第8話 最後の思い出

「お姉さまは……やはり山岸先輩がお好きなんですか?」


やはりという言葉を使う以上、文香ちゃんは僕の気持ちを分かっていたようだ。思い返せば今日の会話も、どことなくそれを匂わせていたような気がする。


「少し前の私なら否定していたでしょうね。……でも私も私なりに文香ちゃんと向き合って、それでようやく思い知りました。私は櫻子さんが好きだって……気づいてしまったのです」


でもそれは、文香ちゃんにとっては残酷なタイミングだっただろう。文香ちゃんに告白されてからそれを自覚するなんて。


「そんな申し訳なさそうな顔をするのはやめてください。じゃないと……悔しくなるじゃありませんか」


涙で目を腫らしながらも、僕のために懸命に笑顔を作る文香ちゃん。その健気な様子に改めて、この子はとてもいい子なんだと認識させられた。


「ごめんなさい、文香ちゃん。私のせいでこんなに辛い思いさせちゃって……。どうか今は我慢しないで私の胸で泣いてください。それで気持ちが楽になるかは分からないけれど、私にできることはそれしかないのだから」


まだ震える文香ちゃんをしっかりと抱きしめて、あやすように背中を擦ってあげる。すると張りつめていた糸がプツンと切れたように、文香ちゃんは嗚咽を漏らしはじめた。


「う、ううぅ……あぁぁ、うわぁぁぁっ……先輩ぃ……好き……好きぃ……こんなに好きなのにっ‼ あぁぁぁぁーっ‼」


堪えきれなくなった感情の吐露を、僕は静かに受け止める。こうすることで少しでも文香ちゃんの気が楽になるならば、僕はいつまでもそうしているつもりだった。


それからどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。僕が生徒会室に来た頃はまだ太陽が空高く大地を照らしていたが、今ではすっかり日も落ちて茜色に染まっている。


未だ文香ちゃんは僕の胸にあって、泣き止みはしたけれど、じっとしがみついて離れない。


「少しは落ち着いたかしら……?」僕がそう声を掛けると、文香ちゃんは返事をせず、ただ首をもぞもぞと横に振るだけだった。


「そう……」


それまで何度もそうしてきたように、僕は文香ちゃんの髪を梳いて流す。抱きしめているその身体はとても細く、少し力を入れただけで折れてしまいそうだ。


「あの……お姉さま?」文香ちゃんはおずおずと口を開いた。


「ええ」


僕はそっと腕を離すと、文香ちゃんは名残惜しそうにしながらも、一歩だけ後ろに下がる。そしてようやく僕と向き合うと、まだその瞳は濡れていた。口から溢れる言の葉は、未だ揺れている。


「お姉さま……こんなによくしていただいて……お姉さまはいつもお優しいから、だから好きで、やっぱりこの気持ちを抑えることはできません……」


「文香ちゃん……」


胸が痛かった。文香ちゃんは泣いて顔を歪めて目を腫らしてもなお、僕のことを好きだと言う。


その気持ちに本当は応えてあげたい。これ以上文香ちゃんの悲しい顔を見たくはなかった。だけど、そうすることが出来ない自分がもどかしい。


「……やっぱりお姉さまは素敵です。今もふみのことを考えてくださって……それなのにふみは自分のことしか考えていません。いや、お姉さまだからこそ、こんな風に考えてしまうのでしょう」


大粒の涙が一つ二つ、頬を伝って滴り落ちる。


僕は鞄からハンカチを取り出して、三角に折りたたんでから文香ちゃんの顔を拭う。その瞬間、文香ちゃんは両手で僕の手を掴んだ。


「お願いします、お姉さま! 一度だけでいいのです。ふみを……ふみを抱いてください!」


僕は自分の耳を疑った。悪い冗談だと思ったからだ。


だけどこんな状況で文香ちゃんが冗談も言う訳もなく、その表情は紛れもなく真剣だった。


だから僕は揺れる。


文香ちゃんの気持ちをふいにしたくない気持ちと、だけどそうする訳にはいかない僕の気持ち。


「落ち着いて文香ちゃん。気持ちは分かるけど……そういうのは良くないと思うの。だって私には——」


櫻子さんがいる。そう言おうとしたが、先に声を発したのは文香ちゃんだった。


「山岸先輩とは、まだお付き合いされていませんよね?」


その言葉に僕の心は揺さぶられる。


「え、ええ……」それ以上言葉は続かない。


「ならまだ誰の恋人という訳ではないのだから、ふみと……その……行為に至ってしまっても、倫理的な問題はないじゃありませんか」


夕暮れ時の学校で、女装した姿で後輩に迫られているというのはだいぶ倫理的には問題がありそうだったが、それを除けば確かに良くはないが、起りうること。


「もう我が儘は申しません。この一度だけ、この一度だけでふみはいいのです。お姉さまがどなたと愛し合おうと、嫉妬こそすれ文句をつける気はございません」


文香ちゃんは一歩踏み出し、両腕を僕の頭の後ろに回して顔を近づける。そして軽く僕に口づけをすると、吐息の混じった甘い声で僕に懇願した。


「ふみはお姉さまとの思い出が欲しいのです」

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