第6話 ミスコン参加のお礼?

「あっ……」


 恋人という単語で、頭の中には昨日の櫻子さんとの出来事を思いだしてしまった。僕は恋人ではない櫻子さんにあんなことさせて、その上体を求めて怒らせて……。


「どうしたんですか、お姉さま。顔が赤くなったと思ったら、途端に青ざめちゃって。差し詰めいやらしいことを考えた途端に山岸先輩のお顔が浮かんだんでしょう」


「なっ! どうしてそれ……いえ、違いますよ!」


 それはとても婉曲に的を射る文香ちゃんの指摘に、一瞬だけ狼狽えてしまった。


まさか昨日のことを見られていたのかも。いや、それはないはず……と思いたかったが、僕は結構な大きさで恥ずかしい声を上げていたから、もしかしたら聞かれていたかもしれない。もしそうだったら僕は今すぐ消えてしまいたい。


「あーあ、お姉さまは完全に飼いならされてますね、山岸先輩に」


「さ、櫻子さんに僕がですが?」


 文香ちゃんの言葉は僕が予想していたものとは違うものだったが、これはこれで言葉の意図が分からず困ってしまう。


「山岸先輩がいる限り、お姉さまがキャーキャー黄色い声を浴びることはないでしょうね。真横であんなに睨みを利かせていたら、誰も近づこうとは思いません」


「睨みをって……それじゃあなんだか櫻子さんが番犬のようですね。まぁなんとなくイメージは出来ますが」


 櫻子さんは一見するとクールな見た目だが、本気になると熱くなって何でも咬みついていくところは、確かに番犬のようではあった。だけどその解釈だと妙に文香ちゃんとの会話がかみ合わなくなる気がする。


「それ、本気で言っているなら山岸先輩も報われませんねぇ。そういう意味じゃ、今回のことは山岸先輩がお姉さまを落とせなかったツケが、今になって回ってきたのかもしれません」


「ねぇ文香ちゃん、さっきから何を言っているのか全然分からないのだけれど……」


「そうでしょうね。でも分からなくていいのです。その方がみんな幸せになれるんですから」


僕の問いかけに文香ちゃんはそう言って牽制し、それ以上は答えられないし、聞いても無駄だという無言の圧力を加えてくる。


その威圧感たるやは、同年代の同性と比べても幼く……どう見ても中学生くらいにしか見えない可愛らしい見た目をしているのにも関わらず、大人顔負けの堂々とした立ち振る舞いだった。


「少しだけお姉さまにヒントを差し上げるとするならば、ふみの予想ではミスコンが終わった直後、山岸先輩は不機嫌になったりしませんでしたか?」


「不機嫌……ですか。特にそのようなことは……」


記憶を辿り、昨日のことを更に思い出す。一番印象に残っているのは罰ゲームのことばかりだけど、不機嫌ならばそもそもあんなことにはならなかったはず。


その後は確かに怒らせたけれど、それだと文香ちゃんが言う終わった直後には当てはまらない。


「あっ」


ようやく僕は一度櫻子さんが不機嫌になった瞬間があった時があったことを思い出した。


「思い当たる節がやっぱりお有りなんですね」洞察力の鋭い文香ちゃんは、一瞬の表情の変化で僕を見抜いた。


「え、ええ。確かミスコンの直後、沙織さんが僕に話しかけてきて、その後ぐらいから少し機嫌が悪くなったような気がします」


流石にあの場で一目惚れだと宣言されたことまでは、面倒なので言わないでおく。


「麗しの君を下の名前で呼ばれるなんて、お安くありませんねお姉さま」


「お安くないって……本人にそう呼んでくれって頼まれたんですから、しょうがないじゃありませんか」


「あの麗しの君が男性であるお姉さまに……ねぇ」


「な、なんですかその目は」


僕の抗議の声も虚しく、文香ちゃんは意味ありげな視線を、じっと僕に向けている。


というか男性であるって言うのなら、いい加減お姉さま呼ばわりは止めて欲しいのだけれど……。


「お噂は本当だったってことですか」


文香ちゃんから飛び出した不穏な言葉に僕は警戒した。


「なんですか、その噂っていうのは……」


恐る恐る尋ねてみると、文香ちゃんはニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「お姉さま。麗しの君から告白されたというのは本当でしょうか」


「なっ! どうしてそれを知っているの、文香ちゃん!」


僕は驚きのあまり息を吹き出してしまいそうになる。そんな様子の僕を見て、文香ちゃんは「やっぱりね」と言わんばかりの微笑をしていた。


「今朝から学校はその噂で持ちきりですよ? 今日ですらこんなに広まっているのですから、明日の登校日にはどうなってしまうのでしょうね」


「ふ、文香ちゃん……」


それは考えるだけでゾッとする事態だった。何故そのことが広まっているのか、それは少し考えれば分かることだった。


あの場には沙織さんや櫻子さん以外にも、他の出場者や運営スタッフが大勢いたのだから、その内の誰かから漏れたことは容易に想像できる。


特に僕はともかくとして、相手は女子生徒に熱烈なファンがいることで知られるあの沙織さんだ。


今まで浮ついた話が一切無かった憧れの麗しの君が、ぽっと出の女装男に一目惚れしたとあっては、それだけで一大事だ。


「あ、あああ……」


僕は明日からの学校を想像して震え上がった。あの直後にも大変なことがあったせいですっかり忘れていたが、これも中々どうして、一大事だ。


頭の中では学校中の生徒が女装してミスコンに出たことをあざけり、沙織さんに告白されたことに対するそしりを僕にぶつける姿がありありと想像出来た。


きっと机の中が煮こごりで一杯にされたり、ペンケースが鰹節にすり替えられたりするのだろう。


「あ、あのお姉さま? 大変に震えておられますが、恐らくお姉さまが想像していることはあまり現実的ではないような気がします……」


あまりの僕の狼狽えっぷりを見て、文香ちゃんは僕をからかう姿勢から一転して、気遣ってくれている。


「まぁ何かされるーとか、酷いことを言われるということはないと思いますよ。みんなが注目しているのは、お姉さまの身の振り方ですから」


「僕の身の振り方って、そんなところに興味を持つ人はいないですよ」


「いやいや、そんなことありませんって。一部の熱烈な女子はその動向を常に見ていますから」


文香ちゃんはそう言うものの、僕はそんなこと信じられなかった。


熱烈な女子というのは恐らく沙織さんのファンのことだろうけど、見ているのは多分沙織さんだけで、僕なんかはせいぜい虫だろう。


悪い虫がつかないように見張るという意味なら、確かに間違ってなさそうだ。


「それでどうするんですか、お姉さまは。麗しの君か、山岸先輩か。どっちに転んでも誰かに刺されそうな気もしますが」


「……どうしてそこに櫻子さんが出てくるのでしょう」


「それがお分かりにならない鈍ちんさんだからこそ、お姉さまは皆さんに愛されているのでしょうね」


「それはまた……随分と哲学的な命題のような気がしますが、そこはかとなく僕が馬鹿にされているのは分かります」


文香ちゃんは時折こうして、僕には分からないような話を振って混乱させてくる。


以前言われたのは、僕をからかうのは楽しいとのことだったが、受け手の僕からしたらたまったものじゃない。


それでも文香ちゃんを嫌いにならないのは、その人懐っこそうな見た目と性格のギャップが面白いからなのかもしれない。まぁそれにしても、今日の文香ちゃんの話は意味が分からなかったけど。


「そうでした、せっかくお姉さまを呼びつけておきながらお話に夢中になってしまって、忘れるところでしたわ」


唐突に手をパチンと叩く文香ちゃんに、僕は驚いて肩を浮かせてしまう。


「あ、びっくりさせてごめんなさい。今日はお姉さまにお渡ししたいものがあったのです」


「渡したいものですか……それはまた突然ですね」


僕はてっきり、昨日のミスコンのことについての報告のためだけに呼ばれていたものとばかり思っていた。


「突然じゃありません。昨日はお姉さまのおかげで文化祭が大変盛り上がりましたので、ささやかですがお礼をと思いまして」


「そんな、お礼だなんて! 僕としても文香ちゃんや家の人にはお世話になりましたし、僕自身が楽しめたのですから、それで構わないのです。とてもじゃないけど受け取れません」


「そう仰らないでください。お姉さまのために用意した特注品なんですから」


そう言って荷物置き場から文香ちゃんがごそごそと取り出したのは、真っ白な包装紙に巻かれた、そこそこの厚みがある大きな包みだった。


文香ちゃんから手渡されたそれは、結構な重みがあるが、それを外側から伺い知ることは出来ない。


「文香ちゃん……一体これは?」


「どうぞ、開けてみてください。きっと気に入ると思いますから」


「は、はぁ……」


文香ちゃんに促されて、僕は破かないように気をつけながら包装紙をを剥がし始めた。それは過剰にも思えるくらい幾重にも巻かれていて、ようやく見えたその中身に僕は戦慄した。


「これは……僕の見間違いでなければ、女子の制服ですよね?」


「はい♪ 紛うことなき、正真正銘我が校の指定服ですわ」


「っ……!」


そう、包みに入っていたのは何処からどう見ても新品の女子の制服で、それは今文香ちゃんが着ているものと全く同じだ。


「こ、これを……僕が気に入ると……?」


「ええ。我が校は私服厳禁ですから、もしまたお姉さまが学校で女の子の格好がしたいって思った時に、好都合と思いまして」


「そ……」


「楚? どうしたのですか、お姉さま。そんな急に中国の昔の国の名前なんかお出しになって」


「学校で女装したくなるなんて、そんなこと思うかああああああああっ!」


僕は全身全霊の叫びを、お腹の底から吐き出した。文香ちゃんの冗談には付き合わない。


「ひゃっ。……お姉さま? 急に大声を出すのはやめてください。心臓が飛び出してしまいます」


「心臓が飛び出すかと思ったのは僕の方ですよ! 女装は昨日のミスコン限りって前にも話したし、今日もしたじゃありませんか」


「嫌よ嫌よは好きのうち。本当は好きなのに素直になれない……そんな葛藤を抱いている様が、ふみには見えています」


僕はツンデレですか……。そんな意味を込めてため息を吐く。


「あのーその……別に悪気があった訳じゃないんです。ただ、何度も言いますが昨日のお姉さまは本当にお綺麗で……これをお渡ししたらもう一度女装してくださるかなって、そう思っただけなんです……。でもそれでご気分を害されたなら謝ります。申し訳ありませんでした……」


「文香ちゃん……」


段々と僕の機嫌が悪くなっていくのを感じとったのだろうか。文香ちゃんはそれまでのからかうような強気の表情から一転してシュンと落ち込んで顔を落としていた。


「……どうか顔を上げてください」


僕は文香ちゃんに顔を上げるように促した。


文香ちゃんの言葉を信じるなら、僕の女装した姿を褒めてくれている訳だし、男としては複雑だけれど嬉しいような気もする。


もう一度見たいという気持ちからしたことならば、ただ怒るような気にもなれない。


「確かに少しだけ、強引な文香ちゃんが嫌だなぁって思ったけれど、別に怒っている訳ではないですよ」


「お姉さま……」


「あ、そのお姉さまってのは嫌い」


「あわわ……。ごめんなさい薫先輩」


慌てて素直に従う様子に、僕は自分でも分かるくらい自然に頬が緩んでしまう。


さっきまでのように基本的には意地悪な文香ちゃんだけど、根はとても良い子だ。


「それにしてもこの制服……もしかして僕に合わせて作ってあるのかな」


僕は改めて、手にしたままの制服を広げてみた。袖を通していないからはっきりとは分からないけれど、胸に当てるだけでおおよその丈は合っているようだ。


「あ、はい。雪乃さんがお姉……薫先輩の衣装を決める時に寸法を測りましたよね。そのサイズを基に作ってもらいました」


「ああ……あの時に」


思い出したのは文香ちゃんの家で、女性のレッスンをしてくださった雪乃さんが僕の身体のサイズを測ってくれてた時のことだった。


文香ちゃんは流石に席を外していたとはいえ、女性の前で半裸になって隅々の数値を調べられたのは初めてで、とても恥ずかしかったのを覚えている。


「でも待って。そうすると文香ちゃんが言ったことと食い違うじゃないですか。文香ちゃんは昨日盛り上がったお礼として用意したものだと言ったけれど、制服なんて昨日今日で用意出来るものではないでしょう。ましてや僕に合わせて作っているのだから」


「あはは……」文香ちゃんは観念したのか正直に口を開いた。


「実は結果の如何に関わらず、薫先輩にお渡しする予定でした」


「まったく、貴女って子は……」


僕は呆れを通り越して思わず笑ってしまった。


「そんなに僕がこれを着ているところが見たいの?」


少しだけ煽るように聞いてみる。多分今の文香ちゃんなら誤魔化すような真似はしないだろう。


「はいっ! 見たいですっ!」


それは予想していた通りの反応だったとはいえ、さっきまでシュンとしていたにも関わらず、今は目を輝かせて僕に期待している姿には流石に苦笑いするほかない。


普段は仮面を被って全てを煙に巻くような態度の文香ちゃんが、今は驚くほどの素直な反応をしていることが、僕には新鮮だった。


「そう。そこまで言うなら、一度だけ。それならこれを着てもいいかな」


「本当ですかっ? やったぁ!」


その姿は本当に嬉しそうに。見た目そのまま中学生のようなあどけない顔の少女が、無邪気に喜んでいる光景は不思議と心が暖かい気持ちに包まれる。


櫻子さんとの勝負以外に女装の使い道があったなんて、僕には予想もしていなかった。


「でも困りました……。そういえば今日は女装の道具を持ってきていません」


まさか生徒会室で再び女装することになるとは思っておらず、一式を持ってきてはいなかった。いや、そもそも良く思い出せば、昨日道具を家に持って帰ったかどうかも怪しかった。


もしかしたら更衣室に置きっ放しかもしれないが、今から探しに行くのも面倒だ。かと言って服だけ着るのも中途半端になって気持ちが悪い。


さてどうしたものかと思案に暮れていると、文香ちゃんは再度荷物置き場まで行き、そこから何かを取り出した。それは僕の女装一式が詰まったショルダーバッグだった。


「薫先輩昨日荷物をお忘れになりましたでしょう? 受付担当の者が帰り際に見つけて届けてくださったのですよ」


「やっぱり忘れていましたか……」


受付担当と言えば、昨日受付の時に少し冷たくされた仕返しに、女装姿で少し意地悪をしたあの男子生徒のことだろうか。そうだとしたら少しだけ申し訳ないような気がする。


「もし良ければ、見つけて下さった方にお礼を伝えておいて貰えますか? それと、悪戯して申し訳ありませんでした、と」


「まぁ先輩、一体どんな悪戯をしたのかふみに教えてくださいな。ともかく言伝ことづては承知致しました」


「それはダメです。……ではお願いしますね」


そう言って僕は文香ちゃんから道具を受け取った。


鞄を開けてとりあえず必要なウィッグとメイクセット、それから胸のシリコンパッドを取り出した。


今回は必要ないが昨日着た衣装も確認のため取り出そうとするも、服や女性用の下着はとてつもない悪臭を漂わせていて、外気に晒すことを断念した。


「駄目ですよ先輩。昨日着た服はちゃんと持って帰ってお洗濯をしませんと。だから臭くなるんです」


その臭いは文香ちゃんにまで届いたのだろう。文香ちゃんは若干しかめっ面を浮かべている。


「ごめんなさい。その、昨日は少し急いでいたものだから……」


そう言い訳をし、なんとか誤魔化す。恐らく悪臭の原因はショーツだろう。白い下着は僕の◯◯のせいでカピカピに固まっていて、それは明らかに昨日の行いのせいであろうが、それを文香ちゃんに言う訳にもいかなっかた。


「あれ……」異変に気がついたにはその直後だった。


カピカピになって汚れていたのはショーツだけではなかったからだ。


ワンピースの下に着ていたはずのブラウスも、何故かそうなっていたのだ。だけど多分、昨日のアレがブラウスにも跳ねただけだろう。


その割にはべったり付いているような気もするが、同じ鞄に入っていたのだから付着していてもおかしくはない。


ちゃんと後始末をしなかった僕が悪いのだし、幸いなことに、他の道具には匂いも体液も付いてはいなかった。


「どうかなさいましたか、薫先輩」


「いえ、なんでもありません。運が良いことにウィッグや他は臭くありませんから、なんとか文香ちゃんのご期待に添えるかもしれません」


「本当ですかっ⁉ あぁ、ふみは幸せ者です! それでは期待していてもよろしいのですね」


相変わらず子供の様にはしゃぐ文香ちゃんに、僕も俄然やる気が沸き起こってきた。


「ええ、ですからこれから着替えますので、少し外して頂けますか? いくら私が男だとはいえ、着替えを見られるのは恥ずかしいものですから」僕はわざと女声に切り替えて、文香ちゃんにそう告げた。


恥ずかしいことも、どうせやるなら徹底的に。これが女装する時僕が決めたルールだ。


全力を出すために、何より文香ちゃんの期待を裏切らないために。まずは気持ちから切り替えていく。


「ふふっ、何だか鶴の恩返しのようですね。わかりました、それでは外で待っておりますので、準備が出来たらお声掛けください」


そう言って楽しそうに廊下に出る文香ちゃんの背を見送りつつ、僕はスマートフォンの自撮りモードを手鏡代わりにメイクの準備から始めた。

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