第39話 Femme fatale
「君も気付いているんだろう? あの機械が一朝一夕で用意出来るものじゃないと。その通り、あれはずっと前から君に仕掛けようと思っていたものだよ。もちろん目的は君と仲良くなるためじゃない。山岸君と仲良くなるためだ。まぁ君の弱みを握るという点では同じだったけれど」
「……いずれ私が櫻子さん以外の人と親しくなると予見していたのですね」
「ミスコンのあの日まで君はただの邪魔者だった。だから排除するためにずっと君を監視していたよ。そしたらすぐに気付いた。君に熱い視線を送る人間が大勢いることにね。それは君と交流のある人達にもいたし、君とはまったく接点のない人にもね。まさか仕掛けた翌日になるとは思わなかったけれど、どのみち時間の問題だとは思っていた」
こうにも自分のやったことを棚に上げて好き放題言われることに腹が立つが、そもそも僕の脇の甘さにも原因があると知り、悔しさが募る。僕がいいように利用されたせいで、櫻子さんを傷つけたという事実が許せない。
「ですが、私がミスコンに参加することを知っていたのは文化祭の運営に関わる一部の方だけだったはず。文化祭の日に僕に盗聴器を仕掛ける予定だったとして、それでも私の動きを把握するのは困難なはずです。私がたまたまミスコンに出たからよかったものの、沙織さんの計画は少し打算的過ぎやしませんか?」
「まさか! もちろん君が参加するのは知っていたよ。言ったろ? 君を監視していたって。三週くらい前から君が生徒会での後輩ちゃんの家に不自然に出入りを繰り返していたから、怪しむのは当然。ま、一応裏付けとして、親しくしている実行委員の子から話を聞き出してはいたけどね」
「……なるほど、全てあなたの手のひらの上だったということですね」
それはとても入念な準備を経て計画されたものだった。まさか以前から僕を監視していたなんて。
櫻子さんを自分のものにするため、自分の想い人を手中に収めるためだけにここまでするなんて、とても普通とは思えない。ほとんど常軌を逸していると言っても過言ではなかった。
「ここまで私に話してくださったのです。恐らくはもう、沙織さんは私を狙うのは諦められたのでしょう? これからどうなさるのです。盗聴していた事実を私が学校に報告すれば、それなりの沙汰が下るでしょう」
「それがどういう意味か、君は分かっているのかい? ……いや、分かっているね。君は賢いから」
当然学校に報告すれば、事実確認のために僕だけじゃなく文香ちゃんも事情を聞かれるだろう。
そうなれば間違いなく文香ちゃんにも迷惑が掛かり、雪乃さんは決してそれを容認しないだろう。だけどこのままこの人を放っておいたら大変なことになる気がする。
人の弱みを不正に入手して、それを平気で使うような人だ。それも手慣れたように。ならきっと、他にも被害にあった人がいるかもしれない。そうでなくともこの人のしたことは許せない。
「私は打算的と言われて否定したけれど、そういえば一つだけ打算と言うべきか、想定外のことはあったかな」
それは唐突に、そして何かを思い出したように、沙織さんは再びスマホを操作し画面を見せた。
「彼はまったく無用心と言うか大胆不敵と言うか……。彼が終わるまで待てば誰にも知られず盗聴器を仕掛けられたというのに、ついつい写真に収めてしまった。しかしまぁ面白いものを見せて貰ったよ。中々男の子が一人でするところを見ることなんてないからね。ついでに口封じになるかと思ったけど、失敗だった。あまり関与する人間を増やすものじゃなかったよ」
沙織さんの言う通り、見せられた写真はさっきまでこの部屋にいた大崎さんの犯行現場を捉えたものだ。
彼が流出を恐れ、痛みと引き換えになるまで沙織さんの名前を割らなかったもの。
「ならばもうその写真に意味はないでしょう? 消しなさい、今すぐに」
「確かにその通りだ。もうこれを持っていても仕方ない」
沙織さんは大人しく僕の指示に従い、画面を自分に向けるとそのまま指で再三の操作を始めた。それから10秒も立たずして指を止めると、沙織さんは満面の笑みを浮かべた。
「どうして笑うのです。何ですかその顔はっ!?」
それはもう本能的に、沙織さんの笑顔がおかしいと悟った。その笑みは今まで見たどの笑顔より凶悪で、危険な臭いがする。
「私が素直に言うことを聞くとでも?」
「あなたって人は!」
僕は瞬時に手を伸ばしスマホを奪い取ろうと試みるも、沙織さんは即座に立ち上がりそれを躱した。追いかけようと立ち上がるも、沙織さんに手で制される。
「無駄だよ。もう彼のSNSを登録している何人かのアカウントに匿名で送信した。ネットの電波を通じて明日には学校中に広まっていることだろう」
「ああ、そんな。なんてことを……」
僕はまた一人、他人を巻き込んでしまった。しかも今度は取り返しのつかない。
「どうしてそんなことが出来るのですかっ! あなたって人は本当にっ!」
超えていた我慢は最後の起爆剤を得て、遂に堤は崩壊した。僕は沙織さんの胸ぐらを掴む。
「どうしてかって? そんなの単純だよ。彼は君を殴った。もちろん私の名前を歌ったことも度し難いけれど、それより何より、君を傷つけたことが許せないんだ」
「まだそんなことをっ!」
胸元を強く掴まれているというのに、沙織さんは恐れも戸惑いもせず、それまでと同じように朗々と口を開き続ける。
「いい加減離してくれないかな。どうせ君に女は殴れない。感情とかを抜きにしても、君はそういう人だから」
「くっ……」
確かに沙織さんの指摘通り、僕には殴れなかった。それに、いくら殴ってもこの人は変わらぬ涼しい笑顔を絶やさないはずだ。
「ふふ、ありがとう。弱みにつけ込むような卑怯な真似はしたくないけれど、これが私だから」
半ば屈辱的でありながら沙織さんを解放する。
僕は未だに信じられなかった。こうにも良心というものが欠如している人がこの世にいるなんて。
好きな人のためなら何でも出来るというというのはありふれた言葉だ。本当に何でも出来る人なんてそうはいない。所詮は安っぽい愛の誓いで、陳腐な言葉だ。
だけど沙織さんは何でもしてみせた。一切の躊躇いもなく、何の躊躇もなく。
僕が殴られた、ただそれだけの理由で一人の生徒の恥ずべき秘密を公にしてしまった。
この人はもう、何もかもが狂ってる。この人を止めるには、僕の何もかもを失う覚悟で挑まなければならないだろう。
「……ですが沙織さん。あなたは過ちを犯しました。写真が広まればもちろん大崎さんを傷つけることが出来るでしょう。しかし彼が撮影者があなたであると語れば……いえ、語らなくとも私が暴露します。あなたが学校で築き上げ確立した麗しの君という仮面も、もう終わりです」
僕がそうすることによって、沙織さんも当然反撃とばかりに盗聴器のデータを拡散させるだろう。
それはさっき危惧した通り被害は文香ちゃんにも及ぶことを意味している。だけど既に一人が被害者になってしまった今、それを躊躇うつもりはない。これ以上被害者を増やしてはいけないんだ。
「残念だけど、別に私は学校を追われようと大して気には留めないよ。まっとうに生きようとするなら高校を退学になるというのは凄まじい汚点になるだろうけど、私は違う。どうだっていいんだ、そんなこと。欲しいものを手に入れられさえすれば」
「それは強がりです、沙織さん」
「君は何にも分かってない。学校というものの価値も、君という存在も。退学になろうとも私を慕う子達に失望されようとも、それを補って余りある価値が君にあるんだよ。他の子がそうしたように、私も何振り構わず君を手に入れる。君こそが私の
沙織さんは、いやこの女、憎むべき、そして恐ろしき女は僕を見つめながら、まるで夢を見ているようだ。
現実の一切合切は全てが無意味で必要とさえしていないような、そんな様子。
恋は盲目と言うけれど、自ら全てを否定して、恋だけを見つめる姿は熱心な宗教の狂信者の様でもある。
何が彼女をそうさせるのか、何が彼女をこうさせてしまったのか。どのみち僕には理解出来ないだろうし、仮に理解出来たとしても同情なんてしてやるつもりもない。
「薫君。君を愛してる。私は君を愛しているんだ」
熱に浮かされたように、沙織さんは僕ににじり寄る。
沙織さんが半歩近づけば、僕は一歩後ずさる。僕が一歩後ずされば、沙織さんは二歩側に寄る。
そして僕は背に壁、眼前に沙織さんと追い込まれ逃げ場を失うと、遂に沙織さんはパーソナルスペースをも犯し僕に唇を近づける。
昨日ならば許せただろう。盗聴器さえなければ許しただろう。だけど今は近くに彼女がいるだけで不快だった。
「……嫌」
この人には触れられたくない。寄せられた唇に僕のが触れないように顔を背ける。
だけど、それでも構わないといった風に沙織さんの唇が僕の首筋に触れて愛撫するように蠢くと、身体の内から虫酸が走った。
強烈な吐き気に襲われ全身に震えが走ると、僕は無意識に沙織さんを突き飛ばしていた。
「……そう、君は。いや、当然だね。君に敬意を払って正直に言ってみたけれど、もちろんこれじゃあ私を好きになってくれないか」
僕に拒絶された沙織さんは、一度大きく目を見開いて、それから顔色を真っ青にしてみせて大きくショックを受けたようだった。けれどそれは一瞬の出来事で、すぐさま元の微笑に戻る。
「だけど残念ながら、それではいそうですかと引き下がる私じゃない。そうでなければここまで面倒くさいことはしない。ああ、そうだ。君を私のものにするためならば、どんな手段も厭わない」
ごそごそとスカートのポケットを弄り沙織さんは何かを取り出す。それは女性の手のひらには少し大きいくらいの黒く分厚い機械。
何かの警告のような黄色シールが貼られているのが手の隙間から見えるけど、それが何なのかは分からない。
機械の上部が弓形に湾曲しているのは、その機械が何かに押し当てて使うためであろう。
沙織さんは再び僕の間を詰めて迫り、手に持つ機械を僕の首に押し付けた。
「ここじゃなんだから、場所を変えようか」
「っ! あなたどうしてそんなものを——
僕が沙織さんの持つ機械の正体に気付いた時には全てが手遅れで、バチバチバチッという凄まじい爆音と共に、視界は突如暗転した。
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