第7話 告白
「ふぁぁ……お姉さま、素敵です……」
それが着替え終わった僕の姿を見た文香ちゃんの第一声だった。呼び方もすっかりお姉さまに戻っているけれど、この姿でいる内はそれを受け入れることにした。
「どうかしら……お気に召せば良いのだけれど」
僕は、恐る恐る尋ねてみた。日頃から女子の制服は見慣れてはいるが、当然着るのは初めてで、おかしなところは無いか不安だったからだ。
「お気に召すどころか……お姉さまの着こなしはふみの想像以上で、正直言葉も出てきません」
「たかが制服で着こなしって……」
制服なんてどれも一緒なんだから着こなしも何もないだろうけど、とりあえず変に思われる部分はないようで安心した。
しかし文香ちゃんは僕の発言が気になったようで、扉の前から一歩詰め寄って、僕に抗議した。
「たかがとは何ですか、たかがとは! どうせお姉さまは所詮制服だとお思いでしょうが、はっきり言って分かっていません!」
「えっ……あ、そうなのですか?」
あまりの真剣さに僕はたじろいでしまう。何か文香ちゃんの地雷を踏んでしまったのかもしれない。
「いいですかお姉さま。制服は基本的に私共のような年齢の人間ならほとんどの人が着ることになる服ですが、その全員が必ずしも似合うかと言えば、答えはN oです。制服といえば皆同じデザインですから一見すると没個性的に思われがちですが、むしろ服装が画一化されることによって、その人が持つ本来の素材が際立つのです」
「は、はぁ……」
文香ちゃんの熱弁に、僕は気圧されてしまう。つまるところ制服が似合うか似合わないか、それだけの話だと思うのだけれど……。
「その論で言うならば、文香ちゃんも良く似合っていると思うわ。とても可愛らしいもの」
僕は素直な気持ちを口にした。文香ちゃんは少し年齢より幼く見えるけど、それがチャームポイントだ。
くりくりとした大きな瞳はキラキラとしていて、その風貌も含めてまるで小動物のような愛らしさがある。
側にいるだけで何となく守ってあげたくなるような庇護欲をくすぐられる。まさに守りたくなるような女の子としての魅力が文香ちゃんにはあるし、そんな子がまさか制服が似合わないということはない。……制服の有無はあまり関係ないような気がするけれど。
「そう、そこなんです! ふみの評価は大抵可愛らしいとか、せいぜいお人形さんみたいだねとか、おおよそ年頃の娘を褒める言葉ではないのです。ふみの制服姿は七五三で初めて着物を着た子供ですかっ!」
「ふ、文香ちゃん……」
誰もそこまでは言ってはいないと思うけど……。確かにそんな風に表現されても違和感はないなとも思ってしまう。
だけど、文香ちゃんと知り合ってからここまで熱くなっているのを見るのは初めてかもしれない。
ああ、そうか。文香ちゃんは自分の子供っぽい容姿を気にしているのだろう。
「ごめんなさい、少し失言だったわね。だけど制服が素材の良さを引き立たせると言うならば、私からすればやはり文香ちゃんはとても可愛いと思うの。だってそうでしょう? 普通ただ子供っぽいだけなら、お人形さんみたいだなんて形容されないもの。もし子供っぽい子を形容するとしたら、それは子供っぽいだけで済んでしまうわ。でも、私はそうは思わない。だって文香ちゃんはこんなに素敵な女の子なのですから」
「お姉さま……」文香ちゃんは一瞬呆けた表情で僕を眺めていたが、それから少しして我に返り、可笑しそうに笑っていた。
「なんだかふみはお姉さまに口説かれているようで悪い気はしません」
「ちょっ、口説いてなんかいませんっ!」
予想外の文香ちゃんの返事に僕は驚いてしまう。ああ、確かに口説いているようにも聞こえるかも……。
「分かってます。冗談ですから。少しからかってみただけです」
「わ、笑えませんよ……」僕は少し火照ってしまった顔を手で仰ぎながら言った。
「でもお姉さまにこの容姿を褒めて頂いたことは素直に嬉しいです。でも女というのはとても嫉妬深い生き物なんですよ? だから……どうしても無いものねだりをしてしまうのです」
文香ちゃんの瞳が、一瞬だけ怪しく光ったのは僕の見間違いだったのだろうか。
ゆっくり、ゆっくりと近づきながら、文香ちゃんは舐めるように僕の全身を眺めている。
視線に恥ずかしくなった僕は咄嗟に顔を背けてしまう。
「お姉さまは男の方でいらっしゃるのに……なんて愛らしいのでしょう。先程ふみは制服という服は着た人本来の素材を引き出すと言いましたが、間違いありません。これがお姉さまの本来の美しさ。これが偽りの性別であったとしても、醸し出されている色香は生来お姉さまがお持ちになっていたもの。これがふみを虜にするのです」
「わ、私に色香などありません……!」
男の僕にそんなものがあってたまるもかと、そう思わずにはいられなくなる恥ずかしい台詞。
「ふふっ、そういうものはご自分ではお分かりにならないものですよ、お姉さま。……ですがふみには分かります。嗚呼、ふみもお姉さまのような美しいお顔に生まれてみたかった。それが叶わないと知る今となっては、いつまでもこのお顔を眺めていたいのです」
ふと、ひやりと冷たいものが頬に触れたと思った刹那、横に背けていた顔が正面に戻される。
昨日は櫻子さんがいた距離に、今は文香ちゃんがいた。
そこにいる人は違うのに、その近さが生み出す鼓動の高まりはとてもよく似ていて、だからこそ、それがいけない距離であることを知っている。
「だめです文香ちゃん……顔が近過ぎます」
「そうですねお姉さま。もうふみの視界は、お姉さま以外見えていません。……恥ずかしがっているその表情が、ふみは堪らなく好きなようです」
顔を優しく挟むその手のひらは僕を決して離さない。熱で蕩けた眼差しを向ける文香ちゃんの吐く息が、少しずつ近づいて、それは僕の唇に吹き掛かっていた。
「それはだめ……っ! 落ち着いて文香ちゃん、それ以上は……ん、んんん~‼」
今起きていることを起こさないために、文香ちゃんを窘めるつもりだった。
だけど、その口を塞がれてしまっては、もう止めることも出来ない。身長差を埋めるように踵を上げてようやく届いた唇はとても柔らかく、僕の頭は真っ白になった。
「んっふ、ちゅっ……お姉さま……んん、はぁんっ」
初めは触れるだけの優しいキスだった。小鳥が餌を啄むように、何度も僕の唇に触れていた。
だけどそれはやがて、激しく相手を求め交わるような情熱的なキスへと移り行く。
「はぅ、んっ……んちゅ……あぁぁ……れろっ、んはぁ……」
文香ちゃんは僕の唇の割れ目を開かせるように、何度も何度も執拗に舌でなぞる。やがて僅かに隙間が出来ると、なだれ込むかのように口腔を蹂躙した。
自分の舌が文香ちゃんの舌と出会うと、それは必然に絡み合い求める。ぴちゃぴちゃと卑猥な水音を奏でながら、くっついては離れ、離れては交わる甘い逢瀬を何度も繰り返した。
「ちゅ、んちゅう……ん、んっんん、ぷはぁ……あ、ああお姉さま……どうしてぇ」
それは僕にとって初めてのキスで、絡まった舌の感触はとても甘美なものだった。いつまでもそうしていたいと願わせるくらい刺激的でもあった。
だからこそ、それではいけない。僕はなんとか繋ぎ止めた最後の理性で文香ちゃんを唇から引き離した。
「お姉さま……お願いどうか止めないで……」
「だめ……だめったら、文香ちゃん。こんなの……こんなのよくないわ」
もう一度キスをしようと顔を近づけて頬に唇は這わせる文香ちゃん。だけど僕は絶えず顔を動かしてそれを躱していた。
「文香ちゃん、こういうことは好きな人とすることでしょう? いくらこんな姿をしていても、私は男なんですから……文香ちゃんにとってこれはよくないことだと思うの」
「……それを決めるのはお姉さまなのですか?」
「えっ?」僕は驚き文香ちゃんの顔を見た。それは真剣な表情で僕を捉えている。
「お姉さまはふみが好きでもない人と簡単にキスするような軽い女だと、そうお思いなのですか?」
僕の襟元にギュッとしがみつき、目尻に涙を浮かべながら上目遣いに訴える姿は、彼女が本気になっていることの表れで、だからこそ僕は困惑してしまう。
「そんなこと……思っているわけないじゃありませんか」
そんなことは思っていない。ましてや軽い女だなんて、文香ちゃんがそういう子ではないことを、二年近い付き合いの中で僕は知っている。僕が困っていることは、その言葉の意味であった。
「ふみは……ふみはずっと前からお姉さま……いえ、薫先輩をお慕い申し上げております!」
「文香ちゃん……」
それはあまりも真っ直ぐな告白だった。
自分の気持ちを相手にはっきりと伝えることはきっと物凄く勇気がいることなのかもしれない。
誰かに告白をしたことがない僕にはきっと理解してもしきれないほどに。だから僕は答えなきゃいけない。思いの受け手となった僕にはその責任がある。
文香ちゃんとの出会いは僕が二年生で生徒会長に選ばれた時、一年生役員として生徒会に入ってきたのが文香ちゃんだった。
初めは無口な子だったけれど、一緒に仕事をして、時に遊びに出かけるうちに、彼女がどんな性格で何が好きで何が嫌いか、本当に色々なことを知った。
もっと文香ちゃんと一緒にいたいと思ったことも一度や二度ではないし、より詳しく彼女のことを知りたいとも思う。
僕は間違いなく文香ちゃんのことが好きだ。だけどそれが恋心なのかは分からない。だけど間違いなく言えるのは、文香ちゃんの好意がとても嬉しいということだった。
「えっ……?」
そこで何故か、それは不意に、そして無意識に頭の中に浮かんできたのは櫻子さんの顔であった。
どうして今ここで櫻子さんが出てくるのか理解できない。だけど胸は酷く痛み、呼吸は苦しくなっていた。
「やっぱりふみじゃ先輩の想い人にはなれないのですね」
変化に気が付いた文香ちゃんは、僕の内心を悟り落ち込んだ。だけどそれは間違っていなくて否定できない僕は、文香ちゃんの小さな体を抱きしめて、耳元で囁いた。声を本当の僕に戻して。
「……ごめんね文香ちゃん。僕はどうしようもない男だから……」
文香ちゃんは僕の中で泣いていた。じんわりと胸元が濡れてくるのを感じる。
「そんなことありません……先輩はとても素敵です。それに……最初から分かっていましたから……」
そんな言葉も震えていて、その時になってようやく僕は文香ちゃんの想いの強さを知った。
今にも吹けば消えてしまいそうな文香ちゃんの頭を撫でる。
こんなに辛い思いをさせている本人のすることではないと分かっていたが、そうせずにはいられなかった。胸に芽生えたこの気持ちは罪悪感なのだろうか。
「……優しいのですね、お姉さまは。いつもそう。だからふみはお姉さまのことが好きになったのだと思います」
「優しくなんてありません。だって私は……大切な後輩を傷つけてしまったのだから」
きっと女を演じなければ僕はつぶれてしまうだろう。女声に戻したのは無意識であったが、そうでもしなければ素の僕はとても情けない奴で、文香ちゃんの情に流されてしまうから。弱い男の部分を女の仮面で隠す。
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