第5話 後輩生徒会長

翌日の校舎は、昨日と打って変わってとても静かだった。


今日は文化祭撤収日と決められており、催し物や出店を出していた生徒達の片付けをする日で、それ以外の生徒は休みとなっている。


それ故に校舎を歩く生徒の数はぐんと少なく、人で溢れていた昨日と比べると少しだけ寂しい気もする。


 人もまばらな廊下を僕は歩いている。昨日のミスコン以外で僕が文化祭に関わった企画はなく、本来なら僕も今日は休みのはずだった。だけどわざわざ休みの日に学校に出向いたのは、人と会う約束をしていたからだ。


 廊下を階段を進み、時折知り合いに昨日の女装のことをからかわれたりしながら辿り着いたのは、校舎の最上階、三階の一番端にある教室。普通の教室の三分の一程度のスペースしかないその部屋の表札には、生徒会と書かれている。


「失礼します、文香ちゃん? 三鷹ですけれど、入っていいかな?」


 扉をノックして声を掛ける。するとすぐに中から「どうぞー」と、やや気の抜けた返事が返ってきたので、戸に指を掛ける。シャーっと小気味良い音を立てて流れる引き戸の先には、大きな長机があり、その周りにいくつかのパイプ椅子が並んだ——それだけで部屋の大半を埋めてしまっている——こぢんまりとした空間が広がっていた。


その空間の中で一人、パイプ椅子に座りティーカップを啜りながらのんびりとした様子で、部屋に入ってきた僕に笑顔で手を振る女の子がいた。彼女がこの部屋の主、生徒会長で僕の後輩。二年生の一ノ瀬文香だ。


「こんにちは、薫先輩。随分遅かったですね。今日はもう来てくださらないものだとばかり思っておりました」


 今の時間は昼下がりの三時を過ぎている。僕としてはもう少し遅くても良かったかなと思っていたが、文香ちゃんのやや待ちくたびれたような笑顔を見るに、それは少し失敗だったなと思う。


「ごめんなさい、文香ちゃん。きっと午前中は文化祭の片づけで忙しいだろうって思ったのだけれど、どうやら待たせてしまったみたいだね」


「ふみはいつお姉さまがいらっしゃるか分からなかったものですから、午前中なんか作業に身が入らなくて。ポンコツなふみの仕事を全部他の役員にやらせてしまったくらいなんですよ」


「それは申し訳ないことをしちゃったな……」とそこまで言って、僕は文香ちゃんがさりげなく言った単語に引っ掛かった。


「文香ちゃん? そのお姉さまって言うのは誰のことかな」


「そんなの、薫先輩のことに決まっているじゃありませんか」


 さも当然と言わんばかりにサラリと言い放つ文香ちゃんに、僕はクラクラと眩暈を起こす。


「ちょっと文香ちゃん! 僕は男だし、もう女装もしませんからね!」


 お姉さまという言葉は、僕の記憶違いでなければ女性に使われる呼び方だ。確かに昨日は一時的に女性を装っていたけれど、それはもう過ぎたことだし、今は男子の制服を着ている紛れもない男だ。それなのにお姉さま呼ばわりは、僕の男としての尊厳にチクチク針が刺されるような不快感を覚える。


「えー、昨日のお姉さまあんなに美しかったのに……。確かに優勝こそ叶いませんでしたが、イベントが盛り上がったという意味では、大成功でした。お姉さまに出場を依頼して良かったって、そう思っているのですよ? 特訓の集大成、ふみは鼻が高いのです」


 えっへんと小さな胸を張る文香ちゃんはとても誇らしげだ。


そう、昨日僕がミスコンに出場して櫻子さんと勝負することにしたのは、文香ちゃんの提案がきっかけだった。


ミスコンは毎年文化祭で一番盛り上がるイベントだが、近年に至っては櫻子さんが連続優勝したこともあり、結果は見えていると評判はいまいち良くなかった。


現生徒会長の文香ちゃんはそれを憂い、去年の生徒会長を務めていた僕に相談する。結果何故か僕が言いくるめられ、女装して櫻子さんの優勝を阻止するという昨日の一連の騒動に発展した。


「特訓したのは文香ちゃんのところの先生じゃありませんか」


 数週間前、僕がミスコンの出場を決めたその日から、僕の女性として振舞うための特訓が文香ちゃんの家で始まった。


完全機密のこの計画は当日になるまで誰にも知られてはいけなかった。


そこで誰かに見られる可能性がある学校ではなく、完全プライベートな家で特訓することになったのだが、そこからが衝撃だった。


文香ちゃんはこの地域で名のある旧家の一族の一人娘で、家は庶民なんかが比べ物にならないくらいの大豪邸だったのだ。


家の大きさに呆気に取られていた僕の前に現れたのは、日頃文香ちゃんの身の回りの世話をしているとういう、侍女とも言うべきお仕着せのメイド服を着た女性だ。


文香ちゃん監督の下、それから文化祭までの間、その侍女の方に女性らしく見える動作やメイクの仕方、服の着替えやミスコンには必要ない食事の作法まで、その全てを叩きこまれたのだ。


「雪乃さんも言っていましたよ、お姉さまは生まれついての女性だって」


「いや……生まれついての男なんですが……」


 そんな僕の苦情を聞いてか聞かずか、「いやーあの時のお姉さまは本当にお綺麗でしたよ」などと紅茶を飲みながら言っている。


「そんなお姉さまの美貌をもってしても勝てないなんて、やはり山岸先輩の方が一枚上手だったってことでしょうか」


「櫻子さんは本当に綺麗な人ですからね。僕の付け焼刃じゃ太刀打ちできないくらい、皆さんから愛されているってことなんでしょう」


 何度思い出しても、昨日の櫻子さんは見惚れてしまうくらい輝いていた。これはもう勝てないと、出番前に悟ってしまうくらいには。


「あ、そういえば出場者は知らないんでしたっけ」


 唐突に、何かを思い出したように口を開く文香ちゃんに、僕は尋ねた。「知らないって何をでしょう」


「ミスコンの得票数ですよ」


「あぁ」そう聞いて僕もそれを思い出した。


ミスコンはお客さんが投票した数を生徒会が集計して結果を発表する。


出場者に得票数は伝えないが、僕も生徒会として去年の集計をした覚えがある。二位の沙織さんの得た票の数も中々であったが、一位の櫻子さんは圧倒的な差を開き優勝していた。今年参加した身としては、あまり聞きたくないものかもしれない。


「そんな聞かなくても分かってるみたいな顔しちゃって……。お姉さま聞いたら驚いてくださいよ、なんと……お姉さまと山岸先輩の票の差は、僅か二票です!」


「ええっ!」僕は文香ちゃんの期待通りに大きく驚いてしまった。


 たったの二票。その結果に僕は驚きを隠せなかった。


「まぁ今回は票が割れに割れましたから、お姉さまと麗しの君との票差も然程大きくないので事実上の三強と言っても良いくらいですね」


「そんな大袈裟な……」


 三強……突然そんなこと言われても実感が湧かなかった。


二位と言われた時もそうだったが、こうした数字の結果であの二人と自分が並び立っていることが信じられなかった。そして複雑でもあった。美しさを決めるコンテストに、男の自分が入り込んでいる事実に。


「大袈裟なんかじゃありませんよ! 実際、今日学校に来てる生徒のみんなはお姉さまの噂でもちきりなんですから。特にお姉さまの場合は見た目も然ることながら、元が男性ってこともあって、男子からだけじゃなく女子生徒の支持も凄いことになってますよ」


「じょ、女子からの人気は嬉しいけれど……男子はちょっと……」


 ともかく学校中で自分の噂話をされているというのは間違いないようで、背筋に冷たいものを感じた。


普段から人目を引いている櫻子さんや檜山さんにとっては、噂されるってことに慣れているのだろうけど、僕にとってはただむず痒くなるばかりだ。というか僕は、出場した後のことを何にも考えてなかったような気がする。


「あはっ、女の子みたいな顔していてもそこは男の子なんですね、お姉さまは。女子からはキャーキャー言われたいだなんて」


「……そこまでは言っていませんが、まぁ確かに異性にはよく見られたいとは思いますけれど……って、何を言わせるんですか文香ちゃんは!」


 別のことを考えていたせいか、思わず文香ちゃんの誘導に引っ掛かってしまう。でも、まぁ嘘は吐いていないというか、今まで浮ついた話もない僕からすれば、そろそろ恋人が欲しいと思う気持ちもあった。

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