第40話 Helter Skelter
「さっちゃん。言っとくけど、これはまじでやばいよ。私知らないから」
「まったく、今まで散々美味しい思いをしておいて。それに、ここまで運んだのはあなたなのだから、もちろん共犯だ先生? 今更逃げられないよ」
誰かの話声が聞こえる。体は怠く重く、それでいて気分は最悪だった。
僕は今どうなっているのか、そして今どこにいるのか、それすら分からない。
酷い偏頭痛のように頭はガンガンと痛み、意識すらはっきりしない。薄く開いた目から入る景色はぼやけて状況が把握出来ない。
最後の記憶は確か生徒会室で沙織さんにスタンガンを押し当てられて……。そうか、僕は気絶させられたんだ。
「それじゃあもう学校に戻るから。それから、こういうことは本当にもうこれっきりにして。カメラも処分するから」
「好きにすればいい。だけど私達は一蓮托生だよ先生。意味は言わなくても分かるよね?」
「……死ねばいいのに。この異常者」
そんな吐き捨てる声は言い争いの最後に聞こえ、ドカドカとわざとらしい足跡と共に消えていく。
今のは僕の近くに誰かが二人いたのだろう。多分一人は間違いなく沙織さんで、もう一人は聞き覚えがない。
……いや、それは聴き馴染みがないだけで聞き覚えはある。それは確か昨日の放課後、保健室の前で会った養護教諭の声にそっくりだった。
沙織さんと養護教諭が一体何の話をしていたのだろうか。それに会話は穏やかではない。美味しい思いだの死ねだの、おおよそ生徒と先生の会話ではなかった。
「今のを聞いていたね薫君。先生は君が意識を取り戻したのには気づかなかったようだけど、つくづくついてないなあの人も」
ようやく定まる焦点の先にいるのは沙織さんただ一人。
だけど僕がいるのは生徒会室ではなく、それどころか学校ですらなかった。
そこは見知らぬ誰かの自宅のようで、淡い緑色の壁紙に木目調のフローリング、テレビにパソコン、ガラスのローテーブルといった家具が並ぶ生活感溢れるその場所は誰かの部屋だ。
部屋の真ん中に立ち尽くす沙織さんは僕を見下ろしている。ということは僕は座っているのだろう。
視線を下ろし自分の体を確認すると、僕は気絶する前の格好のまま、白い革製のソファに座らされていた。
「ここは……学校じゃありませんね。どこです? どうして先生が?」
身体が重い割に呂律は自由に回り、すんなりと言葉を発することが出来た。
「ああ、ここは私の家だよ。もっと言えば私の部屋だ。先生は君をここに連れてくるのを手伝ってもらったんだ。保健室の先生じゃないと学校から生徒を外に連れ出せないからね」
確かにそうだ。普通は何の許可もなく生徒を連れ出せない。だけど気絶している生徒なら体調不良を理由に養護教諭が家に送る名目で連れ出したとしても不自然ではない。
先生が沙織さんの家に連れてきたということは、先程のやり取りを含めて先生は沙織さんの不正に何かしら関わっているとみて間違いない。
そうでなければ僕は今頃自分の家にいるはずだし、そもそも不自然に気絶した生徒をそう易々と連れ出すはずもない。
「……驚きました。先生の弱みまで握って利用しているなんて」
「ま、確かに弱みでもあるかな。でもむしろ先生は今まで喜んで協力していたけどね」
その言い方だと、あの先生が率先して沙織さんと何かを企んでいたようだ。昨日沙織さんと会話する先生は、言われてみれば弱みを握られているにしては嫌に親しげだった。
関与しているものが何かは分からないが、生徒と先生といった関係を超えた利害関係にあるのだろう。
「さては、昨日保健室に先生がいらっしゃらなかったのは偶然ではありませんね?」
「ご名答! その勢いで私達の関係も推理してみせるといいよ」
沙織さんのお墨付きを得て、二人が唯らなぬ関係であることは分かった。
恐らく先生も僕がスタンガンで気絶させられたと知った上でここに運んだんだ。
ならば生半可な不正ではなく、むしろ犯罪に近いようなことにも関わっているはず。沙織さんを通報しないのは、先生自身が警察に聞かれてはまずいことがあるからだ。
そういえば、先ほど先生はカメラがどうとか言っていたような気がする。沙織さんと組んだ保健室の先生がカメラを何に使うのか。……それはもう考えるまでもない。
「この人でなし! あなたはどれほどの生徒に手を出したのですか!」
この人の悪意には殊更腹が立つ。僕のことが好きだなんだと言いながら、結局は自分の私利私欲に生きる化け物だ。
この狂人を今すぐ止めなければ。女だろうがなんだろうが、関係ない。僕はこの人を殴る。学校に報告だとか警察に通報だとかそんなものは後回しで、とにかく痛めつけよう。
自分のしたことの罪の重さを思い知らせてやる。これは誰かのためとか、そんな小さな正義感からじゃない。これはシンプルな怒り。そして報復だ。
僕は鉛のように重い身体に喝を入れ、全身全霊渾身の力を込めて沙織さんに飛び掛かった。
「かはぁっ! がはっうぅっ! げほっ……げほっ……」
僕は手を伸ばした。沙織さんを捕まえるために。その頬に拳を振り下ろすために。
だけど手は届かない。ソファから飛び出した途端に首に強い衝撃を受けた。喉は締まり呼吸が詰まる。突然首に自分の全体重が乗ると、前に進もうとする力はそのまま首に伝わって自らを締め上げた。
僕はなす術もなくソファに引き戻され、みっともなく嗚咽を吐き出す。
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