第30話 この親にしてこの子あり

沙織さんとは学校で別れ、僕は一人家路に着いた。


夜の帳がすっかり降りて、辺りが静寂さに支配された頃、ようやく辿り着いた家の玄関の扉を開けると、家の奥からのっそのっそと歩いて近づく人影があった。


その人物はTシャツ短パンと、冬の始まりにいるとは到底思えないほど季節感のない格好をしている中年の男で、長年の飲酒で突き出た腹に、大して悩みなど無いはずなのに禿げ上がった頭部と肥満故の丸顔が特徴の、所謂どこにでもいそうな普通の中年男性。もとい、おっさん。そして——


「今日は帰って来たな不良息子め。心配したぞ」


僕の父親だ。


どうして父がこんなことを言うのかと言えば、昨夜の一ノ瀬邸での一件で疲れ果てた僕は、そのまま眠ってしまい、朝を迎えてしまったからだろう。


「昨日はちゃんと電話したでしょう。友達の家に泊まると」


「ああ、別にそっちは心配してない。第一お前は一人でもやっていけるだろう。だが俺は違う。俺の家事能力の無さはお前が一番知ってるだろ」


「息子の心配より自分のご飯の心配ですか、あなたって人は」


僕ははぁとため息を溢し、呆れた眼差しを肉親にお見舞いした。


別に僕は父から虐待を受けていたり、養育義務の放棄をされた訳でなく、純粋に父の食事を用意したり、家事を行うことが僕の家庭での役割だからだ。


というのも、僕が幼い頃に母が病気で天に旅立つと、残された父は一人で僕を育てることを余儀なくされた。


ここまでの身の上は、このご時世さほど珍しい話でもなく、片親に育てられたということを引目に思ったこともない。


僕自身があまり手のかからない子供であるという自負はあるけれど、それを差し引いても父は一人懸命に僕を育ててくれたと思うし、それでも片親の苦労は察するに余りある。


そんな父の助けになればといつの頃からか、僕が家の家事を担当するようになったのだが、ここ最近の父の体たらくっぷりは目も当てられない。


覚える気のない家事を僕に任せるのはいいとして、それでもたまに僕が家を空ける時ぐらいは、ご飯くらい自分でなんとかしなさいよと思う。この数年は僕に家事を依存していて、本人は顧みようともしやしない。


「まったく……。今から何か作りますから、少し待てますか?」


「いや、それは後でいい。それよりもお前にお客さんだ」


靴を脱ぎ玄関からキッチンに向かおうと、父の横を通り過ぎようとした足は止まる。


「……お客さん? 僕にですか?」


僕が向き直ると父は頷き二階を指差した。家の二階には空き部屋のいくつかと僕の自室がある。


「何でも大事な用があるとかでさ。今はお前の部屋で待ってもらってるよ。……しっかしまぁどえらい美人だわ。あれか? お前のこれか?」


「違います! そういう人はいませんから!」


自分でそう言わなければならなくなったことに腹が立ったので、ニタニタ笑いながら小指を立て見せつける父の手を即座に払い退けた。


「……というか、父さん? 出来ればお客さんの名前とかご用件を教えて欲しいのですが」


情報が「どえらい美人」だけじゃ、誰が来たのか分からない。


僕の知り合いにどえらいという形容詞が付く美人はそれほど多い訳ではないから、ある程度の絞り込みは出来るけれど、わざわざ僕の家に訪ねて来るほどの用がある人がどの人なのか。せめて会う前に知っておきたいのだけど……。


「ここにいるんだからさっさと会えばわかるだろ」


と身も蓋もないこと返事を父にされてしまい、僕の追求はここで終わった。


「あ、まだお茶出してないからヨロシク」


父の相手をやめて二階に上がろうとした僕の背後からそんな言葉が聞こえて、僕は父に対して二度目のため息を吐く。

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