第14話 躾が必要なのは……
「その男性的な内面を残しておいたのは温情だとお伝えしたではありませんか。その気になれば今すぐこの中途半端オカマ野郎を完全な女性に仕立て上げることも可能だと言うことです。……そうですね薫さん、先程の呼び方の件ですが」
「は、はい……」
雪乃さんは話の途中で僕を呼ぶと、僕は二の句の前で返事をしてしまう。
内面まで女にされるのは堪ったものではないが、脅迫されている身の上では逆らうことも出来ない。
「やはり『お姉さま』は違和感がありますので、ここは一つ私のことを『お姉ちゃん』とお呼びください」
「お姉ちゃん……ですか」
何と呼ばされるのかと思えばそれは、至って普通の呼び方だった。
お姉さまと違って別段浮世離れしてもいないし、それくらい呼ぶなんてどうということはない。
そう思った僕は躊躇いもなく口にした。
「雪乃お姉ちゃん」
「はうう♡ ……さ、最高ですか薫さんは。もう一度! もう一度お願いします!」
「お姉ちゃん、雪乃お姉ちゃん!」
雪乃さんの要望に応えて、やけくそ気味に何度も「お姉ちゃん」と連呼すると、その度に変な声を上げて悶えていた。
「はぁ……はぁ……萌えなのです。私はこんな可愛い妹が、昔から欲しくて堪らなかったのです」
微妙に死語になりつつある言葉を使ってしまうほど、雪乃さんは顔を真っ赤にして喜んでいた。なるほど、雪乃さんは理想の妹を作ろうとしていたのか……。
「ちょっと雪乃さん! ふみのお姉さまを盗らないでください!」
それは対抗意識なのだろうか。文香ちゃんは僕の腕を自分に抱き寄せて、しっかりと捕まえた。腕に柔らかな感触が伝わって、思わず鼓動が高鳴る。
「あら、お嬢様は今日だけのお約束ではありませんか。ということはつまり、明日以降はもうお嬢様の占有物ではなくなる訳で。ならば今から唾をつける……もといマーキングしたところで問題はないじゃありませんか」
「問題大有りです! まだ今日は終わっておりませんから、お姉さまはれっきとしたふみの恋人なのです」
バチバチと音を立てて、二人の視線はぶつかり合い火花を散らしている。最早主従関係というよりも家族の姉妹喧嘩を見せられているような気分だ。
「あぁ、おいたわしやお嬢様。報われない恋心だというのに一時の偽りの恋人にそこまで情を入れ込んでしまわれては、本当に明日からどうなさるおつもりですか」
「そ、そんなこと分かっておりますわ! ふみも子供じゃありませんから、なんとかなります」
図星を突かれたのだろうか。文香ちゃんは反論するも、その声は上擦ってしまいだいぶ情けなく響いていた。本人にも自覚があるのだろう。掴んだ僕の腕にはより一層の力が加わる。
「子供とか大人とかで片がつく問題ではありません。男と、女。ケ・セラ・セラで済むならば、悩める乙女……いや元乙女も、不埒なオカマ野郎も生まれないのです」
そう言って雪乃さんは僕に視線を向ける。
「薫さん。薫さんのことですから、きっとお嬢様のためと思ってなさったことなのでしょうが、抱いてしまうのはやりすぎです。役得だなんて打算や下心もあったのでしょうが、それは男なので仕方がないでしょう。……しかし薫さんも想い人がいる手前、軽率だったのでは?」
「はい……。返す言葉もありません」
まさに言われた通りで、僕も正直下心があったことは否定出来ない。
今日だけだと甘い言葉に誘惑されてしまったことは事実だ。櫻子さんのことが好きだと自覚した直後に違う女性を抱きしめた。
きっと櫻子さんが知ったら……いや、他の誰だって僕を軽蔑するだろう。そう考えるとやはり後悔の念が湧き上がる。
「よしよし。反省している良い子の顔をしています。その可愛いお顔を見れただけで、お姉ちゃんとしては不甲斐ない妹を許してしまいます」
落ち込んだ僕に雪乃さんはとても優しい顔をしてくれた。それはまさに妹を見守る姉のように、慈愛に満ち溢れている。
きっと演技なんだと分かっていても、つい見惚れてしまう。僕から視線を隣に流した雪乃さんは、その先の文香ちゃんを見て一転、表情を曇らせる。
「それにひきかえお嬢様ときたら……いつまで薫さんの腕を抱えているのですか。いくら駄々をこねても、あと数刻もすれば貴女のものではなくなるのです。後に尾を引くくらいなら、潔く今ここで身を引いた方が楽になれるのですよ?」
「そ、それでも……それでもふみはお姉さまをお慕い申し上げているのです!」
文香ちゃんはそれでも抗うようにいやいやと首を振っている。そこまで僕を好きでいてくれて、男としては嬉しいとさえ思う。
櫻子さんはここまで僕を好きになってくれるのだろうか。まだ僕は櫻子さんに気持ちを伝えていなくて、櫻子さんは僕のことをただの幼馴染としか思ってはいないだろう。
もし仮に櫻子さんに想いを伝えたとしても振られてしまう可能性がある。いや、そっちの方が高いだろう。
……ならば、今僕をこんなに想ってくれている文香ちゃんの気持ちを受け入れるべきなのではないだろうか。
「いけません、薫さん。情に流されてはご自分の本当の気持ちとは言えないのでは? 都合がいいお嬢様と添い遂げようとしても幸せにはなれませんし、お嬢様にも失礼な話です」
それは僕の心を呼んだかのような指摘だった。雪乃さんの言う通りそれは文香ちゃんの気持ちを利用しようとしてるだけの自分勝手な考えだった。
「ごめんなさい、雪乃お姉ちゃん。私の考えが軽率でした……」
「もーいいんですよぉ薫さぁん♡ お利口さんですねぇ」
普段の雪乃さんはとてもクールな毒舌屋なのだが、お姉ちゃんと呼ばれただけでその表情は甘々になってしまう。そのギャップが僕には新鮮だった。
「しかしまぁ……お嬢様の聞き分けのなさには呆れてしまいます。てっきり躾が必要なのは薫さんだとばかり思っておりましたが、実のところはお嬢様の方だったとは」
「な、何をなさるおつもりですの……雪乃さん」
雪乃さんの眼差しは、僕に特訓をしていた時のような、それは険しいものになっていた。
僕の特訓を間近で見ていた文香ちゃんは、雪乃さんがその顔をした時に恐ろしいことが起こることを知っていて、これから自分の身に何か起きるのではないかと身構えていた。
その顔は恐怖に引きつっている。
「いえ、私は別にお嬢様に何かをするつもりはありません。まかり間違えても大事なお嬢様ですから。……しかしその未練がましい執着心はしっかりと躾して矯正しなくてはなりません。これは侍女としての義務なのです」
「ゆ、雪乃さん……」
雪乃さんの笑顔はあまりに強烈な怪しさを纏っていた。それは形容するのも難しく、ただただ心が冷えてしまうような、そんな笑顔。
文香ちゃんは蛇に睨まれた蛙よりも硬直していた。
「薫さんも協力していただけますね」
「は、はい……」
それは文香ちゃんだけでなく、何故か僕にとっても何か悪いことが起きるような予感がしたが、有無を言わせない雪乃さんの雰囲気に気圧され、渋々了承した。
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