第13話 逆光源氏

「しかし私の心配も杞憂に終わったというものです。おめでとうございますお嬢様。たしかに今の見てくれはただのオカマ野郎ですがお顔は悪くありません。お嬢様の面食いっぷりには呆れますが、中々お似合いだと存じます」


突然の祝福に僕も文香ちゃんも一転、きょとんとした顔をしてしまう。それから雪乃さんの言わんとしていることを理解するが、これまた説明に困ってしまう。


「何をとぼけた顔をしているのですか、お二人とも。この私の目を誤魔化せるとお思いだとしたら、侮られたものです。以前からこのようにご一緒にお茶をすることはございましたが、そこまで密着しているのを見るのは初めてです。これを見て何もなかったと思う方が不自然でしょうが。それに私はお嬢様のお気持ちを知っておりますから尚更です」


雪乃さんの指摘もその通りで、当然僕たちの間に起きたことは、何もなかったでは済まされない。現にこうしてくっついて座っているのは無意識だったけれど、それだけでも他人から見れば関係性が変わったと思うのは当然かもしれない。


とは言え正直に言う訳にはいかないのだけれど……。


「お嬢様、私に教えてくださっても良いではありませんか。今朝の覚悟したようなお顔で学校に向かわれる様子を見れば、私も察しがつきますよ。この草食系美男子にどこまでしたのです。Aですか、それともBですか?」


僕は何が何でも口を割らないぞと意気込んで雪乃さんの質問を待ち構えていたのだが、予想に反して雪乃さんの矛先は文香ちゃんに向けられていた。


「ABCって……意外と古風なんですね雪乃さんは」


「お黙りなさい、薫さん。今はお嬢様にお伺いしているのですから、余計なことを言わないように」


「は、はい……」


なんとか話を逸らしてこの質問をうやむやにしてしまおうと画策するも、雪乃さんに機制を制され失敗に終わってしまう。もう後は文香ちゃんが口を割らないことを願うばかりだった。


「し、Cです……」


「ちょっと文香ちゃんっ!」


しかし文香ちゃんは問い詰めるような雪乃さんの眼差しに耐えられなくなったのか、あっさりと白状してしまう。


僕は慌てて取り繕おうとしたが、すっかりニヤケ顔になった雪乃さんを見て間に合わないことを悟る。


「上出来ですお嬢様。大概の男は乳を揉ませてやれば言いなりに出来るものですから、既成事実を作ったお嬢様の大勝利なのです。つきましては不肖雪乃、晴れて恋人同士になられた二人を祝福いたします」


雪乃さんは誤解を抱いたまま盛り上がってしまっていた。


確かにここまでの話だけではそう思っても仕方はないのことだけれど、事実を説明したらしたで大変なことになる予感がする。そう僕が悩んでいると、文香ちゃんはおずおずと口を開いた。


「雪乃さん……お祝いの言葉はまたの機会にということで、お願いいたします」


「それは、どういうことでしょうか」


それは悲しそうに泣き出してしまいそうな表情になる文香ちゃん。


ギロリと眼光鋭く疑惑の目を僕に向けている雪乃さんは、口パクで「説明しろ」と動かした。その表情の恐ろしさに、僕は身震いしてしまう。


「いやその……実は、私は文香ちゃんとお付き合いはしていないのです」


遂に僕は観念して正直に今日の出来事を洗いざらい話すことにした。


僕が口を開いている間、雪乃さんは口を挟むことはしなかったが、話が進むごとに額に青筋が浮かび、怒りの色を露わにしていた。


「最低ですね。クソ野朗ですね。オカマの分際で下半身の欲求には素直ですか。恥を知ればいいのです」


話が終わるや否や、待っていたのは罵詈雑言の嵐だった。


予想はしていたし、僕のしたことは客観的に見ても最低なことは分かっていたので、素直に受け入れる。


だけど雪乃さんが文香ちゃんのことでここまで怒るのは予想外で、僕は驚いていた。なんとなく雪乃さんは人間関係に淡白なイメージがあったからだ。


それは文香ちゃんに対しても例外じゃないと思っていて、今回の話を聞いてもただ僕に侮蔑の視線を送る程度だと思っていただけに、ちゃんと文香ちゃんのことを想って怒る雪乃さんは、やはり素晴らしい使用人なのだと感じる。


「話を聞いていたでしょう雪乃さん! 今回のことはふみが誘ったのがいけないのですから、どうかお姉さまを責めないでください」


健気に僕を庇ってくれる文香ちゃん。だけど雪乃さんは文香ちゃんに対しても言いたいことがあるようで、それは責めの方向をスイッチングさせるきっかけにしかならなかった。


「誘われたからとほいほい言う通りになってしまう薫さんの節度もいかがなものかと存じますが、誘う方も誘う方ですお嬢様。なにを今日だけと舐めたことを言っているのですか。自らの処女を餌に男を釣るのならば、自分のものになるように仕向けなくてどうなさるのでしょう。いじましくも『お姉さま』と呼んでいるのも気に入りません。花物語を読んでいる気分にさせられるのは薫さんのお名前のせいでしょうが、腹立たしいのです。どうせなら薫さんが私をお姉さまと呼ぶべきなのでは?」


「ど、どうしてそうなるのでしょうか……」


僕の頭には疑問符が浮かんでいる。確か途中までは文香ちゃんにものを言っていたのはずなのに、あまりの話の脱線ぶりにこれは何が意図があるのではと勘ぐってしまう。


突進しようとスピードを上げたら、あまりの速度に勢い余ってしまったとか、そういった類のものだろうか。


「何をしているのですか。早く呼んでください、『お姉さま』と。それともなんでしょうか、薫さんはお嬢様を傷物にしておいて、私の言うことが聞けないのですか? 私がこの一件を旦那様にお話してもよろしいのですよ」


「あ、あわわ……」


その脅しは強烈に効いた。 僕は文香ちゃんのお父様が今回の一件を聞いたら、どのような反応をするのか。……想像するまでもなく僕は終わりだ。


文香ちゃんのお父様とは何度かお会いしたことがあるが、この辺りを取り仕切る企業の社長ともあって、それは荘厳な風格を持ち合わせた厳しい顔つきの人物だ。


それでいて一人娘の文香ちゃんを溺愛している。


もし仮にこの話が雪乃さんによってもたらされたら、下手をすれば僕はもうこの地域では暮らしていけなくなるかもしれない。それくらいの影響力が一ノ瀬家にあるのだ。


「今日は旦那様も奥様もこの家にはいらっしゃいませんが、大事なお嬢様の一大事です。私が電話の一本でもかければ、即座に駆けつけて薫さまをふん縛ったとしても、おかしくはありません」


「ゆ、雪乃お姉さま……。これで、よろしいですか……?」


僕は屈服した。


お父様に言うぞと脅されれば僕は言うことを聞かざるを得ない訳で。


何もお姉さまと呼ぶくらい大したことじゃないのだが、拒否権がないが故に、若干の反抗心も生まれてくる。


それでも従わなければならないという状況は、必然的に僕の心の中に悔しいという感情を湧き上がらせた。


「中々良い表情ですね薫さん。正直そのお顔を見ていると嗜虐心をくすぐられるというものです。……ですが、どうにもしっくり来ないのは何故でしょう」


「何故……と言われても私にはどうしたものか」


なんだか納得がいかないようで、顎に指を乗せて「うーん」と考え始める雪乃さん。


いずれにしても従属状態にある僕は雪乃さんに生殺与奪を握られているも同然で、雪乃さんが次に何を言い出すのか、身構えて待つ以外に選択肢はなかった。


「そうですね。お姉さまはやっぱりやめましょう。考えてみたら、私はお嬢様と違ってエスの趣味はありませんから」


その雪乃さんの言葉に僕はほっとした。


確かに「お姉さま」と呼ぶこと自体には抵抗はないのだが、それは男としての視点だ。


いや、男がお姉さまと呼ぶのも変なのかもしれないが、僕が今女装をしていて、傍目には女の子にしか見えないという点を踏まえてみると、些か倒錯しているようにも思える。


あ、だから雪乃さんはあえて「エス」と表現したのかも。 


エスとは大正から昭和初期に掛けて流行した小説のジャンルのことだ。


エスはsisterの頭文字からきており、思春期の少女達の友情や恋愛といった、恐らく当時ではタブーである同性愛といったセンセーショナルなテーマで書かれたものが多い。


エス文学作品の多くは女子生徒が年上の女子をお姉さまと呼び、擬似的な姉妹関係を結ぶ。


それは一見するとただの敬愛を込めた呼び方なのかもしれないが、妙に艶やかに思えてしまうのは、今日までのエス文学の影響——俗な呼び方をすれば百合——のせいなのかもしれない。


ちなみに、先ほど雪乃さんが言った「花物語」も有名なエス文学作品だ。


「まぁ雪乃さんったら、ふみは同性に過度な親密さを求めたりはしません。お姉さまの女装されたお姿にも、心惹かれるものがあることは否定致しませんが、ふみが薫先輩をお姉さまとお呼びするのは、それは薫先輩がふみのお姉さまであるが故なのです」


「お嬢様のその理論は理解しかねますが、それはそれで倒錯しまくりです。薫さんが女装に目覚めるきっかけの話を持ちかけたのは他でもないお嬢様だというのに、いつの間にかその姿に惚れ込んでご自分からお姉さまと呼び心酔しているとは。アレですか、お嬢様は紫の君を見出した光源氏を気取っていらっしゃるのですか」


紫の君とは古典で有名な源氏物語に登場する女性だ。


幼いながらもあまりの美しさから光源氏が惚れ込んで、自らの屋敷に匿い理想の女性に育て上げ後に妻として娶るというエピソードが有名で、巷にはこれを因んで光源氏計画という言葉があるようだ。


それよりも僕としては使用人である雪乃さんが、文香ちゃんに対して歯に衣着せぬ物言いをしているのを見るだけでハラハラしてしまうのだが。本当に大丈夫なのか、この人。


「ま、光源氏で言うならば、少なくともそっちの方では私の方がお嬢様よりも部がありますけれど」そう言って雪乃さんは不敵に微笑む。


話の脱線は加速度的に増していく。


「ど、どういうことですの?」


何やら不穏な空気を感じたのだろう。文香ちゃんは僕の手の甲に自分の手を重ねると、ぎゅっと握りしめた。いや文香ちゃん、この状況でくっつくのは問題があるかと……。


「お忘れですかお嬢様。薫さんの今の姿を作ったのは、紛れも無いこの私だということを。お嬢様は恐らくお分かりにならないと存じますが、女装した薫さんの所作のひとつ一つは、完璧に私の好みになるように仕向けたのです。こうして完成された姿を見ると苦労が報われたようで嬉しくなるのです」


「ええっ!」


驚きの声を上げたのは僕だった。女装の特訓はそれは辛い日々だった。何度もここまでする必要はないのではないかと疑問を覚え逃げ出そうともした。


打倒櫻子さんという分かりやすい目標があったのも大きいが、何より厳しいけれど熱心に雪乃さんが「完璧な女性」になるための指導をしてくれていたことが心の支えになっていた。


だから雪乃さんの期待に応えようと僕も必死になった。ところが実のところ、それは雪乃さんにとって「理想の女性」にするためだったと言われてしまっては、もう返す言葉が見つからない。


これこそまさしく光源氏計画……いや、逆光源氏計画じゃないか。


「ふみのことをやれエスだ、やれ面食いだと言っておきながら、よっぽど雪乃さんの方が酷いではありませんか! それに、ふみがお姉さまを好いているのは外見だけではありません。いくらお綺麗になられて、流麗な女性のお声を巧みに使いこなしていても、失われることのないお姉さま本来の男性的な内面を感じるからこそ、ふみはお姉さまを好きでいられるのです」


文香ちゃんは憤慨した様子で抗議している。


そりゃ、あれだけ散々言われていたら怒りたくなる気持ちも分かるが、その台詞が僕には恥ずかしくて堪らなかった。


自分の気持ちを雪乃さんに盗み聞きされていたと知ったせいだろうか、文香ちゃんはもう何も隠そうともしなくなっている。 

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