第23話 誤解

積もる想いがあるのだろうか。沙織さんは懇願するように僕を見つめた。


あのいつでも朗々と物事を話す沙織さんが、泣きそうな顔で曖昧に言葉を放っている。


それだけ彼女にとってこれはとても大切なもので、それを否定されてしまう恐怖に怯えているのだろうか。


そんな姿に僕は自分を重ねてしまう。


もしこれが僕で、相手が櫻子さんだと考えた時、今まで幼馴染として一緒に過ごしてきた相手に自分の好意を拒否されたら。


きっとそれまでどれほど仲が良くても、僕はもう櫻子さんと同じ道を歩けなくなるだろう。そう考えたらとても恐ろしくなり、気が気でなくなった。


もし振られて一緒にいれなくなるくらいなら、気持ちを誤魔化していた方がマシだ。


告白はそれ程勇気がいるものだと、今更気づかされる。だからこそ、沙織さんの気持ちが痛いほど分かった。……結果が分かっているなら尚更だ。


「曖昧な態度をとらせてしまって申し訳なく思うよ。だけど……もしかしたらこの気持ちは私の一時的な勘違いなのかもしれない。それなのにこれから君と気まずい関係になってしまって、疎遠になるのは寂しいと思ってね。君はミスコンの日、私が言った言葉を覚えているかい?」


「お友達になりましょう……でしたよね」


僕が答えると、沙織さんは頷く。


「都合が良いと思われるかもしれないけれど、どうか今は私の気持ちを見なかったふりをして、私と友達になってくれないだろうか」


そう言うと沙織さんは僕の前に右手を差し出す。


その言葉を聞いた時、僕は昨日生徒会室での文香ちゃんを思い出した。


僕が文香ちゃんの想いに応えられないと伝えたら、似たようなことを口にしたからだ。想いへの諦め、想いへの誤魔化しから生まれた友情は本当の友情と言えるのか。僕には分からない。


だけどそれが嘘か真かを僕が決めつけてはいけないと思う。


妥協で生まれた友情であっても、裏にある相手の想いを無下にするのは、相手の気持ちを踏み躙ることと同じだと思うから。


差し出された手に視線を落としてみる。不安そうな沙織さんの表情……いや、感情につられ

ているのか、その手は微かに震えていた。怯えるように小さな指先に、僕は触れる。


「……僕なんかでよろしければ。沙織さん、どうか仲良くしてください」


手のひらと手のひらを重ねて、沙織さんの手を指で握りしめた。握り返される力は強く、僕たちはしっかりと握手を交わす。


「ありがとう、薫君。嬉しいよ」


「うわぁっ! ちょっ、ちょっと沙織さんってば!」


手を握った直後、突然沙織さんに強く身体を引かれると、がばっと勢い良く抱きしめられた。


突拍子もない沙織さんの行動に、僕は慌てふためいた。いきなりハグされ恥ずかしく逃げ出そうとしたけれど、沙織さんは離してくれない。


「さ、沙織さん! 一体どうしたんですか!?」


流石に突き飛ばす訳にもいかず、ささやかな抵抗として身体をぶるぶる動かしてみても、意味はなかった。


どうすることも出来ず諦めて抱きしめられたままでいると、耳元で沙織さんが囁いた。


「ごめんね。感情が昂ぶってしまって。……少し歪んでしまったけれど、初めて出来た友達だから。嬉しくて」


「初めて出来た友達……ですか。そんな大袈裟に言われると恥ずかしいのですが、沙織さんにだって友達はいらっしゃるではありませんか」


僕が知る沙織さんの記憶。それはいつも大勢に囲まれて微笑みを絶やさない沙織さんの楽しげな姿があった。だから初めての友達という言葉に違和感を覚える。


「君は本当にそう思うのかい? 確かに私の周りにはいつだって人がいたけれど、私が友達と思える人は一人もいない。……彼女達も自分を私の友達だとは思っていないだろうね」


「そんな……」


僕はそう淡々と語る沙織さんに絶句した。誰にでも気さくでありつつ、どこか一歩離れたところからみんなを見守っている。今まで親しくなかった沙織さんに僕はそんなイメージを抱いていたからだ。


「実際はそんなものだよ。彼女達が見ているのは私自身ではなく、麗しの君というアイコンに過ぎない。憧れの対象として私を祭り上げるけれど、中身を……本当の私を誰も知ろうとはしない。きっと私には興味がないんだろうね。こんな見た目だから同性に好かれるのも分かるけど、外身だけの存在なら私である必要もない。そんな人達を友達と呼べるのだろうか」


沙織さんの表情は見えないけれど、きっと自嘲するように笑っているのだろう。そしてそれは寂しさから生まれている。なんとなくだけど、僕には分かった。


「そんなの……寂しすぎます。沙織さん、僕は貴女の友人足り得るかは疑問ですが、もし僕でよければ、いつでも頼ってください。沙織さんが寂しい時の支えになります。友人として」


「殺し文句だね。としてという言葉がなければ、口説かれているみたいだ」


「もぅ! せっかく人が真剣になっているのですから、茶化さないでくださいよ」


深刻そうな声色から一転、少しだけおちゃらけた言い方になる沙織さんに僕は安心した。


お返しに拗ねるように言い返すと、沙織はふふっと漏らし笑みをして、僕を抱きしめる腕を強くした。


「……ありがとう。本当に心強いよ」


そう囁く沙織さんの声は、消えそうなほど小さかった。どうにも沙織さんの言葉は芝居掛かって聞こえるし、多分本人もそのように振舞っているのだろう。


だけど今この場にいる沙織さんは、学内の有名人「麗しの君」ではなく、ただ一人の年相応の女の子。


触れ合う体躯から伝わる沙織さんの震えが、僕にそう思わせた。……微かに感じる既視感はどうしてなのだろうか。


「沙織さん……そろそろよろしいでしょうか。その……恥ずかしいですし」


冷静になって、ここまでずっと沙織さんに抱きしめられていたという現実に気がついた僕は、放すように促した。


沙織さんの体温のおかげでこの寒い屋上にあっても凍えることはないのだが、純粋に女の子と密着しているという状況は、男として良くない。


「別にいいじゃない。こうしていると暖かいだろう? ……それにしても君は細いね。本当に男の子なのかい?」


「当然じゃありませんか……ってそういう問題じゃありません! 誰か来たらどうするのですか!」


僕は少し抵抗するように声を出すが、沙織さんは意に介さず僕の身体の線をなぞるように太ももから腰にかけて手で摩っている。


それが少しだけくすぐったく身体をくねらせると、沙織さんは面白そうに笑った。


「こんな寒い日に屋上に来る物好きなんて、私達くらいなものだと思うけど?」


「そ、それはそうかもですが……」


誰も人が来ないだろうから僕も屋上に来た訳だけど、僕と同じように考えて人が来ないとも限らない。


それにもし先生がやって来たら今の僕達を見てどう思うのかは火を見るより明らかで、屋上に男子と女子が抱き合っていようものなら、間違いなく生徒指導室へ連行だ。


そうでなくとも今朝のような女子生徒の誰かに見られたら、それこそ火に油を注ぐようなもの。


いくら友達になったからとはいえ、いや、友達同士でも抱きしめ合うのは間違いなくおかしい。文香ちゃんの時はそういう流れだった訳だけど、いつまでもこうしている訳にはいかない。


「もうそろそろいいじゃありませんか」


「薫君は嫌なのかい……?」


「嫌とかそうじゃなくて——」


抱き合いながらの押し問答。側からみたら恋人同士がじゃれあっている風にしか見えないこの状況で、僕は下へと続く階段室の扉のガラスから、こちらを睨みつける人影を見つけてしまった。


ガラスの向こうに映るのは、真っ直ぐ伸びた濡れ羽色の美しい髪。ややつり目気味の二つの眼光はしっかりとこちらに向けられていて、侮蔑の念を視線に込めている。


やがて僕と視線が交わると、その人は踵を返して階段を降りてしまう。


「櫻子さん待って!」


僕は沙織さんを無理矢理引き剥がすと、急いでその後を追った。


後ろから沙織さんが何か言っているが耳には入らない。


階段室の扉を開いて階下へ降りる。階段の途中でゆっくりと下へ降りている櫻子さんを見つけた。けれど僕が迫っていると気がつくと櫻子さんは逃げるように足を早めた。


途中の階で廊下に出ると走り出し、一瞬その姿を見失うが、僕も階段の手すりに乗って滑り、距離を詰める。


曲がった先の廊下の向こうには櫻子さんの走る背中があって、僕は最後の追い込みをかけた。徐々に迫るその距離はやがて僅かになる。


「追いかけて来ないでよっ‼」


遂に足を止め、振り返った櫻子さんは悲痛な叫びに似た声を僕にぶつける。


それは痛烈な拒絶の言葉だったけれど、僕は追いかけるしかなかった。


それは櫻子さんに見られてしまったから。沙織さんと抱き合っている姿を。


どういう経緯があったかなんていうものは、他の人からは関係ない。


ただ事実としてその結果があり、それはどう見ても誤解されてしまう行為に他ならない。


他の人なら正直気にしなかったかもしれない。だけど櫻子さんだけには勘違いして欲しくなかった。


ただ僕の話を聞いて欲しかった。

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