第33話 疑惑
当然雪乃さんは僕と文香ちゃんが昨日生徒会室で何をしていたのかを知っている。
仕える家族の秘密が漏れていたとすれば、使用人である雪乃さんからしても、これは緊急事態だ。
「文香ちゃんにこのことは?」
「まだ話しておりません。というより、話せるわけないじゃありませんか」
「……そうですね」
いくら文香ちゃんだって、もしあのことが誰かに盗み聞きされていたと知ったらショックを受けるだろう。
しかもこれは間違いなく文香ちゃんの危機でもあった。もし盗聴器を仕掛けた誰かがあのことを学校に報告すれば、僕だけじゃなく文香ちゃんにも学校から厳しい処分が下されるかもしれない。
そう判断したからこそ、雪乃さんは文香ちゃんには伝えずここに来たのだろう。学校に報告する目的でないとしても、情報を何かに利用した可能性もある。
「あ……」
僕はそこで一つ、盗聴器で得られた情報が利用されていたとしか思えないことが起きていたことを思い出した。
「何か思い当たる節がおありですか?」
僕の異変に気付いた雪乃さんは、それを話せと促す。
「……櫻子さんが知っていたのです。僕と文香ちゃんの……その……行為に及んだことを」
あの時はどうして櫻子さんが知っていたのか分からなかったが、それが盗聴器によってもたらされた情報なら筋も通る。
だけど、あの櫻子さんがそんなことをする人だとは思えない。いや、単純に信じたくないだけかもしれなかった。
「櫻子さんという方を私は存じませんが、記憶違いでなければ、薫さんが……その、想いを寄せられている方……でしたよね」
「……ええ、そうです。本当に好きな人でした」
僕は自分で言った言葉であの時の様子を思い出し、胸がとても苦しくなる。
「でしたということは、何かお有りになったということですね?」
僕の言葉が過去形だったからか、それとも僕の表情を読んだからか。どちらにしても雪乃さんは僕の心の動きを見逃さない。
「聡いのですね、雪乃さんは。……今日櫻子さんに振られました。決していいタイミングであったとは言えませんが、それでも自分の気持ちを打ち明けてみたのですが、他の子とするような人とは付き合えないと、そう言われました」
「それは胸糞悪い話です」
雪乃さんはあからさまに憤慨したといった様子でそう切り出した。
「確かにその件に関しては薫さんも悪いですし、お嬢様に至っては重罪ですからそこを指摘されたら『はいその通り』としかならないじゃありませんか。でもですよ、そもそも盗聴器だなんて搦手を使ってきたのは向こうな訳ですから、卑怯な手段で手にした情報を使って一方的に薫さんを責めるのが間違いなのです。これはもう、その櫻子さんとやらにしっかりとお灸を据えてやる必要がありますね。盗聴自体を罪には問えませんが、社会的に抹殺してやるのです」
熱くなった雪乃さんは止まることを知らず、次々と物騒なことを口にしている。
「お、落ち着いてください雪乃さん」
雪乃さんの気持ちは嬉しかったけれど、僕は報復を望んでいる訳じゃない。
「落ち着け? 落ち着けと言いましたか薫さんは」
僕はただ暴走している雪乃さんを宥めようとしただけだったがそれは失敗で、矛先がこちらに向いただけだった。
「薫さん。私にはこの世で許せないことが二つあります。一つはお嬢様を傷つけること。そしてもう一つは薫さん。あなたを傷つけることです。私の大切な二人を辱めた人を許せるほど器量は大きくないのです」
「雪乃さん……」
いつの間にか、僕は雪乃さんにとって文香ちゃんと並ぶくらい大切に思われていると知って嬉しく思う。だけど、このままでは雪乃さんは必ず何か行動を起こすだろうし、それがいい結果に繋がるとは思えない。
「僕はまだ、櫻子さんが犯人だとは思っていません」
「薫さん。幼馴染に対しての情があることは重々承知しておりますし、薫さんがお優しい方であることも知っています。ですが、甘やかすことが優しさではありませんよ。時に厳しく接するのも優しさだと、私は思います」
雪乃さんのこの反応を見るに、もう櫻子さんだと決め打ちしているようだ。なんだか少し意固地になっているようにも見えるのは気のせいじゃないはず。多分、本当に怒ってくれているんだ。僕のため、文香ちゃんのために。
でもまずは冷静になってもらわないと、見えてくるものも曇って見失ってしまう。
「雪乃さん。簡単でいいので、盗聴器について質問してもよろしいですか?」
「なんですか急に。まぁ、いいですけど」
唐突に話題を変える僕に対して、雪乃さんはムッとした表情になるけれど、拒絶はされなくて一先ず安心する。
「では伺いますが、先ほど雪乃さんは特殊な盗聴器と仰いましたよね。僕のような素人からすれば盗聴器自体が特殊なものに思えるのですが、あえてそのように表現されたということは、一般的な盗聴器とは何か違うのですか?」
「盗聴器に一般的もクソもありませんが、ムカついてるからといって揚げ足をとるのはやめます。盗聴器は読んで字の如く、離れたところから盗み聴く目的の道具ですが、離れて情報を得るためには電波を使って会話を飛ばす必要があります。ここまでは分かりますか?」
「ええ、続けてください」
「勿論電波を飛ばさずとも録音装置だけを仕掛けて後日回収するという方式の機種も存在しますが、今回の場合は仕掛けられたのが鞄なので除外します。電波を飛ばす盗聴器には大きく分けてアナログ式とデジタル式の2種類に分類されますが、主に使用されるのは安価で調達のしやすいアナログ式です」
アナログ式とデジタル式。言葉だけでは何がどう違うのか僕には分からなかったが、雪乃さんはそのことを承知で話を進める。
「盗聴器は仕掛けることも難しいですが、何より回収するのも困難を極めます。まぁ仕掛ける場所にもよるのですが、基本的に盗聴器を仕掛けるのは室内ですから、よほど頻繁に出入りするような場所でなければ怪しまれます。そうなってくると必然的に使い捨てのような使い方になりますので、より安価なアナログ式が好まれるのです。ところで薫さん。アナログ式盗聴器が発する電波の受信可能距離はどれくらいだと思いますか?」
「いえ、全然見当もつきません。……ですが、わざわざ会話を盗み聞きする訳ですから、近すぎると怪しまれるでしょうし、500mくらいでしょうか。アナログというのは恐らく電波の種類のことでしょうから、確か高性能なトランシーバーなら通信状態の良い場所なら、それくらい離れていても会話が出来たはずですから」
「いい線行ってますね、ほぼ正解です。流石薫さん。ですが実際には仕掛けた場所や周辺の電波状況、受信側の設備によって変動しますから、概ね20mから100mが平均的な限度といったところでしょうか」
「そんなに短いのですか?」
あまりの距離の短さに僕は素直に驚く。どうしても盗聴器といえばスパイ小説のように、かなり離れたところから相手を監視するイメージがあったからだ。
鞄に仕掛けたのが僕の動きを全て見張るためだったならば、監視する側も動き回る僕の近くにずっといる必要がある。そんな手間の掛かることをわざわざするだろうか。
「ところが薫さんの鞄に仕掛けられたこの盗聴器が厄介な代物で、これは携帯電話を改造して作られたもので、携帯電話と同じ領域で通信が可能なのです」
「ということは、日本国内であれば事実上はどこからでも盗聴が可能になるということでしょうか。……ああ、なるほど。携帯電話の通信を使うからデジタル盗聴器ということですか」
「またまた正解です。ですから、電話会社に通話料を支払い続けている限りは全国どこでも聴き放題といったところでしょうか。それに、アナログ式盗聴器と違って携帯電話は誰しも持っているが故に、ごくありふれた電波に乗るデジタル式は探知が難しいのです。そもそも携帯の電波を調べるのには、それなりの機材が必要ですから」
トントンと、パソコンに繋がっているスペアナを指で叩くと、誇らしげな顔をする雪乃さん。どうやら私が持っててよかっただろと言いたいようだった。
確かに仕事でもなければスペクトラムアナライザなんて持っている人もそうはいないだろうし、雪乃さんが盗聴器についてやたら詳しいのも助かっている。どうしてこんなことを知っているのかは気になるけど。
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