第11話 仮初の恋人

蛍光灯の光は白く眩しかった。窓の外の景色がとても暗いせいだろうか、昼間ですら部屋を照らすには十分な光は、闇夜の中では必要以上に感じてしまう。


全てが終わって僕たちは、最中に乱れた服を着直して体面上は普通を装っていた。


いや、実際はつもりになっていただけで、僕はまだ女装をしたままであったし、何より椅子を二つ並べて、隣り合わせに手を繋ぎながら座っている様は普通じゃないのかもしれない。


だけどそれでもいいと、僕は思っていた。


手のひらから伝わる文香ちゃんの温もりは、心の隙間にするすると入り込んで、僕の奥底に燻るチクチクとした痛みを誤魔化す鎮静剤のように、心に穏やかさをもたらしてくれた。


「ずぅっとこうしていられたらいいのに……」


僕の肩に頭を預けながら、文香ちゃんはそんなことを呟いた。


「……ええ、本当にね」


不意に、僕はそんなことを口にしていた。それは僕が口にしてはいけない言葉。


ただ文香ちゃんを傷つけるだけだと分かっていたのに言葉になってしまったのは、元から少なからず抱いていた文香ちゃんに対する好意が、愛し合ったことをきっかけに表面化したせいだろう。


「ごめんね……文香ちゃん」


僕はそんな風に謝って、文香ちゃんの髪の上に頬を重ねた。


「……いいのです、お姉さま。無理に迫ったふみをまだ嫌いにならないでくださるだけで、ふみは幸せですから」握られ絡む指先に、ぎゅっと力がこもる。


遠くの方から音がした。澄んだ空気を震わせて、それは誰かが話す声。冷たい夜の空気は外で歩く誰かの楽しげな会話を乗せて僕らに届けている。


隙間から忍ぶ風は二人の肩を縫うように抜けていき、自然と寄り添う密度は高くなる。


冷気に晒される身体は震えることなく、内側から湧く暖かさに身を委ねて、まどろみの中を僕は泳いでいた。


ずっとこうしていられたらいいのに。そんな文香ちゃんの言葉を思い出して、僕もやっぱりそうあればいいなと、名残惜しくもそう思った。


「そろそろ帰りましょうか」


僕の一声に文香ちゃんは身体を起こし、それから「んん」っと一つ、空いている腕の肘を背中の後ろに曲げて身体を伸ばす。


固く結ばれていた指はどちらからともなく離されて、それまで中にあった温もりは瞬く間に風に流された。


「すっかり遅くなってしまいましたね、お姉さま」文香ちゃんに言われて壁に掛けられた時計を見ると、針は7時を過ぎていた。


「通りで冷える訳ですね。こんなに遅くなってしまったのは私のせいでもありますから、家まで送っていきますよ。先に玄関で待っていてください」


「先に……ですか?」僕の言葉に文香ちゃんは怪訝そうに尋ねる。「送って頂けるのは嬉しいですが、それならば今すぐ一緒に部屋を出てもよろしいのでは?」


「文香ちゃん、お忘れですか?」そう言って僕はチラリとスカートの端を持ち上げる。そこでようやく合点がいったのか、文香ちゃんは「あぁ」と声を出した。


「着替えてしまわれるのですか?」


「そんな恨めしそうな顔をしてもダメですよ、文香ちゃん。文化祭が終わったのにも関わらず、私がこの姿のままで過ごしていたら、誰になんと言われるか分かったものではないわ」


とても残念そうな表情を浮かべる文香ちゃんを窘めるが、まだ納得していない。文香ちゃんはそんな顔をしたままだった。


「お姉さまは意外と外聞を気にされるのですね。ふみに言わせれば、ミスコンで並居る美少女達を差し置いて、山岸先輩に肩を並べるくらい堂に入った女装を披露された方が、今更何をおっしゃっているのですと言いたくなります」


「それはそうなんでしょうけど……」文香ちゃんの言うことは図星ではあったものの、どうしても釈然としない気持ちが沸き起こる。女装出場をオファーした本人に言われたからだろうか。


「それにですね、ふみが思うにお姉さまは学内のお知り合いにそのお姿を見られるのが恥ずかしいのでしょうが、こんな時間です。残っているのはせいぜいふみ達だけで、誰とも会うとは思えません。見知らぬ通行人にはすれ違うでしょうが、お姉さまのその容姿ならば男性の女装姿だと誰が思うのでしょう」


「文香ちゃん……貴女随分と熱心ね」熱弁を振るう文香ちゃんに僕は思わずたじろいでしまう。


どうやら女装したまま一緒に帰って欲しいようだけど、正直気乗りしない。


いつまで女装をしていると自分の性的自覚が揺らいでしまいそうで不安になる。


自分で言うのはどうかとも思えるが、僕自身完璧な女性になりきれているという自負があったからだ。文香ちゃんの侍女である雪乃さんの指導は、それだけ徹底していた。


それだけに内面までは男でいようとしているが、このまま突き進んだらどうなってしまうのか。その先の未来は暗そうで、あまり考えたくはない。


「お姉さま? お悩みのところ申し訳ありませんが、お姉さまに拒否権は無いかと存じます」


「ええっ、そうなのですか?」僕は驚きのあまり素に近い反応を見せてしまった。声だけは女のままだったのが自分で癪に触るが。


「だってお姉さまはふみの初めてを奪ったのですよ? 今日だけの約束とはいえ、少なからずその責任はとって頂かないと」


「ず、随分と搦め手を使うのですね……」


「当然です。ふみを誰だとお思いですか」


小悪魔の様な笑みを浮かべる文香ちゃんを見て、僕はようやく思い出した。今日は素直なところばかりを見ていたせいで忘れていたが、この子は元々計算高い女の子なのだ。


「むしろ既成事実を逆手に交際を迫るような真似をしないだけ、ふみはまともだと思います」


「それはそうなのですが……ご自分で言わない方がいいかと」


「ふっふっふ、褒めても何も出ないのですよお姉さま」


実際、その事を理由に僕を脅すことも出来たはずだった。でもそれをしないのは文香ちゃんにとっても今日だけの約束ということが大切なのではないだろうか。


それはあくまで僕の推測に過ぎないけれど、それ故に、僕もこの今日という日を大事にしようと、そう思った。あと、褒めてはいない。


「……分かりました。今日だけは文香ちゃんを愛すって誓いましたから、愛する文香ちゃんがこのまま帰れと言うのなら、それに従いましょう」


「あはっ♡ 愛するだなんて……ふみも愛していますわお姉さま」


「はいはい。まったく現金な子ね、貴女って」


僕は自分の荷物を手に生徒会室の出口へ歩き出すと、文香ちゃんも追随した。


ノブを回す直前、僕は文香ちゃんに向き直り付け加える。


「もし知り合いに出会って、『女装趣味のオカマ野郎』と罵られたら、その時は文香ちゃんがフォローしてくださいね」


「お任せくださいお姉さま。ふみが命を掛けて、お姉さまをお助け致します」


「命は掛けなくてもいいのだけれど、期待しているわ」


そんなやり取りをしつつ、僕たちは生徒会室を後にした。


僕らは自然と空いている方の手を繋ぎ、歩き出す。人の温もりを感じながら歩く冬の夜道は、自然と気持ちも暖かくなる。夜空に煌く満月の光は、仮初めの恋人達にも分け隔てなく照らしていた。

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