第21話 想いはいつも裏腹に

さっそく待ち受けていた障害は、僕の出鼻を大きく挫いた。


「まぁ、薫さま! ご機嫌よう。今日も素晴らしいお天気ですわね」


「み、三鷹先輩……あぁ今日のお姿もお美しい……」


背の高い門をくぐり抜けた僕の引きつった笑顔は天使には程遠く、汚れを知っている心身はその異常事態に大いに警戒した。校舎に一歩踏み入れば、玄関で待っていたのはマリア様のお庭に集う乙女達を彷彿とさせる女子生徒の集団。


彼女達は僕の姿を見るなり黄色い声を上げて、口々に朝の挨拶をしている。


……この学校では文香ちゃんくらいしか聞いたことがないような、信じられないくらい丁寧なお嬢様口調で。


「ご、ごきげんよう皆様……。今日も一日お励みなさい」


『きゃあ〜〜〜〜』


周囲の圧に負けて返事を返すと、耳をつんざくような歓声が辺りに響いて、僕の頭はクラクラした。


「ごめんなさい文香ちゃん。どうやら今朝は学校を間違えてしまったようです。僕の通っている学校とは少し違うようですから」


「現実逃避してはだめです先輩。私立どこぞの女学院みたいになっておりますが、間違いなくふみ達はこの学校の生徒です」


異様な空気に後ずさり、さっきの決意も破棄して逃げ出そうとするが、なんとか文香ちゃんに引き止められる。


とはいえ文香ちゃんもこの光景には面食らったのか、表情は固まってしまっていた。


男として、女の子達に囲まれるという状況はまんざらではないものなのだが、どうしてだろうか喜べない。


櫻子さんが好きだから他の女子にキャーキャーいわれても嬉しくないとか、そういう独善的なものではなくて、どうにも僕を見ているようで見ていないような気がするのだ。


「あ、あの……三鷹先輩っ!」


僕を囲む群衆の中から一人の女生徒——僕を先輩と呼ぶからには恐らく一年生か二年生だろう——がおずおずと前に出て口を開いた。


「う、麗しの君から告白を受けたというのは本当でしょうかっ⁉」


それこそ告白かと言わんばかりの勢いで飛び出した質問に僕は驚く。一瞬何のことかと戸惑って、それから一昨日のミスコン後でのことを思い出した。


その後に起きたこと方のインパクトが大きすぎて薄れてしまっていたが、確かにそんなこともあった気がする。


……そういえば昨日文香ちゃんもそんなことがあると言っていたっけ。


「確かに沙織さ……麗しの君に似たようなことを言われたのは事実です」


僕がそう答えると、質問した生徒だけでなく、やりとりを聞いていた他の生徒までが「きゃー」と嬉しそうな悲鳴を上げた。


「ちょっと皆さん落ち着いて! 僕はただお友達になりましょうと言われただけで、そんな浮ついた話ではありません!」


話以上に浮ついた群衆を窘めるけれど、僕の声は彼女達に届いていなかった。皆好き勝手にわいわいと盛り上がっている。


噂話が本当であったという面だけに囚われていて、それ以上の話は必要と言った風だった。


このまま玄関で騒いでいたら他の生徒の邪魔になってしまうから、早くなんとかした方がいいのだけど、どう収拾を図ればいいのか僕には持て余してしまう。


「朝から何を騒いでいるのですか皆さんは。他の方の迷惑になりますから、騒ぐなら他所でお願いします」


突如、ツンと透き通ったよく声が背後から聞こえてきて、一瞬にして僕を取り囲む喧騒は火の消えた蝋燭のように静まり返る。


ほら言わんこっちゃないと思いつつ、注意してくれた生徒に僕も謝ろうと振り返った。


「っ‼ さ、櫻子さん……」


そこにいたのは朝からずっと想い焦がれていたその人で、ようやく会えた嬉しさと、見られたくない場面を見られてしまった気まずさが入り乱れる。


「おはようございます、櫻子さん」


「……ちっ」


体面を繕い僕は挨拶をするも、櫻子さんは一度キッと僕を睨みつけると小さく舌打ちをして、それから無言で立ち去ってしまう。


「何ですのあのお方、感じが悪いですわね」


櫻子さんの背中が見えなくなった頃、群衆のうちの誰かがそう呟いた。それに端を発して皆口々に櫻子さんの悪口を言い始める。


櫻子さんは学内でも群を抜いて美人なこともあって、時折女子生徒の不興を買って陰口を叩かれることも少なくはない。


だけど、いざ目の前で口にされるといい気持ちがしない。それに、この中には僕と櫻子さんが幼馴染であることを知っている人もいるのに、わざわざそれを僕のいるところで言ってしまう神経が許せなかった。


「薫先輩……もう行きましょう」


頭に血が上り、彼女たちに一言言ってしまおうと口を開きかけたところで文香ちゃんが僕の袖を掴み首を振った。


この中にあって唯一僕の気持ちを知っている文香ちゃんだけは僕を気遣ってくれていた。


「……えぇ、そうね。ありがとう文香ちゃん」


文香ちゃんのおかげでなんとか踏みとどまれた僕は、そのまま彼女たちを残してその場を後にした。


もう興味は僕から櫻子さんへ移ってしまった集団は、僕がいなくなっても構うことなく、悪口に花を咲かせている。


廊下の途中で文香ちゃんと別れて、一人教室へ向かう。


どうにもさっき櫻子さんに舌打ちされたことが気になって、急いで教室に行く気になれない。どうして櫻子さんが僕にあんな態度をとったのか。理由が分からず心はもやもやする。


「もしかして……」


一つ思い当たることがあるとすれば、やはりそれは一昨日の更衣室での一件だろう。


「……ちゃんと謝らないといけませんね」


成り行きだったとはいえ起きたこと、僕の失態であったことは間違いない。だからそれを許して貰わないと、そもそも自分の気持ちを伝える以前の話だ。


教室に着いたら謝ろう。僕はそう気合を入れて足を速めた。


         ◯


「あんたは一人でご飯も食べられないの? 忙しいから付きまとわないで」


にべもなく言い放つ櫻子さんはピシャリと僕を拒絶すると、どかどかと足音が聞こえてきそうな大きな態度で教室を去った。


残された僕は遣る瀬無い気持ちでその背中を見送る。


朝からずっと櫻子さんは僕から逃げるように立ち回り、一向に声を掛けられずにいた。


機を伺って近づこうとすれば、さも偶然を装って距離を離し、また今朝の一団の様な女子生徒が教室に押しかけてきてその対応をせざるを得なかったこともあり、ようやくチャンスが訪れたのは昼休みになってからだった。


まずきっかけとして一緒に昼食をと声を掛けたのだけれど、待っていたのはさっきの言葉だった。


完全に取り付く島がなくて、僕は途方に暮れていた。ここまであからさまに態度に出されては、嫌でも自分が嫌われていることが分かってしまう。


話をしたいのに話せない。仲直りをしたいのに一方的に拒絶されるというのは、苦しくて胸が張り裂けそうだった。


いつまでも教室で突っ立っている訳にもいかず、とりあえず僕は屋上へ向かった。とにかく一人になって考えたかったから。


教室にはクラスメイトがいるし、学食にも知り合いが——もしかしたら櫻子さんもいるかもしれない。


その点、屋上は冷たい風が遮られるものもなく自由に吹き渡っていて、今の季節にわざわざ屋上に上がって過ごそうだなんて物好きもそうはいないだろう。一人きりになるにはもってこいの場所だ。


そうしてやって来た屋上は案の定無人で、流れる雲の速さに比例して、冷蔵庫の中のように冷たい風が踊っている。


向かい風に抗って屋上の縁に設置されたフェンスに背中を預けて腰掛ける。


フェンスの網から抜ける北風で耳が切り裂かれるような痛みに襲われるが、僕は然程気にもしなかった。


膝を抱えて空を見た。どんよりと灰色の冬の空は憂鬱で、それは僕の心の鏡のように晴れ渡ることはなかった。


うっすら届く喧騒は下から上に。賑やかな声はどこか遠く、考えごとがしたくて一人きりになったのに、一人になった途端たゆたう心を持て余して、ぼんやりと景色を眺める以外に出来ることがなかった。


そのうちに景色は霞み、凍える風が心地よくなる。体は床に沈み込むかのように重くなるが、それはとても心地良い。


これが微睡みの始まりだと気づいた頃にはこっくりこっくりと舟を漕いでいる自分がいて、ここが屋上だとかそんな些細なことはどうでもよくなる。


昼休みの間だけ。そう思い僕はやってきた睡魔の誘惑を受け入れた。


眠りに落ちる僕にとって、ガチャリとなる扉の音は一瞬のノイズに過ぎなかった。

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