第36話 高嶺の花に集いし蝶よ

明くる日の学校にて昼休み、僕は意を決して廊下に立つ。


そこは僕の学年の一つ下、2年生の教室が並ぶ階で、僕がその廊下に降りると、姿を見た他の生徒達が一気にどよめきざわめき立つ。


噂やミスコンでのことで僕のことを知っているのもあるだろうけど、何より今の僕の出で立ちを見れば騒ぐのも当然だろう。あっという間に取り囲まれるが、今の相手は彼女たちではなかった。


僕はスマホで雪乃さんから貰ったメールの文面を確認すると、目的の教室へ向かった。


教室の扉は開いていて、廊下から中を伺うと、それなりの人数の生徒が昼食を食べていたり、友人との歓談を楽しんでいる。


「三鷹先輩、私どものクラスに何かご用ですか?」


そう声を掛けたのは、僕を取り囲む生徒の一人、見知らぬ女の子だった。


私どものと言うくらいだから、きっと僕の目の前の教室を使うクラスに属する生徒だろう。であるならば、少し手伝ってもらうことにする。


「こちらのクラスに、大崎さんという方はいらっしゃるかしら? 少し用がございまして」


「は、はい! 少しお待ちください」


女の子は僕の問いかけに元気よく返事すると、パタパタ駆け足で教室の中に入り、机で食事を摂っている一人の男子生徒の前に立ち、僕のことを手で示しながら言葉を伝えている。


女の子に促され顔を向けた生徒は間違いなく、僕の目当ての生徒。あの時受付をしていた男子だった。


向こうも僕の顔を見るなりギョッとした表情を浮かべてから、顔色がみるみる青ざめていくのを見るに、どうやら本人で間違いなさそうだ。


「な、何すか、俺に用って……」


昼食を中断して僕の前までやってきた男子生徒の足取りは重く、それでいてとても悪い顔色は今すぐにでも逃げ出したいといった風であった。


けれど僕からすればその反応こそ昨日雪乃さんと推理した事柄を裏づける証拠のようなもので、簡単に逃げ出せないように先手をとらせてもらった。


「ごめんなさい、お食事中に。少しあなたとお話しが出来たらと思ったのだけれど。……出来れば二人きりで。だめかしら」


僕が二人きりと言った途端に周りから黄色い悲鳴が上がった。別に男同士二人で話そうと切り出しても普通は色っぽい想像をする人は多くないだろう。


だけど今に限って言えばそうではない。今の僕の見た目は女。わざわざ学校に女装してやってきたのは、わざと目立つため。


この数日さんざん噂になった僕の女装した姿は、文化祭以上の騒ぎとなった。


文香ちゃんから女子の制服を貰った時はどうしたものかと思ったが、こうもあっさり着ることになっては、文香ちゃんと雪乃さんに感謝する他ない。


この姿なら学校のどこへ行っても騒ぎになる。目立つのは不本意だけれど、都合が良いこともある。


僕の周囲に人だかりが生まれることにより、僕が誰かと会話するだけで、自然とその相手にも耳目が集まる。


ましてや、やましい気持ちがあり僕から逃げ出してしまいたい人物にとっては、部が悪いだろう。嫌でも注目されれば迂闊なことも出来ない。


「……分かりました」


男子生徒はバツが悪そうに顔をしかめながら、それでも渋々了承した。


「それでは場所を変えましょう? 他の方には聞かれたくない話もございますから」


了承の頷きを得ると、僕たちは連れ立って廊下を歩き始めた。その後を追うように幾人もの生徒達も共に歩き始める。


きっと興味本位からこのままついてくるつもりだろうけど、女装したままの学校の中に入った時点でそれは予想済みだ。


僕は大勢を引き連れたまま廊下を進み、階を変え、ようやくたどり着いた部屋の前に立つと扉をノックする。


「はーい、お待ち下さーい」と気の抜けた声が聞こえてくるその場所は生徒会室で、開いた扉から顔を出すのは文香ちゃんだ。


「うわっ、凄い人ですね。昨日の倍はいるんじゃありません?」


生徒会室から開いた扉の前に立つ僕の後ろに控えた群衆を前にして、文香ちゃんは驚きの声を上げる。


「ええそうなの。ここに来る途中で段々増えてしまって」


「ハーメルンの笛吹き男でもなしに、そんなことってあるのですね。とりあえず中へ」


「ありがとう文香ちゃん。さ、大崎さんこちらに」


文香ちゃんの許しを得て、男子生徒を先に部屋に入れてから、僕も生徒会室へ。


後をついてきた群衆達も流石に中に入ってこようとは思わないのか、廊下から中を伺うように大勢がこちらを覗き込もうとしているところを、文香ちゃんが扉を締めて遮った。


まだ廊下からがやがやとした声が聞こえてくるが、それでも部屋の機密性が高いのか、その音量はとても小さく、まるで遠くから聞こえてくるようだ。


「それにしても、お姉さまが女装をなさったまま登校されたと聞いた時は耳を疑いましたが、その制服を差し上げた身としては嬉しい限りです。しかしよくぞ先生方はお姉さまのそのお姿をお許しになりましたね」


「ええ、それは私も驚いたのだけれど、特段注意されることはありませんでしたね。強いて言うなら、お手洗いは一階の職員用を使うようにと申し付けられましたが」


「まぁそれはそれは。この学校も昨今何かと話題のジェンダー問題に適応したということでしょうか。一応それなりに格のある学校ですし、男子がスカートを履くことを拒んで性差別と批判されれば、それこそ学校の沽券に関わるのでしょうね」


「……そ、そうなのでしょうね、きっと」


確かに今日の学校の対応は、まさに女装をして登校した生徒にはこう接しようと事前に想定していたようだった。


近年ではセクシャリティの観点からジェンダーフリーの制服を導入する学校も増えていると聞くし、そういう観点から見れば学校の対応は間違いではない。


実際はただ今日目立つためだけに女装をしてきただけだとは、口が裂けても言えない。


「それではお約束通りこの部屋はどうぞご自由に。ふみは外に控えておりますから、終わったらお声掛け下さい」


「ありがとう文香ちゃん。恩に着るわね」


「いいのです。ただちょっと雪乃さん経由のお願いというのは面白くありませんが、他ならぬお姉さまの頼みとあらば」


そう言って一つ笑みを零すと、文香ちゃんはマスコミよろしく大勢が待ち受ける廊下へと出て行った。


ミスコンの受付をしていた大崎さんの名前を手に入れるのも、この生徒会室を使うようにアイデアを出したのは雪乃さんで、事情を聞かずに快諾してくれた文香ちゃんには頭が上がらない。

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