第44話 死ぬるは諸共に

——バタンッ!


それは沙織さんが針を持ち直し、施術を再開しようとした瞬間だった。


いきなり大きな音がしたと思えば、僕と沙織さんがいる部屋の扉が大きく開かれた。


「薫さん! 無事ですかっ!」


開いた扉から中に入ってきたのはシンプルなデザインのメイド服に身を包んだ女性、雪乃さんだった。


「薫さん……そんな、なんてことを……」


部屋に入ってきた雪乃さんは、中の様子を確認し、たった今僕がされていることを理解すると、憤怒の表情で沙織さんを睨みつけた。


「お嬢……やってくれますね。よくも薫さんを傷物に……」


突如乱入した訪問者に驚き硬直していた沙織さんだったが、すぐさまいつもの余裕の表情を浮かべると、立ち上がり雪乃さんの前に立ち塞がった。


「やぁ、雪乃。久しぶりだね。どうだい新しいご主人様はげ——


「私の女に手を出すなっ‼︎」


鈍い音が部屋に鳴り響く。それは人が殴られる音。


雪乃さんは沙織さんが話きる前に、その頬に拳を叩き込んでいた。強烈な一撃を受けた沙織さんは、勢いよく床に叩きつけられる。


「薫さん! 今外します、じっとしてて」


雪乃さんはソファの僕に駆け寄ると、纏まったギブソンタックの髪の中からヘアピンを取り出して、鍵穴をガチャガチャ弄ったと思えばあっという間に僕の拘束を解いてみせた。


「助かりました雪乃さん。ありがとうございます」


「いえ、私が遅くなったばっかりにこんなことに……」


僕はただ雪乃さんが助けに来てくれたことがとにかく嬉しくて感謝を述べるが、雪乃さんは大きく首を振る。


「言われた通り学校の外で会話を聞いていて、薫さんが連れ出されたところまでは状況を把握していたのですが、チンピラに邪魔をされて見失ってしまったのです」


「それはっ! 雪乃さんは大丈夫だったのですか? お怪我は?」


「私は大丈夫です。これでもまぁまぁ強いので。しかし連れていかれた場所を特定するのに時間が掛かってしまって……。そのせいでこんな……」


雪乃さんは申し訳なさそうに瞳に涙を溜めて、傷ついた僕の患部に手を当て何度も優しく撫でた。


「雪乃さんのせいではありません。全てはあの人の企みのせいですから」


恐らく雪乃さんを狙ったチンピラも沙織さんの差し金だろう。邪魔をする者は全て排除しようとする。その計画の徹底ぶりは執念そのものだ。


「くそっ……ふざけるな、邪魔をするな淫売め! お前らまとめて殺してやるぅっ‼︎」


恨み言を呟きながら、フラフラと立ち上がる沙織さん。


その顔は雪乃さんに殴られて鼻から多くの血を流し、かつての凛とした美しい顔は何処にもなく、血と怒りに醜く歪んでいた。


「殺してやりたいのはこっちの方ですよお嬢。あなたは本当に、度し難いほどに馬鹿な女なのです。薫さんが欲しければ正々堂々挑めばいいのに。そんな勇気もないくせに裏でこそこそとせこい真似をしているから、こんな末路を迎えるのです」


「黙れ黙れ黙れぇっ‼︎ 雪乃ぉぉ、お前だけでも殺すっ!」


追い込まれ、鬼気迫る表情の沙織さんは、床に落ちていたスタンガンを拾い上げると、雪乃さんに向けて機械をスパークさせた。


「……それも含めて全部私が置いて行ったオモチャじゃありませんか。結局自分一人じゃ道具もまともに用意出来ないようなクソガキに、薫さんを渡しはしません」


「薫君は私のものだぁぁぁぁああああ‼︎」


沙織さんはスタンガンを腰だめに構えると、真っ直ぐ雪乃さんに突進する。


沙織さんが持っているものは違法な威力のスタンガンだ。せっかく雪乃さんは僕のために助けに来てくれたのに、このままでは怪我をしてしまう。下手をすれば本当に殺されてしまう。


そう思った刹那、体が動く。


勢いよく立ち上がると雪乃さんを背に立ちはだかり、突っ込んでくる沙織さんの顎を目掛けて掌底を放った。


眼前に迫ったその顔を押し返すように込めた力の全てが一点に集中し、沙織さんは首をガクンと揺らしてからフラフラと後退りした。


「かお……る……なん、で……」


「言ったでしょう。あなたを殺すと」


「いや……しぬの……いや……」


顎の一撃は沙織さんに脳震盪を引き起こし、絶え間なく揺れる瞳は僕に焦点が定まらぬまま、やがて意識を失い受け身も取れず床に崩れた。


「お見事です薫さん。何処かで武術を?」


「いえ、あまりに頻繁に痴漢されるものですから、護身として少し習っただけです」


「あらま、それはそれは……。ですがどちらかと言えば、今は下半身モロ出しの薫さんの方が痴漢っぽいです」


「ふざけている場合ですか。怒りますよ?」


とは言ったものの、雪乃さんのいつもの軽口のおかげで、ようやく僕が自由になったという実感が湧いた。


その瞬間、それまでの緊張の糸が切れたかのように、腰砕けに床に落ちる。


「危ない!」


だけど床に激突する寸前に雪乃さんに受け止めてもらい、体を支えられながらソファに座らせてもらった。


「とりあえず下着とスカートを穿いてください。間も無く警察が到着しますから、それでこの女も終わりです」


「……良かった」


警察が来れば沙織さんの脅威はなくなる。法の名の下に、沙織さんがこれまで犯してきた罪が暴かれるだろう。


そうなれば、これまで沙織さんの被害にあった生徒達も安心して……安心……。


「まずい、櫻子さんが!」


そうだ、僕はすっかり雪乃さんに安心して忘れていた。まだ危機は終わってないことに。


「櫻子さんがどうしたのです、薫さん!」


僕の様子の急変に、雪乃さんも再び緊張を取り戻す。僕は雪乃さんに櫻子さんが連れ去られていることを説明し、沙織さんのスマホを拾って画像を見せた。


「早く櫻子さんを助けないと!」


「これは悠長に警察を待ってる場合じゃありませんね。急ぎましょう」


「ですが、急ぐにしても場所がどこかすら分かりません」


「大丈夫、おおよその見当はついています」


そう言いながら、雪乃さんは僕を拘束していた手錠を手に取って、床に倒れ気絶している沙織さんの手首に嵌めた。その間に僕も外に出れるよう服装を元に正す。


「その場所とはどこなのですか?」


「港湾地区に、この女の父親の組織が頻繁に利用する倉庫があります。恐らく櫻子さんはそこに」


雪乃さんについて来るように促され、一緒に駆け足で外に出る。沙織さんの家の前にはアメリカ製の大型バイクが一台停まっていて、雪乃さんはバイクに跨ると、僕も後ろに乗ってしっかりと掴まった。


「飛ばします。振り落とされないで!」


クラッチレバーを握りしめ、アクセルを捻ると鳴り響くエンジンの唸り声。


それを合図に車体は急発進。瞬く間に速度を上げて、風に乗り、爆音を街に轟かす。

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