第34話 誰のために泣く

「ですが通話代ということは維持費がそれなりに掛かるのでは? それに、携帯を改造するとなると本体の代金も然ることながら、改造するための知識も必要ですし、自前で改造できないとなると、調達する費用も掛かるのではありませんか? とても高校生のお小遣いやバイト代で賄えるようには思えないのですが」


僕の指摘を受けて雪乃さんは、そこではっとした表情を浮かべた。


「……なるほど、確かに薫さんの言う通りです。これがどういうものか分かっていながら、冷静さを欠いていたようです」


「ということは、やはり高校生では手に入れることが難しいものと受け止めてよろしいのですね?」


「それはもう。本人やご身内が探偵や暴力団、政府の情報機関などに属していたりするならば話は別ですが」


政府の情報機関だなんて、そんな大袈裟なことを言うのは雪乃さんの冗談だろうと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


「仕掛けた人物が誰であるかは一先ず置いておいて、これを作成したのはこの手の仕事に詳しい人物で間違いなさそうです。見てください、これはいかにもという見た目をしていませんよね。わざわざケースで内側を隠して、パッと見ではせいぜい少し大きめの防犯タグにも見えますが、用途が不明でもこれが盗聴器だとはまず思わないでしょう。不審な機械には違いありませんが」


「そうですね。確かに怪しいと思っても、これが盗聴器だとは僕には思い至らないです。雪乃さんはどうしてこれが盗聴器だとお気づきに?」


先ほどから気になっていた質問をぶつけると、雪乃さんの瞳は怪しく光り、不敵な笑みを浮かべた。


「前職で少々……とだけ」


前職というのとは、文香ちゃんのお屋敷で働く前の仕事ということだけど、一体なんだろう。盗聴器の知識が必要になる職業とは一体……。


「蛇の道は蛇なのですよ、薫さん」


雪乃さんはノートPCの画面をバタンと閉じるとウィンクをしてみせた。多分だけど、あまり詮索するなという合図なのだろう。


「そういえば僕って、雪乃さんのこと何も知りませんね」


まだ知り合って一か月も経ってはいないけれど、ほぼ毎日顔を合わせそれなりに密度の高い時間を過ごし、ある程度は雪乃さんの人となりを理解しているつもりでいた。


けれど雪乃さんが以前どんな仕事をしていたのか、何が好きで何が嫌いか。そういった雪乃さん自身のことを、僕は何も知らなかった。


「あらやだ薫さん。私の身体の具合はよくご存知じゃありませんか♡」


「……知りません、そんなの」


雪乃さんのことを尋ねる時、いつもこうして冗談を言って惚けてみせる。その度に僕はまだ雪乃さんの信用を得てはいないのだなと実感する。


「拗ねないで薫さん。別に薫さんのことが嫌いだから意地悪をしているのではありませんよ」


そう言うと、雪乃さんは立ち上がりテーブルを回り込んで僕の隣に腰を落ち着けた。


「むしろその逆で、私は薫さんに嫌われたくないのでしょうね。私の過去を知ったら薫さんも幻滅するでしょうから」


「そんな幻滅だなんて!」


雪乃さんに対して幻滅なんてする訳がない。この数週間で知り得た雪乃さんの情報は少ないけれど、分かったこともある。それは雪乃さんが文香ちゃん思いの素晴らしい使用人であることだ。


たまに雪乃さん自身の歯に衣着せない物言いからおやおやと思うこともあるけれど、根底の部分で大事にしていることはよく分かる。そんな雪乃さんを僕は尊敬していて、だからこそ幻滅するなどありえなかった。


「薫さんはお優しいですから、私の恥ずべき行いを知っても受け止めてくれるのでしょうね。でもこれは、自分への戒めですから。ですから薫さん、もし私が薫さんに話すことを決意した暁には、しっかりと聞いて頂けますか?」


真隣に並ぶ雪乃さんの瞳は真っ直ぐ僕に向けられていて、少しだけ潤んでいるようにも見える。


「もちろんです。誰にも人に言いたくないような秘密はありますから、今は無理に聞きません。然るべき時が来ても、僕は絶対に雪乃さんを拒絶しません」


「……薫さん」


雪乃さんのひんやりとした手が僕の顎を掴む。近い距離は更に縮まって、潤む瞳は僕の目の前。吐息が唇にかかっている。


「薫さん、目を閉じて。その……恥ずかしいから」


これから僕が何をされるのか。それは淡い期待に胸は高まり、僕は言われるがまま瞳を閉じた。


「いい子。はい、ご褒美」


唇に何かが触れた。上唇と下唇のその両方に、柔らかく、そして優しい圧力が加わる。どのようになっているのか、真っ暗闇の視界で知ることは出来ないが、その分想像が膨らんだ。僕の唇は雪乃さんの唇に塞がれて——


「はい、目を開けていいですよ♡」


……あれ、何で雪乃さんは喋れるのだろう。


言われた通り目を開けると、僕の唇は雪乃さんの唇ではなく、人差し指と中指で押さえられていた。


「引っかかりましたね、お馬鹿さん♡」


「んんっ! ……これは一本取られました」


雪乃さんは悪戯が成功したのが嬉しいのか、今までに見たことがないくらいの満面の笑みを浮かべていた。それはもう、無邪気に喜ぶ子供のように。……いや、邪気はあるだろうけど。


「確かに今は私とチュッチュする流れでしたが、誰彼構わずというのは感心しませんよ」


「誰彼という訳じゃ……いえ、その……はい。すみません」


きっぱりと否定することが出来ない自分が恥ずかしいが、否定をしたら嘘になってしまうので、僕は素直に謝る。


「今は誰ともお付き合いされていないのですから別に構いませんが、私のものになったらそうはいきませんよ。浮気しないようにしっかりと首輪をさせてもらいますから」


「首輪って僕は犬ですか。……ん、私のもの?」


首輪だなんて物騒な言葉が出てくるものだから思わず聞き流しそうになったが、雪乃さんは今間違いなくと言った。とも。それって……。


「な、なんでもありません! 今のは忘れてください! いや、忘れなさい。これは命令です」


ムキになっている雪乃さんは、それは怒りか恥ずかしさか。ともかく顔を真っ赤に染めて、僕をキツく睨みつけている。そんな怒った顔がどうしてか可愛く思えて、僕の頬は緩んだ。


「そのニヤケ面をやめないと、盗聴器は薫さんが仕掛けたものとしてお嬢様に報告しますよ」


「それはあんまりじゃありませんか、お姉ちゃん!」


「くぅぅ……っ! 不意打ちとは卑怯な……。ですが、無駄ですよ。いくら搦手を使おうと、私が欲しいのは弟ではなく妹ですから」


と言うものの、雪乃さんは僕から目を逸らし、荒くなった呼吸を落ち着けようと胸に手を当てて空を仰いでいる。


どうにか気勢を制することに成功したみたいだ。昨日のお姉ちゃんと呼ばれたいという欲求は本当だったようだ。


人の気持ちを逆手に取るようで気分はあまりよくないが、これ以上脱線した話を拗らせる訳にもいかなかった。


「……しかし、状況証拠的に怪しいのはまず薫さんの幼馴染なのは間違いありません。次に薫さん。そして私。というより薫さんから見れば私は真っ黒でしょうから、お嬢様の名誉と薫さんの私への信頼回復のためにも犯人を見つけます」


「いえ、僕は雪乃さんを疑ったりはしていませんよ。むしろ雪乃さんがこうして見つけて下さらなければ、僕が仮に見つけても、何だか分からずそのまま放置していたでしょうから」


そう言ったのは本心で、僕は雪乃さんに感謝している。確かに盗聴器に対する知識だけを見れば怪しいと思ってもおかしくないけれど、雪乃さんがそんなことをする人だとは思っていない。


それは櫻子さんに対してもそうで、だから僕も犯人を見つけたいと思っている。


「私も薫さんが仕掛けたとは思っておりません。とするとやはり、その櫻子さんという方が盗聴器から得た情報を知っていたという事実が大きいのです」


「分かっています。ですが櫻子さんはそんなことをなさる人ではないと断言出来ます。それを証明するには、雪乃さんの助けが必要なんです!」


僕は身体ごと雪乃さんに向けて頭を深く下げた。全ては自分が招いた過ちだ。それで今では雪乃さんや文香ちゃんにまで迷惑を掛けている。


この完全な僕の落ち度に二人や櫻子さんをも巻き込んでしまっている今、責任をとるためには何としてでもこの問題を解決しなければならない。


だけど、そのためには雪乃さんの協力が必要だった。知識も何もない僕では、好きだった人の疑いも晴らすことも出来ない無力な人間だったから。


「頭を上げてください。でないとフローリングが痛みます。一般住宅用の床板は水分に強いとは言えませんので」


「……何の話ですか、もう」


少し意味が分からない雪乃さんの言葉に、少しだけ顔を上げる。眼前に迫り影となっていた床の木目は、少しだけ色が濃くなっている。どうやら眼から溢れた水分が床を濡らしていたようだ。


「ほら、これを使って」


雪乃さんに手渡されたのは白い無地のハンカチ。それを目の周りに当てて水分を吸わせる度に、鼻腔を柔軟剤の優しい香りがくすぐる。


「泣くほど想われているのですね、その方を」


「ええ。振られようが櫻子さんは大切な幼馴染です。しかしそれだけでもありません。何より雪乃さんや文香ちゃんまでもを巻き込んで傷つけた犯人が許せないのです」


雪乃さんは僕の手からハンカチを取ると、僕の顔を手で持ち上げて、それから拭き残った涙を優しく拭いてくれた。

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