第49話 いつでも変わらないあなた

「お待たせしました雪乃さん」


櫻子さんの家を出て、玄関前に一人佇む雪乃さんに声を掛けると、雪乃さんは少し驚いたような顔をする。


「早かったですね。私が部屋を出てまだ十分も過ぎてませんよ?」


「……いえ、もう終わりましたので」


「そうですか。確かに薫さんはやや早漏気味ですが、それにしたって早すぎやしませんか? 女の子は行為そのものよりも余韻に喜びを感じるものなんですよ?」


「いや、ちょっと! 何の話ですか!」


櫻子さんと大切な話を終えて出てきたというのに、雪乃さんのいきなり下ネタの出迎えに面食らう。いつも通りの雪乃さんではあるけれど……。


「何の話って、そりゃセックスの話以外に何があるのです。窮地を救った王子様と自由になった姫。この二人が後にするのはもうめちゃくちゃ甘ったるい、いちゃいちゃラブラブセックスの他にないじゃありませんか。せっかく気を遣って二人きりにして差し上げたのに」


雪乃さんは軽く怒っているというか、何か信じられないものを見ているかのように、視線を僕に向けていた。


「しませんよ。僕は櫻子さんとはしてませんし、するつもりもありません。……分かるでしょ?」


「わ、分かりませんよ。……って、か、薫さん!?」


僕は雪乃さんの腕をとって自分の腕を絡ませる。


「薫さん当たってますっ!偽乳が当たってますっ!」


「……もし仮に私と櫻子さんがそういうことをしていたとして、雪乃さんはずっとここで待ち続けるつもりだったのですか? 何時間も。下手をすれば朝までここで」


「も、もちろんなのです。私は薫さんの相棒ですから、警察には一緒にいかなくてはなりませんので」


相棒……ね。その表現は実に雪乃さんらしい。


僕は指を絡ませるように手を握ると、雪乃さんは顔を赤くして向こうを向いてしまう。


「ねぇ、こっちを見て。雪乃さん」


恥ずかしがる視線をこちらに呼び戻すと、僕は雪乃さんの瞳をじっと見つめる。


「か、薫さんなんかエロいです。なんですかどうしたんですか?」


「そうですね。確かに少しだけ変な感じです。散々怖い目にあったからかもしれません。……ほら、まだこんなに鼓動が早くて。どうですか?」


「ちょ、ちょっと薫さん……っ!」


雪乃さんの手を僕の胸に押し当てて、鼓動の早さを感じてもらう。


「……近頃の偽乳はこんなにも柔らかいのですね。ですが、その奥から確かに感じます。薫さん、すごくドキドキしています」


そう言うと雪乃さんは身体を寄せて僕を抱き締めた。密着する身体を通じて雪乃さんの鼓動も僕に届く。


「分かりますか? 私もこれでも結構心臓バクバクで。……お互い大変な一日でしたね」


「ええ、本当に。雪乃さんがいなかったら、本当に大変なことになっていました。感謝してもしきれません」


「いいえ、それはこちらの台詞です。そもそもは私のお嬢様の出来心が事態を悪化させた訳ですから、火消しをするのは当然です。それに、そのおかげか、私達は結構良い相棒コンビになれたじゃありませんか。まさに怪我の功名という奴です。万事全てが上手くいった訳ではありませんが、得るものは確かにありました」


心なしか、僕を抱き締める雪乃さんの腕に力が入ったように感じた。力強くも優しい抱擁の中で僕は、愛おしい雪乃さんを見つめる。


「確かに良い相棒コンビですが、私はちょっと不満かもしれません」


「そ、そうなのですか……?」


僕の言葉に反応する雪乃さんはとても不安そうで、それでいて悲しそうな顔をする。


今まで見たことない弱気な表情の雪乃さんがとても可愛く思えて、胸がきゅっと締め付けられる。


「……私は、修羅場を潜り抜けた戦友としての相棒コンビではなくて、雪乃さんにとって一番の相棒パートナーになりたいと、そう願っているのです」


雪乃さんの目を見てはっきりと僕は伝えた。


僕は雪乃さんが好きだ。


確かにこれまで本当に色々なことがあった。


櫻子さんを始め、文香ちゃんや、それに沙織さん。


僕が出来心で女装をしたことをきっかけに、沢山のことが起こり、多くのものが崩れた。


僕自身も大きな声で言えないような過ちを何度も繰り返した。


だから胸を張って誰かを好きだと言う資格はないのかもしれない。移り気な僕は誰かを好きになってはいけないのかもしれない。


だけど、ここまで多くの時を過ごし、共に行動してきた雪乃さんに感じているこの気持ちは本物だ。


雪乃さんを愛しているし、裏切りたくない。雪乃さんと共にこれからもっと多くを共に過ごしていきたかった。


「……薫さん、目を閉じて」


それは一言、雪乃さんにそう言われ目を閉じた。それから感じる唇の柔らかさ。


微かな水分が僕の口を濡らす。目を開き眼前にいるのが正真正銘僕の想い人だと分かると、嬉しさのあまり目頭が熱くなる。


「……目を開けてしまいましたね薫さん」


離れた唇から紡がれた言葉は、悪戯っぽく響いた。


「……前科がありますからね」


「そういえばそうでした。ですが、今は嘘じゃありません。これが私の気持ちであり、薫さんの言葉への返事です」


「んっ……ん……」


再び唇を塞がれ、僕は身も心も雪乃さんに預けた。強い抱擁と熱い口づけで何もかもが溶けてなくなってしまいそうだ。


「ん、んんちゅっ、……薫さん。私はあなたが好きです。誰よりも大好きです。一生を懸けてあなたを幸せにします」


「嬉しいです雪乃さん。ですが、私はもう十分過ぎるくらい幸せです。だって、こうして雪乃さんが私を愛してくださるのだから」


「……っ‼︎ 今ようやく、男性が好きな女性をむちゃくちゃに犯したくなる気持ちが理解出来た気がします。私は今薫さんが欲しくて堪りません。……んちゅう、んん、ちゅぅぅむ、んん」


蕩けた顔で熱っぽく囁く沙織さん。


そうして三度目のキスはとても情熱的であり官能的だった。雪乃さんの舌が僕の口の中に入って、それは強く求めるようにお互いの舌を絡ませる。


「はい、そこまで。あとは家に帰ってからお願いします」


それは僕でもなく雪乃さんでもなく、第三者の声だった。


僕たちは瞬時に我に帰り、声のした方向に顔を向けると、そこにいたのは櫻子さんだった。


櫻子さんはどれくらい前からいたのかは分からないが、顔を真っ赤にしているところを見るに、間違いなく僕たちの痴態を見ていたのだろう。


「……普通人の家の前でイチャつく? しかもよりによってあたしの家の前で」


「あ、いえ……その、すみません」


僕は即座に謝るが、櫻子さんは特に怒っている様子ではない。しかし怒ってはいなくとも、若干気まずいのは確かだ。


「いいの、別に。二人は命の恩人だしね。それじゃああたしは寝るから。おやすみ」


そうして櫻子さんは家の玄関に向かって歩き出す。そのまま扉を開けて中に入ろうとするが、その直前で振り返った。


「ええと、確か雪乃さんでしたよね?」


そして声を掛けたのは僕にではなく、雪乃さんにだった。


「はい、私が雪乃です」


櫻子さんは雪乃さんを見つめると、少し黙り込み、それから意を決したように口を開く。


「……雪乃さん。薫をよろしくお願いします。一度薫を苦しめたあたしが言うのもおかしいですが、薫を傷つけたら許しませんので」


「いえ、おかしくなんかありません。薫さんはあなたにとっても大切な人ですから。お約束します」


「ありがとう。雪乃さん」


そうして二人は微笑み合うと、櫻子さんは家の中に入っていった。


「……薫さんを振ったと聞いた時はどうしてやろうかと思いましたが、中々どうして。良い女じゃありませんか」


誰に言うでもなく、ただポツリとそう呟く雪乃さん。


「ええ、本当に。……最高の幼馴染です」


櫻子さんの家の明かりが消えるのを見届けると、僕達は手を繋いでその場を後にした。

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