第2話

どれくらい泣いていたのかはわからないが、取り敢えず落ち着きを取り戻した有里に、ユリアナは事情を話し始めた。

『実はね、あなたにお願いしたいことがあって』

「私に?」

首を傾げる有里に、ユリアナは優しくほほ笑んだ。


彼女、女神ユリアナはとある世界、つまりは有里が住んでいた世界とは別の世界の神様なのだという。

その世界には大きな大陸が二つあり、それぞれの帝国が治めていた。

一つがユリアナ帝国。一つがフィルス帝国という。

ユリアナ帝国は言わずもがな、女神ユリアナが統治し、フィルス帝国は彼女の息子フィーリウスが統治していた。

今は彼らの手を離れ、人が統治しているのだが、稀に神様が干渉することもあるのだという。

『大っぴらに干渉はできないから、限定的に、ね』

と、悪戯っぽく笑った。その笑顔は、神様というより、本当に人間臭いものだった。


『今回は、ある人との約束を果たす予定だったの。なのに、うちの愚息が関わってきてね・・・』

「えっと、フィルス帝国の神様?」

『あぁ、彼は神様として祀られてはいないの。帝国の始祖としては祀られてるけど。二大陸とも神としては私ね。でも、やっぱりフィルス帝国は愚息に祈るわね。基本』

「そうなんですか・・・」

わかるようでわからない。所謂、神様同士の派閥?と有里は理解することにした。

『でね、さっき闇の中にいたでしょ?あれも愚息の所為なのよ』

ユリアナが有里を、自分の使徒として魂を己の空間に招こうとしたその時に、フィーリウスが邪魔してきたのだという。

『あの子ってば、いつも私がやろうとしてる事に茶々を入れてくるのよ』

ユリアナ帝国で必要な人間がフィルス帝国で必要なのかはわからないもので、彼の行ないはあまり帝国の為にはなっていないのだという。

何度か話合ったものの、根本的に考え方が違い、平行線を辿っているらしい。


『私が決断を下す事のないよう、責任を果たしてもらわねばいけないのだけれどね』

少し考え込む様に漏らしたその声色と表情は、ぞっとするほど美しく冷たいもので、あぁ、やっぱり神様なのだ・・・と、有里はこくりと喉を鳴らしたのだった。



『それじゃあ、本題にはいるわね』

先ほどまでの神々しくも冷酷な雰囲気は一瞬で霧散し、優しい笑みを浮かべながらユリアナは有里に手を伸ばした。

手を取れという事なのか・・・恐々と手を重ねると、ギュッと握られ引き寄せられた。

そして世界が一変する。


「うわっ!」


一瞬にして目の前に青空が広がり、眼下には美しい街並みが広がっていた。


「えっ?えっ?」

一体何が起きたのかわからず、思わずユリアナにしがみついた。

『ふふふ・・どう?ここがユリアナ帝国の宗主国、ツェザリ国よ』

ユリアナは誇らしげにほほ笑んだ。


色取り取りの屋根は、程よく色あせ落ち着きを醸し出し、まるで童話に出てくるようなメルヘンチックな建物は陽の光を浴び、街そのものに明るさを生み出している。

緑濃く生い茂る森や山脈やまなみ。広がる田園風景。長く大地を這うように流れる川。

全てが美しかった。

そして、ひと際目を惹く大きな建物に、有里の目は釘付けになる。

『あれは、この帝国のお城よ』

その言葉と同時に、一瞬でお城の真上に移動した。

白を基調とした壁。何より目を惹くのが、屋根の色だった。

それは真夏の空の色の様な、紺碧の青。


「・・・綺麗・・・・・」


思わず吐息と共に漏れた言葉に、ユリアナは満足そうにほほ笑んだ。

『でしょ?この国の自慢の一つでもあるのよ』

少し上昇し、城全体を見下ろすせば、城壁の内側には広い空間が城をぐるりと囲んでいた。

そこは花が咲き誇る庭であったり、小さな畑であったり。

または、兵士達が訓練をする広場であったり、馬小屋であったりと。

有里には初めて見る風景に、感嘆の溜息を洩らすこと以外できない。


一通り風景を堪能すると、ユリアナが本来の要件を話し始めた。

『でね、私のお願いっていうのが、ある子のお世話をお願いしたかったの』

「お世話?」

『そう。その子ね、小さい頃母親を亡くしていて、不憫なのよね』

「あ、いや、私も母親だけど、これといって子供好きって訳では・・・」

『あぁ、別にお乳あげてとか、添い寝してとかでなく、普通に傍にいてあげて欲しいの』

「普通に?」

『そう。あなたが家族と過ごしたように、一緒にご飯食べて、今日あった出来事とか話したり、一緒に買い物とか散歩に行ったり。そんな感じでいいのよ』

「はぁ・・・・」

『そんな何気ない日常を、あの子にあげたいのよ』

ユリアナの表情は慈愛に満ちていて、本当にその子が大切なのだと言葉よりも雄弁に語っている。


一度は死んでしまった私を、こうして拾ってくれた神様。

家族のいる世界へ戻ることができないのであれば、彼女の為に働くのもいいかもしれない。

正直、元の世界に未練はあるが、それは引きずっていてもしょうがない事なのだろう・・・


「・・・・うん。わかった」

『本当!?』

ユリアナは嬉しそうに手を握ってきた。

「神様の望むように上手くいくかは自信ないけど・・・」

『いや~ん!ユリアナって呼んで!』

ニコニコ顔でずいっと顔を寄せてくる女神に「あ、はい・・」と有里は気圧されたように一歩後ずさる。

『大丈夫!普段通りのあなたでいいんだから』

その言葉に、有里は肩から力がスッと抜けていくのを感じた。


「・・・・うん。ありがとう」


なんとなくお礼が言いたくなって、素直に言葉にすると、ユリアナはびっくりしたように目を丸くし、そして優しく微笑んだ。

『お礼を言いたいのは、私の方よ。我侭聞いてくれて、ありがとう』

そして、ぱんっと手を叩いた。

『お願いを聞いてくれたお礼に、色々、サービスしちゃうわよ。何か要望はない?』

「サービス?」

『そう。だって私、神様だもん!何か欲しいものとか、して欲しい事とか』


して欲しい事・・・願い・・・

正直、願いなんてただ一つ・・・・


それを口に出していいものか、躊躇っていると、ユリアナが察したようにその思いを代弁した。

『ご家族の事は、大丈夫よ』

有里は驚いたように目を見張り、そして「ありがとう」と小さく返した。


『で、あなた自身の要望は?』

ユリアナは湿っぽくなりそうな雰囲気を一掃するよう、悪戯っぽく笑った。

それがとても今はありがたくて、それに乗っかるように明るくお願い事を口にした。

「えっと、私凄い近眼だから、視力回復して欲しい!」

両手をぐっと握って、勢いよくお願いすれば、『え?もうそれ、しちゃってるよ?』と、軽く言われる。

「え?」と、とっさに手で目を触ると、眼鏡がない。けど、よく見える。

「わぁ~~~!見える~~~!」

きゃっきゃっ騒いでいると『ほら~、見てみて』といつ出したのか、手鏡を渡された。

「うぉぉ!!」

有里の口から、なんとも言えない悲鳴のような雄叫びが漏れた。

「わ・・・若い!!」

鏡に映ったその顔は、当然五十二才ではなく、遙かに若いぴちぴちの肌をしていた。

『あなたのモテ期に合わせて、二十代にしてみました~』


二十代・・・あぁ・・肌にハリがある!豊齢線もない!あぁ・・・


「若いって素晴らしい~~~!!」


有里は思わず絶叫してしまったのだった。

そして神様と二人、あれが必要だのこうして欲しいだのと盛り上がり、有里はとても大事な事を確認していなかった事に気づきもしない・・・・


そう、これから始まる子守の相手の事を、何一つ確認していないという事を・・・・


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