第25話 ココロとカラダ
「あぁ……」
心が待ってと叫んでいる。
でも声が出せない。
漏れる息は嗚咽ばかりで、喉が掠れてしまっている。どうして声が出ないのか。それは分からない。
自分の身体のことなのに。追いかけようにも足が動かない。それは二本の棒であって僕の足じゃない。
僕の足なら今すぐ一歩踏み出して、今すぐ櫻子さんの側へ駆け寄るはずだ。
でもそうすることが出来ないということは、やっぱりこれは僕のじゃない。こんな役立たずの足なんかもぎ取って、這ってでも。
見渡す景色は全てがぼやけ、目が熱くて堪らない。
「こんな……こんなことって……」
自業自得だと誰かが叫んだ。
分かっている。分かっているそんなこと。だけど、いやだからこそ僕は櫻子さんの後を追えなかったんだ。
罪と罰。罪悪感がもたらした結果は僕の心を悲しみで満たし、身体からは力を奪っていった。
ぐらりと身体が揺れて、視界は急降下。激しく尻餅をついて廊下の床に座り込んでしまうけれど、起き上がることは出来ない。
床の冷たさが僕の中に忍び込んでくる。初めての失恋は重くて深い。
振られるのがこんなにも辛いものだなんて知らなかった。
相手を好きになるのがこんなに大変だったなんて、考えもしなかった。
こんな想いをするくらいなら、恋なんてしなければよかった。忘れよう、忘れよう。
櫻子さんのことなんか。僕には人に恋する資格なんかない。だから忘れないと。
……でも何故か、そう思えば思うほど、櫻子さんのことが好きな気持ちで溢れてしまう。
それはもう手遅れで、叶うことがない願いだというのに。
「薫君っ⁉︎ どうしたんだこんなところで」
不意に声。
振り返ったその先には沙織さんがいて、心配そうに僕の側へ駆け寄ってきた。
「大丈夫? 何があったんだい?」
「いえ……何でもありません。大丈夫ですから……」
そんな白々しい言葉でも、今はそう言うしかなかった。こんな情けない姿を誰にも見せたくなかった。
「だめ。ほらちゃんとこっちを向いて。……こんなに君が泣いているのに、放っておける訳ないじゃないか」
尻餅をついている僕に合わせるように膝をついて、沙織さんはハンカチで僕の顔を拭ってくれた。
綿の素材で頬をなぞられる度に、ハンカチは水分を吸って濡れそぼる。
眼前にある凛々しい顔立ちの少女は慈愛に満ちた表情で僕に微笑んだ。
「……今は話さなくてもいい。だけど少し落ち着ける場所に行こうか。こんなところにいつまでも君を置いておく訳にはいかないから」
「いいんです。心配してくれてありがとうございます。だけど……僕は平気ですから」
じんわりと伝わるのは沙織さんが心配してくれている想い。それはとても嬉しいけれど、沙織さんには関係のないこと、自分の問題だ。
だからこれ以上沙織さんに心配をかけたくなくて、僕は立ち上がろうとする。
「っ! ほら、しっかり掴まって。……まったくそんな状態で無理しようとするから」
まだ力の入らない足腰は、立ち上がるには早すぎた。心の問題は身体にも影響していて、咄嗟に沙織さんが手を差し伸べてくれなければ、僕は転んでいた。
優しい腕に助けられながら、僕はようやく二つの足で地を踏みしめる。
「……ごめんなさい沙織さん。ご迷惑をかけるつもりはなかったのですが」
「私は迷惑だなんて思っていないよ。だけど君は少し休んだ方がいい。歩けるかい?」
「はい。でもどちらへ?」
「休めるところさ」沙織さんは爽やかな笑顔を見せると、僕の手を引いてゆっくりと歩き始めた。
そこが何処か僕には分からなかったけれど、黙って着いていく。
櫻子さんを見た途端突き飛ばすようにして勝手に屋上へ置き去りにしてしまったというのに、それでも気遣ってくれる沙織さんの優しさに、僕は申し訳なく思う。
「友達が泣いているのに、心配するのは当然じゃないか」
心の内を読んだかのように、沙織さんは不敵な笑みを浮かべる。全てを包み込むようなその笑顔に、僕は魅了されていた。
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