第12話 調教済み?!

「遂に開き直りやがりましたか、女装趣味の変態クソオカマ野郎」


その言葉は予想していたものよりも微妙に酷い言い草で、文香ちゃんの住んでいる一ノ瀬邸の玄関の前で心が折れそうになる。


文香ちゃんを出迎えた侍女の雪乃さんは、隣にいた僕を見るなり開口一番それだった。


「貴方を指導している時からそれなりの素養は感じておりましたが、こんな短期間で常時女装するまでになってしまうとは……嬉しいやら悲しいやら。あ、別に嬉しくはありませんね」


「ゆ、雪乃さん……勘弁してくださいよ……」


そんな雪乃さんに対し、僕は苦言を呈すのがせいぜいだった。


雪乃さんははっきりとした顔立ちのそれは美しい女性だ。そこら辺の人が着たらただのコスプレにしか見えないであろうお仕着せのメイド服を完璧に着こなし、家政婦の仕事も完璧にこなす。


長い髪をギブソンタックに纏め上げた上品な出で立ちと、どこか日本人離れしたエキゾチック雰囲気を醸し出す顔つきは何処かの一流ファッションモデルのようであったが、口が悪いのが玉に瑕。


女装特訓中に何度もキツイ言葉を投げかけられた僕は、雪乃さんには逆らえなくなっていた。


「雪乃さん。お姉さまは確かに女装趣味かもしれませんが、オカマではありませんわ。こうして帰りが遅くなったふみを送り届けてくださった、とても紳士な方ですから」


横から口を挟む文香ちゃん。確かにフォローをお願いしたけれど、はっきり言ってフォローになっていない。そもそも女装趣味じゃないし!


「まぁ、お嬢様……。薫さん? 貴女、お嬢様に『お姉さま』と呼ばせるなんて、オカマの分際で図に乗るなです」


「呼ばせてなんていませんよ!」


僕は抗議の声を上げるも雪乃さんは意にも介していなかった。と言うか雪乃さんは雪乃さんで、雇用主の娘の話をまるで聞いていなかった。


昔と違って使用人といえど、そこまで忠誠心というものは必要無いのかもしれないけれど、雪乃さんは割と文香ちゃんに雑に接する時がある。今時はそういうものなのかな。


「まぁいいでしょう。お嬢様を送って頂いたお礼にお茶でも淹れて差し上げますから、どうぞ中へ」


「は、はぁ……お邪魔します」


まるで家の主人のように中へ招く使用人の姿に違和感を覚えつつ、僕は文香ちゃんの家の敷居を跨いだ。


一ノ瀬邸の玄関は僕が家で充てがわれている一人部屋よりも広く、一面が大理石で敷き詰められたとても豪華な造りをしていた。


まるで来客者を食い殺そうと待ち構えているような熊の剥製は、はっきり言って悪趣味で、僕が初めて来た時は驚きのあまり腰が抜けそうになったのを覚えている。


「客間でお待ちください。場所は——言わなくてもお分かりですよね。女の家を知り尽くしているのは、男としてはさぞ気分がよろしいでしょうが」


相変わらず一言多い雪乃さんの言葉に従って、僕は文香ちゃんと客間に向かった。雪乃さんの言う通り、確かにこの家の大体の部屋の場所は把握していて、悔しいけれど迷わず進む。


客間は二十畳はあろうかという大層な大きさで、来客用に用意されている如何にも高価そうな欅の木で作られたテーブルと、天鵞絨貼りのソファが中央に鎮座していた。


文香ちゃんと隣り合うようにソファに腰掛けると、妙に座り心地の良いソファのせいで、余計に緊張して疲れてしまう。


「ふふっ、お姉さまは相変わらず雪乃さんに気に入られていますのね」


客間に着いて一息、ぴったりと側についている文香ちゃんは面白そうに言った。


「どこからどう見たらそう見えるのでしょう……。私には嫌われているようにしか思えませんが……」


「お判りにならないのですね、お姉さまは」


文香ちゃんはそう言ってやはり可笑しそうに笑うが、やはり僕にはさっぱりだった。


「相変わらずの鈍感ぶりでいらっしゃいますが、雪乃さんは基本的にお客様には歯牙にもかけないのですよ。それが例え、お父さまの客人であっても」


「それはまぁ……あまりにも野放図と言いますか」


というか使用人としてそれで良いのだろうか。


「そこはお父さまもお母さまも承知で雇っていますから問題ないのですが、むしろ驚きなのはあの雪乃さんが自ら、お姉さまの特訓に名乗りを挙げたことなのです」


文香ちゃんがわざわざ「あの」を強調していうくらいだから、それはきっと凄いことなんだろう。


確かに本当は文香ちゃん自身が僕の女装の特訓をする予定だった。そのために僕は文香ちゃんの家を訪れた訳だけど、事情を知った雪乃さんは文香ちゃんでは至らないと自ら指導役を買って出たのだ。


そのおかげで、少し病的なまでに完成された女性としての所作を身につけられた訳だけど、僕自身はその特訓がトラウマになっている。


女性としての基礎を叩き込まれ、少しでも男性的な動きになれば厳しい指導が飛んでくる。あの特訓の日々は悪夢でしかなかった。


「雪乃さんがお姉さまを嫌っていたならば、あそこまで熱心な指導をするはずがないのです」


「確かに嫌いではありませんが、別段気に入っているという訳ではありません」


そう言ったのは雪乃さんで、手にはティーカップを乗せたトレーを持って客間にやってきた。


そして文香ちゃんと僕の前にカップを置くと、対面するソファーの前にもう一つ置いて自らも腰掛けた。


ちゃっかり自分のも用意している辺り、流石雪乃さんだと思う。


「こんな美少年を調教する機会など中々ありませんでしたから正直ラッキーと思いましたし、日頃お嬢様が熱く語る『薫先輩』とやらがどんな男か知る良い機会でもありました」


「ちょっと、雪乃さん! それは言わないと約束したじゃありませんか!」


「お嬢様。一方的な要求は約束とは言わないのです」


何やら慌てた様子で訴える文香ちゃんだったが、雪乃さんはさらりと知らんぷりをしている。


こういう主従関係もありなんだなと微笑ましくなりつつ、聞き捨てならない言葉があった僕は空かさず口に出す。


「調教って、私は別に雪乃さんに調教された覚えはありませんよ」


厳しく指導された覚えはあるけれど……。


「いいえ、まさに今の薫さんが調教された証なのです」


雪乃さんは紅茶を啜りながら、余裕の笑みで僕に言い放った。


「現に薫さんは今、女性の声でお話しされているではありませんか」


「いえそれは——いや、でも確かに……」


僕は言い返そうとしたが、出来なかった。僕は自分の意志で女装した時は女声を使おうと決めていたはず。


しかし思い返せば、何もそこで女声を使わなくてもいいという場面は何度もあった。だけどそうしなかった。何故ならその選択肢が頭に浮かばなかったからだ。


「悔しそうな良い表情をなさいますね、薫さん。嫌ならばご随意に。どうぞ元の低いお声でお話しになっても私は一向に構いませんよ?」


そう挑発的な笑みを浮かべる雪乃さんに、僕は沸々と反抗心が芽生える。そこまで言うのなら望むところと、僕は女装したままの姿で本当の、男の自分を意識する。


「ぼ、ぼく……ぼ、ぼ……っ⁉ そんなっ⁉」


僕は驚きのあまり目を見開いて雪乃さんを凝視した。「ぼく」という単語だけは辛うじて出た。だけどどうやっても男の声にはならず、音は女性のままだったのだ。


「無駄ですよ。私はそういう風に貴方を仕込んだのですから」


「くぅっ!」悔しさのあまり言葉にならない。


いつの間にか、女装している間は男の声を出せない身体にされていた。僕の中の性的自覚はどんどんと揺らいでいく。


「調教というより洗脳……催眠術の域ではありませんか」文香ちゃんは明らかに引きつった表情を雪乃さんに向けている。


「分かっておりませんねお嬢様は。洗脳してしまっては身だけではなく心まで女になってしまうじゃありませんか。それでは意味が無いのです。身体は女の子になっても心は男のまま。その狭間で揺れ動き苦悩する様が最高に唆るのですよ」 


「く、屈折しているのね……雪乃さんは」


もう文香ちゃんは自分の使用人にドン引きだった。それは僕も同じで、自分がいつの間にかそんなことになっていたことに絶望していた。


指導が厳しいのは嫌われているからとばかり思っていたのが、実はおもちゃにされていると知れば誰でもこうなるだろう。


結果的には成功だったのかもしれないが、素直に感謝は出来ない。


「でも薫さんの心まで女性にしなかったのは、お嬢様のためでもあったのですよ」


「ふみのためですか?」その意外な言葉に文香ちゃんは即座に反応した。


「そうです。あれだけ毎日『薫せんぱぁい! 好きぃ♡ 好きぃぃ♡』と乙女の純情丸出しな独り言をぶつぶつ言っているのを盗み聞けば、誰だって応援したくなるというものです」


微妙に似ているか判断がつかないモノマネを交えながら雪乃さんはそう語る。


「ちょ、ちょっと雪乃さん! 盗み聞きって、文香ちゃんが可哀想じゃありませんか!」


僕は居ても立っても居られなくなって雪乃さんを窘めた。誰にも聞かれたくないことだったのか、文香ちゃんは可哀想に顔を真っ赤に染めながら「あ、あぁ……」と唸り声を出している。


対する雪乃さんは「聞こえてしまったものはしょうがないのです」と開き直っていた。


いや貴女、今盗み聞きと言ってたではありませんか……。


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