきたが、飾り気のない彼女を大層気に入って恐縮する彼女に無理矢理、愛称で呼ばせていた。

会ってすぐの人間に愛称で呼ばせるなど異例中の異例だが、何故かそこに居た者達は不思議な事に誰も疑問に思っていない。

宰相のフォランドは自分の事を「ベル」と呼ばせ喜んでいるのを筆頭に、かく言う自分も、「アル」と呼ばせている時点で、同じなのだが・・・


そして彼女の行動や服装も、この世界の常識の遙か斜め上を行っており、時折、絶句することもしばしばある。

彼女が着ていた『花嫁衣裳』もこちらでは見たことのないデザインで女性のみならず男性も興味深そうに見ていた。

白く光沢のある生地に金糸の刺繍の衣装は、艶やかな黒髪、薄く施された化粧、スッと引かれた赤い紅がとてつもなく映えて彼女の美しさを際立たせていた。

だが、彼女の世界の民族衣装は有里にとっては少し難しく、一人では着る事が出来ないのだと笑っていたのを少し残念に思った事を覚えている。

この部屋も・・・とある一か所を几帳で隔離し、『プライベートルーム』と言って、自分専用の空間を作っていた。

ジュータンの上でゴロゴロしながら本を読んでいたり、部屋に入るなり靴を脱ぎ棄て裸足になったりと、初めて見た時は一体何が起きているのかわからず、思わず凝視してしまう事数回。

そんな行動を運悪く侍女に見つかり、説教されることも少なくなかった。

それからだ。『プライベートルーム』なるものを作ったのは。

「何年も培ってきた自分の世界の文化や習性は、中々抜けないものなのよ。気を抜けば無意識に出てしまって・・・」と、フォランドとの話し合いの結果、有里がゆっくりできる空間をつくる事で妥協したらしい。

そうしなければ「使用人と同じ部屋をくれ!」と再び騒ぎ始めるから。とにかく彼女は仕事以外ではダラダラしたいのだと、何故か胸を張って言っていた。


だが、何より一番驚いたのは年齢だろう。

三カ国の王が彼女に年を聞いた時、一瞬考え「二十代?」となぜか疑問形で返してきた。

有里が生きていた世界では、彼女は五十二才で既婚者。子供が三人いたという。

そして不慮の事故で亡くなったのだが、運良くと言っていいのか女神ユリアナに拾われ、第二の人生としてこの世界で新たに生きていく事になったのだと。

「ここでの私の年は、はっきりとは聞いてなくて・・・二十代としか・・」

人差し指を口元に置き、小首をかしげ考えるその様はとても可愛らしく、中身が五十二才とわかっていても、心臓が跳ね上がる。

その場に居た者達もそれは同じで、三カ国の王達もほんのりと頬を染めていた。

これまでこのような人間が周りに居なかったという事もあり、彼女の言動や仕草等々、数時間一緒にいただけで周りの人間を惹き付けていく。

それは無作法なわけではなく、相手を敬う言動や気遣う態度は知らず知らず好感度を上げていく。まさに無自覚天然ほど、最強なものはない。

だが、向けられる裏表のない感情がとても新鮮で愛おしいと、皆が思っているのだ。

裏表の激しい貴族社会の中で、一服の清涼剤的存在と言っても過言ではない。


幼い頃、目の前に現れた女神は、やはり纏う空気が人とは違っていた。

だが今、目の前にいる彼女はまさに、普通の女性。神などではない。

自分の腕の中に舞い降り、今こうして笑顔を向けてくれる彼女。

出会ってから言葉にはできない感情が、胸のずっと奥底で渦巻いている。

初めて腕の中で見つめた彼女には、どこか郷愁にも似た思いが込み上げてきた。

この国で生まれこの国で育った自分に『郷愁』とは例えがおかしいと思う。が、やはり一番しっくりくるのが『郷愁』。

懐かしさはもちろんの事、切なさ、哀しさ、愛おしさ、苦しさ・・・

色んな感情が渦巻いてくるのだ。


それが意味するものが今はまだ全く見当もつかないものだが、これまで感じたことのない穏やかさに、自然と口元が綻ぶのだった。

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