第31話 父譲りの
「来ちゃった♡」
自室の扉を開けた僕に飛び込んで来たのは、いかにもわざとらしい甘ったるい声だった。
「……お茶、お持ちしましたのでどうぞ」
僕はわざとそれを無視して、部屋の真ん中にあるローテーブルの上に運んできた紅茶を置いた。
部屋が散らかっている印象を与えないように、いつもはローテーブルの上は何も置かないようにしているのだが、今日は自分の持ち物ではないノートPCと、それに接続された外付けハードディスクのような厚さ4センチくらいの箱がテーブルの中央に鎮座していたため、紅茶はテーブルの隅に置かざるを得なかった。
僕の部屋にノートPCを持ち込んだ本人、父が言うところの大事な用があるどえらい美人のお客さんの正体は雪乃さんで、今日はいつものお仕着せではなく、黒のVネックニットに白のロングスカートを組み合わせた私服を着ている。
雪乃さんはローテーブルの前にあった座椅子に腰掛けて胡座を組み、あたかも自分の家のようにくつろいでいた。
「おや、薫さん風情が私を無視するとはいい度胸なのです」
リスのように頬を膨らませて文句を言う雪乃さんだったけど、僕はどう反応したものか困ってしまう。
「いや……そう言われても。今のは何です?」
「彼氏の家に勝手に遊びに来た彼女ごっこです。合わせてくれないとダメじゃありませんか」
「経験ないですから」
突然そんなことを言われても、今まで恋人がいたことないのに、どう合わせろというのか。
恋人が出来たらこんな風に押し掛けて来るものなのかと少し考えたが、考えるだけ虚しくなるのでやめた。
僕は部屋の扉を閉めて雪乃さんの向かい側にクッションを敷いてから座ると、持ってきた紅茶を勧めた。
雪乃さんはティーカップを持ち上げてから口に運ぶと、しばらく味わってからうんと頷いた。
「流石薫さんです。薫さんの淹れるお茶はいつも美味しいですね」
「ありがとうございます。けれどいつもお屋敷で頂く茶葉に比べたら格段にグレードが落ちてしまいますから、雪乃さんのお口に合えばいいのですが」
女装特訓中、何度も雪乃さんに命じられて紅茶を淹れることがあったから、文香ちゃんの家で使われてる紅茶の種類は把握している。
その茶葉のどれもが最上級品で質が高く、自宅で飲む紅茶がどれもそれほど美味しく感じられなくなってしまったことを、よく覚えている。
「あれはいわば
そう雪乃さんに褒められて僕は恥ずかしくなった。雪乃さんとの思い出は特訓中の厳しいしごきばかりで、僕にとっては先生みたいな存在だ。今まで怒られてばかりの雪乃さんから褒められれば、嬉しいと思うほかない。
「父がお茶はおろか家事全般がダメな人ですから、自然と身についてしまったといいますか」
「ああ、あの方……」
雪乃さんは多分僕の父の顔を頭の中で思い出して、僕の顔と見比べているようだ。
「薫さんはお母様似なのですね。お父様に似なくてラッキーです」
人の親に似てなくてラッキーとはまた失礼な物言いではあったけれど、雪乃さんの言いたいことが分かる僕は思わず苦笑いしてしまう。
「どなたも僕の父を見るとそう仰るのですが、実はこれでも顔は父親譲りなのです」
僕は立ち上がり押し入れから一冊のアルバムを取り出すと、その中を開いて一枚の写真を指差して見せた。
その写真には生まれたばかりの僕を抱く母と、その隣にいる笑顔の父が写っていた。
「……薫さん。あなたって人は実は結婚していて、子供までいたのですね。既婚の身でありながらお嬢様と私を弄んだのですか」
「そんな訳ないでしょう。これは僕ではなく父です」
その写真に写る父は、今のようなメタボ気味のだらしない体でもなければ、丸顔でもなく、髪もふさふさだ。何よりその姿は——自分でも認めたくないが——僕にそっくりだった。
「……あれま」
雪乃さんは言葉通り絶句していた。視線は空を彷徨い、部屋を一回りしたと思えば僕に戻ってきた。
「将来性無しですね。今はこんなにも可愛い顔をしているというのに、時限爆弾付きとあらば欲しがる人もいませんね。ああ薫さんが不憫でしょうがありません」
「勝手に憐むのはやめてください!」
身を乗り出した雪乃さんは僕に手を伸ばして「頑張れ毛根。負けるな毛根」と囁きながら髪を撫でている。人に頭を撫でられて嬉しくないと思ったのは初めてのことかもしれない。
「私のお嫁さんに来れば植毛代はお出しします。しっかりとした栄養管理と適切な運動さえしていれば、いつまで美女のままでいれますよ」
「それで! 今日はどのようなご用件でいらしたのですか!?」
僕は頭を思い切り振り回して雪乃さんの腕を追い払った。
その時雪乃さんが「やめなさい、貴重な毛髪が抜けます」と声を上げたのは聞かなかったことにする。
「ああそうでした。薫さんと戯れるのが楽しくてついぞ忘れていましたが、緊急事態なのです」
「緊急事態なら忘れないでくださいよ」
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