第43話 Curse of Fiend

「山岸君はまだ君を想ってる。でなければ君の呼び出しのメールに素直に従って、学校を抜け出したりするものだろうか」


「私の携帯を使ったのですね」


「他に手も無かったから。しかし私は最高の切り札を手に入れた。薫君、君が私を殺せば彼女も殺す。私を殺さなくても、このまま私を受け入れなければ、彼女を攫った男達に犯させる。散々酷い扱いをされた挙句にゴミのように捨てられる。もし誰かが気に入ればペットにしてもらえるだろうが、それだって悲惨だよ。殺された方がマシだと思えるくらいには」


そこまでするか、ここまでするか。常軌を逸した愛の行動は止まらない。暴走を始めた沙織さんの終着駅は、もう間もなくだ。


僕に選択肢は最初からなくて、ただ滑稽に踊らされていただけ。僕だけならば、差し違えてもこの人を止められた。


しかし巻き込まれては、櫻子さんを人質にとられては、なす術がない。為せる手段さえも失った。


「……どうすれば櫻子さんを解放しますか?」


「彼女が解放されることはないよ。いや、私が君を愛するように君も私を愛するならば、形だけでも解放される。だけど君が私に逆らう真似をするならば、やはりもう一度彼女を連れ去ろう。今度は猶予を与えずに、そして殺す。それは彼女のせいじゃない。君のせいだ」


つまり、逆を言えば僕が沙織さんに従っている限り櫻子さんは安全だということだ。


必ずそうだという保証はどこにもない。だけど今一番危険なのは間違いなく櫻子さんで、形だけでも沙織さんを愛すれば助けられるというのならそれに従おう。


今は無理でも、必ずいつかチャンスはある。周りの人間を巻き込まず、この人だけを破滅させる手段が必ず。


「……従います。私はあなたを愛すると誓います」


完全敗北だった。盗聴器を仕掛けたのが沙織さんだと初めから予想をしていたら。沙織さんの家が反社会勢力であると知っていたならば、もっと良い準備が出来ただろう。櫻子さんも巻き込まない賢いやり方が。だけど時はもう遅すぎた。


「結構、素晴らしい! ああ最高だよ! 遂に! 遂にようやくあの薫君が! 男でもあり、女でもある魔性の魅力を持った薫君が私を愛してくれる! こんなに嬉しいことはない!」


沙織さんは恍惚の笑みを浮かべ勝利に酔いしれている。欲しいものを手に入れて歓喜の声を上げていた。


「……約束です。櫻子さんを解放しなさい」


「はぁ、君って奴は」


僕の一声は、喜び満ちる沙織さんに水を差したのだろう。一気に感情は急降下し、隠すことなく不機嫌な様を見せつける。


「ま、分かってたけどね。どうせ心の底では私を愛してくれないと。でもそれも今のうち。いずれは君も私を本当の意味で愛するようになる。ああ、大丈夫。今は私の言うことを聞いてくれたらすぐに解放するよ。簡単な儀式さえ済めば、今すぐにでも」


「儀式……?」


「ああそうだ。これは私達の愛が不変であることの証明だ。さ、薫君。上はそのままでいいから、スカートと下着だけ脱いでくれるかな、自分で。……出来るよね? だって手は自由なんだから」


それは屈辱的な命令だった。衣服をこんな人間の前で脱ぐことさえ屈辱であるのに。


手足を拘束されていたならば、されるがままで僕の意志じゃない。しかし僕の手足は自由が効く。


命令されているとはいえ、形的には自分の手で肌を晒さなければならないことになる。そこには明確な上下関係が生まれる。


命令する者と実行する者。


つまりこれは僕が沙織さんに服従したことを意味していた。だから沙織さんは僕の手を拘束しなかったんだ。これから何をするにせよ、自ら脱ぐのと無理矢理脱がせるのとでは意味合いがかなり異なるから。


「……はい。これでよろしいでしょうか」


命ぜられるまま、僕は下半身を覆う布を取り去った。上半分はそのままで、下半身だけが露わになる。


守るものも隠すものなく、直接股間に感じる空気が酷く冷たいような気がして、実に心許ない。


屈辱的な命令は否応なしに羞恥を生むが、同時に怒りも沸く。


目の前には全裸の女がいて、僕も惨めに服を脱いだ。これが今と違ったならば、淡い期待を夢想したのだろうけど、今はただ恥辱だけが身を焼いている。


愛の証明が何だかは分からない。だが沙織さんは恐らく僕を犯す。自らの欲求に従って僕を蹂躙するだろう。


だがそうはいかなかった。僕が屈しなければ、沙織さんの望みも叶わない。今の僕に出来る抵抗はこんな程度のものであり、意味はない。しかし僅かながらに残るプライドがそうさせていた。


「……ふふ、昨日と違って今日の薫君は子供みたいだね。だけどそれでいいよ。今はそれに用はないからね」


だが僕の予想はどうやら外れていたらしい。沙織さんは僕のそんな考えさえも見越していたようだ。


「用がないならどうしてこんな格好を?」


「もちろんすることはする。でも今じゃない。というより、しばらくは出来ないだろうしね」


予測を裏切られた僕は本当に沙織さんが何をするのか理解出来なくて、ただただ困惑した。


自分の身に起こることだ。抵抗しなくても何をされるくらいは知っておきたかった。


「薫君、両手を首の後ろに」


黙って指示に従って、肘を折り手首を首の後ろに回すと、沙織さんはソファーの後ろにやってきて、僕の両手首にカチャリと金属製の何かを嵌めた。


恐らく手錠だろうが、それがきっちりと締まり外れないことを確認すると、更に手錠を鎖に繋ぐ。僕は完全に両手の自由を失った。


「ごめんね。本当はこんなことをしたくはないけれど、暴れると危ないから」


そう言って沙織さんは僕から離れ、少し遠いところから道具を幾つか持って、今度はソファーに座る僕の足を開き、その間に腰を下ろした。


その時に僕は沙織さんが持ってきた道具のうち、以前テレビで見たものと同じものがあることに気が付き、戦慄する。


「さ、沙織さん。それってまさか……」


「君はこんなものまで知ってるなんて、やっぱり博識だね」


沙織さんが持ってきた道具の一つは、金属製のシャープペンシルのような細い筒の上部に人間の拳くらいの大きさのタンクのようなものが備え付けられたもので、それは紛れもなくタトゥーを彫るために使われるものだ。


細い筒の先端にはタトゥーニードルと呼ばれる細い針がついていて、その針を使って皮膚に穴を開け、その穴に上部のタンクから針を通じて墨やインクを注入する。


よくよく見れば沙織さんが持ってきたものは、どれも換えの針やインクであったり、下書き用のマジックペンであったり、全てが一つの目的で使われる。


沙織さんの意図は僕の想像の遥か上を行き、何でもされる覚悟があったはずの僕の心を大きく揺さぶった。


「い、いや……だめ、それだけは!」


一度入れたら二度とは消せない。だから彼女は愛の儀式と呼んだ。だから愛が不変であることの証明であると言ったのだ。それは一生残る烙印で、彼女からしてみれば究極の愛のマーキングなのだろう。


「……可愛い声で嫌がってもダメ。さっき私は言ったけど、君にとっての最後の女になりたいんだ。私が最後じゃなくなる可能性は、今ここで摘んでおこう。誰にも見せられない場所に。私だけが見る場所に印を刻んで」


「こんなことしなくても、私は沙織さん以外とは何もしません! 本当ですから!」


「いや、信じられない。ごめん、信じたいけど無理だ。こうでもしないと君はすぐに飛んで行ってしまうから。……私の蝶のように、永遠に私に止まって逃げないように」


懇願虚しく沙織さんは聞き入れない。「失礼するよ」と一声掛けてから、ブラウスのボタンを下から幾つか開けて露出する肌の面積を増やすと、黒のマジックを取り出してどうしようかと悩み始める。


「薫君は毛が少ないから今は剃らなくてもいいね。……うーん、どうしようかな。私とお揃いでもいいけれど、薫君はやっぱり可愛い系がいいかな。そうだ、シンプルにハートにしようか。うん、それがいい」


遂に決まったのか、沙織さんはマジックで股間の真上から下腹部全体にかけて、大きなハートマークを描いた。下書きを見て満足したのか二度三度頷くと、手に持つマジックをニードルに持ち替える。


「正直かなり痛むけど、頑張って。筋彫りさえ終われば、山岸君は解放してあげるから」


沙織さんは一度僕の耳元にまで顔を近づけてそう囁くと、また元の位置に戻り遂に針を僕の肌に乗せた。


「お願いやめて沙織さんそれだけはお願い、何してもいいから。他のことなら何だってするからやめてください! やめてください沙織……さっ、い、いぃぃぃぃっ、ぃああああっ、つ、つぅぅ、ああっ‼︎」


それはまさに肌を針で刺される痛み。


鋭い激痛が何度も何度も断続的に下腹部に与えられ、自分でも予期せぬ声が口から飛び出す。


足に力が入り、無意識に沙織さんを両足で挟んで抵抗するが、沙織さんは力任せにそれを抑え込み、針を刺すことを続けた。


「はははっ! いい声で鳴くじゃないか薫君! 痛いよね、だけどその声も好きだよ薫君! ああ、愛してるよ薫君!」


「いたっ、痛いです沙織さん! 止めて、一旦止めてくだ……っ、さいっ! 痛い痛い痛い痛いっ! やだっ、やだっやめてください!」


悲鳴を上げても、泣き叫んでも沙織さんは手を止めない。それどころか僕がそうする度に喜んでいるようだ。


僕は続く地獄のような痛みばかりを与えられて、自分が今どうなっているのかすら理解が及ばない。


こんなことなら殺された方がマシだった。櫻子さんなんか見捨ててでも、沙織さんなんかに従わなければよかった。そんなことすら頭に浮かぶようになった。


「さぁ薫君。あと半分だ。もう少し我慢すれば今日の分は終わるから」


「まだ……半分?」


ここまで来るのにも拷問のような痛みで、時間は無限にも感じられたというのに、これがまだまだ続くと聞いて、僕は気を失いそうになる。


いや、実際何度か意識を失いかけたが、その度に激痛によって強制的に覚醒させられた。


ようやく手が止まったと思ったのは束の間で、再び始まろうとする激痛の時間に絶望した。

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