第42話 November is the cruellest month

ここまでの話を聞いて僕はぞっとする。


もちろん沙織さんが普通じゃないことは、もう十分過ぎるほど分かっていたが、目的達成のための行動力や忍耐力まで備えているのだ。


それなら何でもやるだろう。何でもするだろう。この人はそのための能力を獲得しているのだから。


「ですが、沙織さん。今回のあなたに伴うのは痛みだけで、成果を得ることなどあり得ないのです。何故なら私は決してあなたのものになることはありませんから」


「まったく君は本当に素晴らしい! 本当に君が欲しくて堪らないよ。君も山岸君も本当に素敵だ。どんなことをしたって私に靡きやしない! だからこそ屈服させたくなる。だからこそ、私のものにしたくなるんだ」


「……櫻子さんに何をしたんですか?」


僕は生徒会室で聞かされたことを思い出す。沙織さんは元々櫻子さんを狙っていたんだ。そしてどんなことをしても靡かないという言葉。となれば必然的に、この人は何かをしたことになる。


「怖い顔をしないでくれよ。大丈夫、何もしてない。……というより何もさせてくれなかったんだ。彼女を保健室に連れ込むまでは上手くいったのだけれど、結局手を出せず終いさ。それなりに女受けのいい顔だという自負があったけど、今思えば流石に薫君が側に居たら勝ち目は無いね。まったく何のためのカメラだったのやら」


「やはり盗撮の発案者はあなただったのですね」


「まあね。そもそも考えが甘かったよ。君一筋だった山岸君が私なんか相手にする訳がなかったから。保険として映像を収めておけば、何かいい使い道があるかもしれないと思っていたけど、使う前に終わっては意味がない。誘って以降彼女には嫌われてしまったしね。後は知っての通り、お互いの利益のために」


そうやってカメラは残されたまま、先生の金稼ぎに利用されている。吐き気を催すほどの胸糞悪い話だし、先生も沙織さんも善悪の分別がつかないほど愚かしい人達だ。


罪悪感に駆られたのか、先生はカメラを撤去すると言ったが、もうそれでは済まされない。いや、済まさない。


あとは自白や自供ではなく、動かぬ証拠さえあればトドメを刺せる。


「……もしかすると、昨日のデータも既にネットにアップロードされたのですか?」


「まさか。そんなことはしないよ」


僕の質問に沙織さんは静かに否定した。その様子は、まるでそんなことを聞かれることが心外だと言わんばかりだ。


「あれは……あれは私と君の大切な思い出なんだ。確かに記録はした。だけどあの女の二束三文の小遣いにさせるものか。君は特別なんだ。分かるだろ?」


「いいえ分かりません。一体私は他の生徒と何が違うのですか。他の方と同じようにあなたに籠絡され、そしてカメラの前で痴態を晒した愚か者に違いないじゃありませんか」


「何で分からないんだっ! 君は違う! 君だけを私は愛しているんだ! なのに、どうしてっ!」


それは絶叫。愛の叫び。感情の吐露。


それまでの露悪的な笑いも、余裕の微笑もそこにはなく、ただ伝わらない想いに対する苛立ちが彼女の口を動かした。


「薫君は何が望みなんだ! 好きな人には隠し事をしたくない。だからここまで正直に打ち明けたのに!」


「何でも明け透けにすれば良いというものでもありません。はっきり言って昨日のあなたなら、この身を委ねてもいいとさえ思いました。ですが、そこに至る手段が卑劣な行いによって辿り着いたものとあらば、あなたを受け入れるつもりはありません。望みは何かと問いましたね? ならば言います。速やかに私を解放して自首なさい。今ならまだ間に合います。私を攫ったことは黙っておいて差し上げますから、重犯罪に問われることもないでしょう」


盗撮行為も立派な犯罪行為だ。被害者がいる以上罪に大小はないけれど、これ以上罪を重ねる必要もない。


僕が沙織さんに掛けられる情けは、彼女の歪んだ気持ちを受け入れることではなく、彼女の過ちを正すことだと思うから。


「……ふ、ふふふ。そうまでして君は私を拒絶するんだね。まったく……いや、自首しろとはね、恐れいった」


沙織さんは一転、自首という言葉に反応して面白そうに笑い始める。コロコロ変わる感情の変化に僕は身構える。


「私が自首しなければ、誰かが通報する手筈になっているんだろ? 自分の身に何かがあった場合に備えて」


「……そんな用意はありません」


「いいんだよ、惚けなくて。だってこれは君のだろう?」


僕は否定するも沙織さんは余裕の笑みで歩き出し、パソコンが置かれているデスクの引き出しから、とあるものを取り出して僕に見せた。


「……」


僕のものと言って取り出したものは、間違いなく僕のもの。それはブラウスの襟に仕込んでおいた小型の盗聴器で、昨日雪乃さんに用意してもらったものだ。


「私も一応この手のものを扱う手前、用心はする。デジタルタイプならばこうはいかなかっただろうけど、これはアナログだね? これなら学校にある機材でも簡単に見つけられるから助かったよ」


それは沙織さんの言う通りで、雪乃さんから使い方のレクチャーを受けていた時にも言われたことだ。


携帯の電波を使うデジタル盗聴器と違い、アナログ盗聴器の電波は無線機やトランシーバーを用いればスペクトラムアナライザを使うまでもなく容易に発見出来る。


僕に盗聴器を仕掛けた犯人が誰であろうと、犯行の自白や僕の万が一に備えて外部にいる雪乃さんと連携出来るように準備したものであったが、見破られた今となっては少しまずい状況だ。


「君の目的が私の自白だというのはここに連れて来て会話をしたらすぐに分かったよ。だって君、自分に鎖が巻かれていたら普通はこれから自分は何をされるんだろうって思うはずだろ? なのに君ときたらそんなことお構いなしで私を煽って罪の自白をさせようとするんだから。その余裕な態度が気に食わなかったんだ。でもどうする? もう助けが来ることもない」


言われた通り、ここまでの僕はある意味では余裕があった。現状の証拠を抑え、沙織さんを破滅に導くための準備をしていたと言ってもいい。そのための盗聴器だった。


目には目を、歯には歯を。


盗聴器によって受けた不利益は盗聴器によって返すつもりでいた。


罪が明るみになった犯罪者が取るであろう行動は三つ。罪を認め自首するか、仲間に引き入れ共犯とするか、真実を知った者を消すか、そのどれかだ。


僕が仲間になることはまずないし、自首もない。となれば沙織さんが選ぶ選択肢はただ一つで、今の僕に救助は期待できない。


鎖で繋がれ逃げ出すことも出来ない現状は、僕にとって最悪の事実となった。


「殺すなら早くなさい」


「殺す? とんでもない、どうして私が君を殺すんだい?」


だが沙織さんは、どうして殺すのか分からないといった風だ。惚けているという感じでもない。本当に選択肢から抜け落ちているようだった。


「どうしてって、私はあなたの秘密を知ったのですよ? 私はあなたのものになるつもりはありませんし、解放されれば警察に通報します。残念ですが、私が生き残る可能性はあまりありませんので」


「ああ、なんだそんなこと。安心してよ、薫君。私は君を殺さない。君を殺すなんてできないよ。私は君を愛しているのに」


一方的な愛は押しつけに過ぎず、一方的な好意は迷惑でしかない。ここまで拒絶されてなおも諦められずにいる沙織さんの執念には驚かされる。


「それに、君は自分から私の愛を受け入れることになるだろう」


それは予言めいた言い回しで、まるでそうなることが決まっているかのような自信に満ちた態度。


服を着ず全裸で喋り続ける態度というものは滑稽であるはずなのに、むしろ裸でいることこそが人の正しい姿のようであると知らしめていると思わせるほどに、沙織さんは自分の行動に絶対的な自信を持ち合わせていた。


「さて、そろそろいいだろう。所詮こんなやりとりは余興だよ」


そう言うと沙織さんは床に脱ぎ捨てた制服をまさぐって、スマートフォンを取り出すと何処かへ電話を始めた。


「……私だ。首尾は? ……そうか、良くやった。写真を撮って私に送ってくれ。……いいか、くれぐれもまだ手を出すなよ? 私が良いと言ってからだ。それじゃあよろしく頼む」


短く通話を終えると、沙織さんはしばらく画面を見つめ、恐らく電話で言っていた写真を待っているのだろう。軽快な電子音がスマホを鳴らすと、画面を見ていた沙織さんは怪しくほくそ笑んだ。


「……何ですか今の電話は。それにどんな写真ですか!」


強烈に嫌な予感が僕を支配していた。会話の流れから、それはきっとよくない電話で、まずい写真であると本能が叫ぶ。


「ま、備えているのは君だけじゃないってことだよ」


ひっくり返され僕に向けられるスマホの画面。そこに表示される写真はもはや沙織さんの一部分でも評価することさえ難しくするほど、擁護のしようがない度し難い行いの証明であった。


「……あなたは何度、越えてはいけない一線を踏み越えるのです」


「何度でも。君が私を受け入れるまで、何度でも」


「…………殺します。殺してやります。躊躇いや情けを踏み越えて、造作もなく私はあなたを殺します。」


「やってくれ、殺ってみせてくれ薫君。首の鎖を引きちぎり、私をボロ雑巾のように殺してみせろ。……ただし、私が死ぬときは山岸君も死ぬ。君が殺すんだ、山岸君を」


櫻子さんは囚われた。スマホに映る写真はどこかの廃墟のような場所。その中に櫻子さんがいて、口には猿轡。手足は縄で縛られている。足だけ写る男の数は複数で、いずれも背広のスラックスのようなものを履いていたり、ジャージのようであったり様々だ。


それが何を意味しているのか、嫌でも分かる自分が悔しい。


そして何より沙織さんが憎かった。

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