第32話 暴かれた秘密

どうにも今までの気の抜けたやりとりのせいで、急に緊急事態だと言われてもピンと来ない。しかし雪乃さんの表情は先ほどまでと違い、真面目な様子になっていた。


「本題に入る前にですね、薫さん。スマホを出して頂けますか?」


「え、ええ……」


言われた通りにスマートフォンを取り出して手渡すと、雪乃さんは操作をするでもなくスマホをテーブルの上に置いた。それからノートPCをカタカタと操作すると、画面を見つめてほうと安堵の声を漏らした。


「今は何をなさったのですか?」


僕がそう訪ねると、雪乃さんはノートPCをくるりと回してこちらに画面が見えるようにした。


「これは……何かのデータでしょうか」


PCにはいくつかのウィンドウが表示されていて、その内の一番大きく中央にあるウィンドウには、波型の二次元グラフがリアルタイムで上下に推移していた。


「では薫さん。今度は電源を落としてください」


意図を理解しないまま、再びスマホを手にして電源を切ってみると、今まで表示されていた二次元グラフは波線から一本の直線に変化した。


「……スペクトラムアナライザですね」


僕は持ちうる知識の中から思い当たるものを一つだけ見つけ出して口にした。


それがどういうものか詳しくは知らないが、確か目に見えない無線などの電波を可視化するための特殊な機材だ。


「スペアナをご存知とは、流石に博識ですね。使ったことがお有りで?」


「いえ、昔読んだ何かの本に書かれていたのを覚えていただけですから、詳しくありません。しかし、どうしてこのようなものを?」


電波の動きを調べることが出来るスペクトラムアナライザという道具は、主に無線機などの点検やアンテナ工事の際に電波の混線が起きていないかを確かめるために用いる。


それは、おおよそ業者が使う機材で、一般の家庭には必要ないものだ。多分雪乃さんのPCに接続されているものがその機械なのだろうけど、そんなものを僕の部屋に持ち込む意図が読めない。


「この部屋が安全かどうかを調べていたのです」


「それは……あまり穏やかな話ではありませんね」


「ええ、先ほど言った通り緊急事態ですから」


雪乃さんから飛び出した不穏な言葉に僕は身構える。電波を調べて何を知りたいかは分からないが、余程のことが起きたらしい。


「今日薫さんのお宅にお邪魔した当初の目的は、昨日お預かりした荷物の返却だったのですが」


雪乃さんが手で指し示すところは僕の勉強机で、その上には大きめの鞄が置かれている。


それは僕の女装の衣装が入っているはずの鞄で、あまりの悪臭がしたために雪乃さんが洗濯を買って出てくれたものだった。


「わざわざこれを届けに?」


「そのはずだったのですが、今朝鞄を確認したところ、外側の小さいポケットに、このようなものが入っておりました」


そうして雪乃さんは手前に置いていた自分のショルダーバッグから何かを取り出した。


「それは機械でしょうか? それにしても僕には見当もつきませんが」


雪乃さんが取り出したものは、書店でもらえる栞ぐらいの大きさのプラスチックの平たい棒だった。


厚みはUSBメモリくらいあり、側面には電源のスイッチと思われるボタンが付いていた。


「今からこれの電源を入れますので、薫さんはパソコンの画面を見ていてください。それと、私がいいと言うまで言葉も発しないでください」


僕は黙って首を縦に振ると画面を注視した。


雪乃さんがスイッチを押したと思われるカチリという音が鳴ると、ノートPCに接続されたスペアナが即座に反応した。電波の動きを表す波線が、僕のスマホと同じように上下に揺れ動いたのだ。


スマホの電源はまだ切ったままだったから、電波の発信源が何かを考えれば、それはいま雪乃さんの手元にある機械以外にないだろう。


雪乃さんの携帯電話という線もあったが、僕がスマホの電源を切って以来沈黙していたグラフがこうして再び動き出しているのを見るに、それはないだろう。


「もうよろしいですよ」


再度カチリと音がして、PCのグラフも横一線に戻る。


「一応確認ですが、これは薫さんのものではありませんよね?」


「勿論です。見覚えだってありません」


「別に疑った訳ではないのです。どのみち素人が手に入れられるものでもありませんから」


携帯電話と同じ電波を発する栞くらいの大きさの機械。それでいて素人では入手はできないものが僕の鞄に入っていた。その事実に僕の心も段々と穏やかではなくなってくる。


「GPSの送信機でしょうか」


僕は現時点で分かった情報からそう導き出したが、雪乃さんは首を振る。


「着眼点は悪くありませんが、そんな生易しいものじゃありませんよ」


「GPSだとしても穏やかな気持ちになれませんが、違うとなると……まさか」


ようやく僕はその機械の正体について気がついた。電波を発する機械でいて、なおかつGPSよりたちの悪いもの。


それはスマートフォンにも搭載されているGPSとは違って、日常では全く縁のないもの。特に高校生の身の上でそれに触れることはまずない。


「それは盗聴器……なのですね」


「その通りです薫さん。しかもこれは、特殊な盗聴器です」


「もしかして安全確認というのは他に盗聴器が無いか調べていたのですね」


僕にスマホの電源を切るように言ったのもこのためだろう。


「ええそうです。このスペアナの測定範囲は狭いですが、薫さんのお部屋だけでも調べるには十分ですから」


「しかし、そんな盗聴器だなんて……」


盗聴器だと言い当てたのは紛れもない僕自身だったけれど、未だ信じられずにいた。


いつ誰がどんな目的で僕なんかに盗聴器を仕掛けたのか。何にせよやり方が汚い。


「どんな目的であるにせよ、盗聴器の役割は情報収集です。何者かが薫さんの秘密や弱みを握るために仕込んだとみて間違いないでしょう。そして重要なのは、これがいつ仕掛けられたか、でもあります」


「それに……」と続く雪乃さんの言葉は僕に事態の深刻さを伝えた。


「この問題は薫さんだけではなく、お嬢様にとっても大変大きな問題です」


盗聴器がいつ仕掛けられたかは分からない。でも雪乃さんが見つけるまでの間はずっと鞄に入っていたのは紛れもない事実で、ということは、見つかるまでに起きていた僕の行動の全てが、誰かに聞かれていたことになる。


その間に起きた知られてはまずいこと。櫻子さんとの更衣室での出来事や翌日の生徒会室のでの出来事の側には、この鞄が近くにあった。


「ああっ! そんな……」


自分の身に起きたことを理解して震え上がる。この盗聴器は僕だけじゃなく、僕の大切な人達の秘密さえも盗み聞きしていたのだ。

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