第41話 Butterfly flutters forever

「大丈夫かい、薫君?」


首と喉の痛みにのたうち回る僕に、心配したような表情で声を掛ける。


「白白しいっ!」


再度沙織さんに迫ろうと体を起こすも、その途端に首が後ろに強く引っ張られ前に進めなかった。


僕の動きの邪魔をする、その忌々しいものの正体は首輪だった。首に触れると確かにそれが巻かれていて、首輪は背後で鎖に繋がれていた。


まさしく僕は鎖に繋がれた猛獣のように、必死に沙織さんの首に飛び掛かろうとするも、届くことはなかった。


「一応保険だよ。言っておくけど、君が私を傷つけないようにするためじゃない。私に襲い掛かる君を傷つけないための措置だ。分かって欲しい」


そう言った沙織さんはポケットからスタンガンを取り出すと、今度は何もない場所でバチバチと青白い電流を光らせた。


「人は日に何度も気絶したら流石に大丈夫だと保証は出来なくなる。君にもしもがあれば、私は悲しい」


その閃光は威嚇。人を気絶せしめる稲妻の如き電気の流れは、近づけば、逆らえば容赦しないという警告だろう。


「日本では人を気絶させるほどの高電圧のスタンガンの所持は違法なはずです。……沙織さん、あなたは筋金入りの犯罪者のようですね」


「筋金入り? ふふ、確かに高校生にしてはという意味ならその通りかも。でも私の周りには酷い犯罪者がうじゃうじゃいるから、彼らに比べたら可愛いものだよ。私の罪なんてせいぜい盗撮くらいだからね。盗聴はまぁ……それ自体は違法行為とも言えないしね」


「盗撮……。やはりあなたはあの先生と共謀して!」


疑惑の先生との繋がりが、ようやく今はっきりとした。沙織さんは養護教諭と結託して生徒を保健室に連れ込み、その様子を撮影していたに違いない。


「言っておくけど、私は盗撮なんて微塵も興味ない。あの先生が始めたビジネスだからね。私は自分の性処理のために保健室のベッドを借りたい、先生は借金の支払いに詰まっていた。互いに利害が一致していたよ。どうにも年頃の女同士の性行為は金になるらしくてね。彼女は喜んで部屋を空けてくれたよ」


何から聞けばいいのか分からないほど、沙織さんの話は情報量が多すぎる。ここまで来て何度目かの論点の整理をしなければならないだろう。


まず結果としてあるのは、沙織さんは性処理と称して複数の女子生徒と関係を持っていること。そしてその様子を先生に撮影させ、先生はその動画を使い何らかの金銭を受け取っているということだ。


まさか自分の通う学校の職員にこれほどまで腐り切った人間がいるとは露にも思わないし、控えめに言っても最悪の事態だ。


しかしそれ以上に最悪なのは、生徒と先生が共謀しているという事実だろう。沙織さんの言い方ではお金を貰ってはいないという風だったが、それでは割に合わないはずだ。


「その動画には沙織さん自身も映り込むはずです。それを承知だったのですか?」


「……なるほど。君は私が自分の裸を晒しているのに、保健室を借りるだけでは釣り合わないと、そう言いたいんだね? だけど、残念。私にはそれで事足りる。今更他人に裸を見られてどうこう思うことはない。お願いだから薫君。私をという物差しで計るのをやめて欲しい。私は普通じゃない。そんなこと、ずっと前から自覚している」


沙織さんは唐突に、着ている制服のブラウスに手を掛けて、ボタンを一つ一つ外し始めた。


「何をしているのです、沙織さん!」


「黙って見てて」


制止の声を聞かず、沙織さんは脱衣の手を止めず遂には下着すらも脱ぎ捨てて、白く美しい肢体を惜しげもなく披露する。


その光景に僕は目を奪われた。しかしそれは沙織さんの豊かな二つの胸でも、僅かな茂みに隠された秘所にでもない。下腹部に描かれた大きなアゲハ蝶の刺青にだった。


「沙織さん、それは……?」


蝶の刺青は沙織さんの秘所の真上から下腹部全体に大きく羽を広げている。羽の模様の細かいところまで丁寧に色が彫られ、細部のこだわりから生まれる全体の完成度の高さは、まるで一つの芸術のようでもあった。


「よく出来てるだろ? 手前味噌で恐縮だが、我ながら見事な出来だ」


「まさかご自分で彫られたのですか?」


僕の純粋な驚きの声に、沙織さんは嬉しそうに刺青を上から撫でた。


「薫君。君は私の父親がヤクザだって知っているかい?」


「……そうなのですか?」


しかしそう聞かされても、その事実にはあまり驚かない。デジタル盗聴器や隠しカメラ、違法なスタンガンなど、どれも一般人が入手するのが難しいものばかりを使用する沙織さんの素性も、親が暴力団関係者ならば有り得ない話ではないと思っていたからだ。


いや、昨日雪乃さんにその可能性を示唆されていたからこそ、そんな風に感じていた。


「まったく親が親なら子も子だよと言いたいけど、まさしくその通りでね。私の父は小さいけれど裏社会にそれなりに影響力のある組織の組長らしいよ。ま、子供の私に言わせれば、そんなことどうでもいいけれど」


「それが……一体何の関係があるのです」


親が暴力団だからというのを理由に人を脅しているのなら、もうしているはずだ。それでは一体何のために、いや、何故ここまで沙織さんは僕に話すのだろうか。


「その通り。何の関係もない。だけどそんな親だからかな、家にはお金も人も沢山あったし、私自身は不自由なく暮らしていたよ。欲しいものがあれば何でも与えられる、所謂我儘に育ったんだ。父は私に甘いから、欲しがるものを何だって貰えれば、自然にそうなる」


「意外ですね。今のあなたはともかく、学校でのあなたは我儘娘の代名詞にはなりえない。それが偽りであったとしても、皆に頼りにされる麗しの君はヤクザの娘でも、我儘なお嬢様でもなかったのですから」


「外面を良くする術を身につけるのは大変だったけど、その苦労話には興味ないだろう?」


沙織さんは麗しの君であった時と同じように自嘲気味に笑うと、話を続けた。


「さて、欲しいまま望むままの我儘娘にも手に入らないものが二つあった。これがその内の一つという訳だ」


「刺青が欲しかったもの?」


自分の下腹部を愛おしそうに見つめる沙織さんは、自分で彫ったという刺青を愛でている。


「私の周りには刺青が入った人間が山ほどいたからね。小さい時から囲まれて育てば、憧れを抱いても別に不思議じゃない。だけど、いくらヤクザでも、自分の娘に刺青を入れたいと思う親はそんなにいない。中学の時に父親に相談したら、それはもう激怒されたよ。……あの時が初めてだったかな。父親に怒られたのは。そして気付いた。欲しいものがある時は自分で手に入れるんだってね」


「だからご自分で……。だけど、相当な痛みだったはず。ましてやズブの素人仕事です。いくら綺麗に仕上がっても、その過程は楽じゃなかったでしょう」


昔テレビで刺青を入れる職人の番組を見たことがあった。人の肌に刺青を彫るには、皮膚と肉の薄い隙間に針を刺して、その隙間に顔料を入れるという作業を繰り返す。それには当然痛みが伴い、デザインが大きければ大きほど、苦痛も長い。


職人ならば手際良く行い時間も短くなるだろうが、素人ならばそうは行かない。


沙織さんの刺青は相当に広範囲で、掛かった時間も痛みも想像を絶する。ただ自分が欲しかったというだけでここまでする精神力は凄まじいものだと言えた。


「ありがとう、蝶を褒めてくれて。これを入れた時に思ったんだ。欲しいものを手に入れるには痛みが伴う。だけど、終わらない痛みも存在しないと。だってほら、この蝶はいつまでも私の身体で羽ばたいているのだから」

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