第139話

 かつて消え去った国を想いながら、創造されるは水鏡国。巨大な石造りの城、剣と槍、盾で武装した髑髏の兵士。攻め入ってきた外敵を前に玉座に座るポセイドンは雄々しく吼える。


「敵は既に場内に攻め入っている! 兵士よ、日々の成果を見せるのだ!」


「了解ッ!」


 まるでかつて思い描いた憧憬をそのままに表したような光景に対峙する二人は厳しい眼差しで構える。


 詠唱が紡がれた事によってその者本来の星の真意を解き放つ。恒星核に繋がった眷属の星と言えどその出力は侮れない。


 ――――しかし。


「…………」


「これは…………?」


 髑髏の兵士はあくまでも理性的に二人を見据えている。基本的な陣形には数え切れない程の隙があり、練度が足りていないというのは軍人である二人の目からは一目瞭然である。


 それどころかその挙動には僅かばかりの恐怖心すら感じ取れる。震えながらも肩を並べる戦友に対し鼓舞をする。まるで強者に挑むただの人間の様に。


「そちらから来ないのならばっ!」


 膠着状態を崩す為にヨロズが動く。激しい水流に髑髏の兵士は何も出来ずに流されていく。


「ぐあぁっ!?」


「大丈夫かっ!? じ、陣形を立て直せぇっ!」


 膝をつき喘ぐように苦しむ兵士を庇いながらそれでも立ち上がり二人の外敵を睨み付ける。


「これは……あまりにも……」


 ――――弱すぎる。それが二人の感想だった。


 『海王星』の真の力は見せかけだけの城と貧弱な兵士を創造する事。かつてポセイドン自身が治めた国をそのままに再現する為だけの、なまじ戦闘等には一切向いていない力。


 ポセイドンを製造したマオにとっても誤算であったのだろう。まさか水を司る最強の星がいざ真の力を発揮すればこのような星に成り下がるなど。


 しかしこれは二人にとっては大きな誤算だ。敵の方から弱体化をしてくれたのであれば、後はそれを順当に倒すのみ。


「姉さん、行きましょう!」


「ええ、蹴散らすわ!」


 後に待つのは蹂躙のみ。謁見の間を埋め尽くすほどの水量に兵士はただ流され潰れる。唯一特筆すべき点はその不死性だが、死なないだけの兵士がいくら湧いて出てこようと二人の敵ではなかった。


「…………やめろ」


「ここは私が抑えます。姉さんはポセイドンを!」


「お願い!」


 『陰星』の放出する幻覚により錯乱状態へと陥った兵士は互いの姿を誤認し味方同士で争い始める。


 その隙を縫い、ヨロズの高圧水流がポセイドンの体へと突き刺さる。


「がぁっ!? ――――や……め…ろぉ」


 ヨロズの出せる全力を行使する。空気を切り裂く様な音と共にポセイドンの体を切り裂く。腹部に巨大な穴を穿ち、壁に圧し付けられながら苦しそうにもがき続けている。


「これで――――終わり!」


「王様――――助けて下さい……」


 止めの一撃を加える為にヨロズが力を溜める。そのほんの僅かな間隙にどこかから漏れ出る小さな声。


「やめろォッ!!!」


 民の涙を止めるべく、外敵を滅ぼすべく、『海王星』はその真価を発揮する。


 何処からか聞こえてくる轟音。地鳴りと共に城の全てを飲み込む津波が襲ってくる。恵みの海は牙を剥き、人類から全てを奪っていく。


 城の中に逃げ場はなく、根元から押し流され更地と消える。


「チドリ!」


「くぅっ!?」


 その暴虐な嵐の中を駆け抜けて、ヨロズは二人を囲む様にして水の層を作り上げる。


「許さぬ――――許さぬ! 何故彼らが死ななければならんのだッ!」


 膨大な津波の中で怒りの炎を燃やすポセイドン。感情の起伏と共鳴する様に、周囲を蠢く津波の勢いが増していく。やがて多量の水は空を貫くほどに膨れ上がり巨大な水の柱として蠢き続ける。


 ヨロズとチドリの二人はその中の小さな空洞に身を寄せ合いながら成す術も無くポセイドンを見上げている。


 地上で編成を組んでいた髑髏の兵士は綺麗に流され尽くし、その名残りすら見えずにいた。


「何か……何か策は!?」


「無理よ! 維持するので精一杯!」


 国を滅ぼし、民を洗い流す事こそが『海王星』の本懐でもあるとでも言うかのように天を貫く水柱は怒りと共に渦を巻く。


「…………行って下さい、姉さん」


「ぐっ――――な、何を!?」


「貴様達の所為だ。恵みの裁きを受けるがいい!!」


 既に半壊状態に陥りながらもその荘厳さは未だ健在。標的を見定めたポセイドンは二人が耐え忍ぶ空洞を見下ろし力を込める。


「このままではまとめて潰されるだけです!幻術を使い私が残ります!姉さん一人ならこの中でも動けますよね!」


「ぐッ――――クソッ……!無茶言わないで……これを保つだけでもキツイのに……」


 万力にも及ぶ水圧の暴力に曝されながらヨロズは抵抗する。空間を埋め尽くす海に出来た最後の浮島であるヨロズの周囲は徐々に圧し潰されていく。チドリが提案した作戦を理解しているが、それを決断できるだけの意思へと割けないでいる。


「保つ必要はありませんよ。奴は錯乱しています。幻術でも見せれば二人を殺したと勘違いするでしょう。その隙に姉さんが海を駆け、トドメを刺して下さい」


「それじゃあ……アナタが死ぬじゃない……!くぅ……あぁ……!」


「このまま二人で潰れるぐらいなら、行って下さい!アイツがここから解き放たれたら、他の方々も全滅してしまいます!」


 二人を覆う空間は既に残されていない。身を寄り添いながら、姉妹は互いの目を見合う。


 完全に生を諦めているチドリ。それを感じ取ったヨロズはどうしようも無い程に渇望してしまう。願わずには、いられない。


 ――――覚醒しろ、覚醒しろ、覚醒しろ。光の翼、冥き星、何でもいいから繋いでみせろ。でなければここで死んでしまう、大切な家族が。


「――――姉さん、私達は人なんです」


「チ……ドリッ……!」


 力を込めた血管が破裂するのが解る。もう、永くは持たないと人体が警鐘を鳴らす。


「狂った様に誰かを助けたいなんて、守る為に殺すなんて、思えない様なちっぽけな人間なんですよ。他の誰よりも才覚に恵まれて、努力を惜しまなかった。私達は立派な人間だから、絶対にそういう領域には至れません」


 奇跡は手軽では無い。いくらいとも容易く『光翼星』への接続者が増えたとはいえ、それは狂える程の渇望があればこそ。それを説くチドリの顔は飛び立つ姉の胸を優しく抱き締める様な安らぎを携えている。


「諦めていませんよ、託すんです。私達は弱いから、誰かに託すしか無いんです。一人では成し遂げられない事も、きっと託された誰かが担ってくれる。成し遂げてくれる。だから――――私はここまで来たんです」


「何を――――」


「何でも一人でやろうとするあのお馬鹿な上司に、一言かましてやる為に来たんです。貴方がここに居るという意味を、教えてあげる為に」


 なまじ願った事が叶ってしまったから、それだけ願えてしまったから。恒星は何処までも一人で突き進んでしまうから。


「一人では何も出来ない人間の、誰かを頼るという弱さを見せつけてやって下さい」


 ――――この戦いに、意味があったと思いながら犠牲になりたいとチドリは言う。


「…………愛してる、私もそんなに長生きしないと思うから」


「長生きはして下さい。お酒も程々に」


 荒れ狂う海とは正反対の凪の様な静けさの中、二人は静かに額を合わせ目を閉じる。一秒にも満たない瞬間に、家族は別れを終わらせた。


「小賢しい……! 裁きを受けろ! 裁きを受けろ! 我の民を滅ぼしたその報いを受けるがいい!」


 駆ける、駆ける、水中を。自由になった星を爆発させ、自分一人の身を守りながら標的を目掛けて海を駆ける。


「死ぬのは――――貴方よ!」


 ポセイドンが見下ろす下方とは真逆、上空から聞こえてくる声にほんの僅かに反応が遅れる。


「これで――――!」


 ポセイドンが今まで相手取っていた地上の二人、そのうちのヨロズの幻術が溶けて消える。しかしそれを認識した瞬間には既にポセイドンの体は水の刃によって両断されていた。鋼と水飛沫が混ざり合いながら多量の水柱は自然法則に打ち負け地に落ちる。


 暴風壁の中を暴れ回る波の上で力尽きたヨロズは重力に身を任せ地面へと落下する。


「――――ゲホッ……チドリ……チドリ……」


 体中に奔る痛みを振り払い、ヨロズは近くに居る筈のチドリを探す。もしかしたら、可能性があるならば、淡い期待を胸に霞む視界のまま周囲を見渡す。


「…………」


 戦闘の音から隔絶された空間にヨロズの吐息だけが響き渡る。結果は分かっている、それでもという可能性は現実となって視界に広がる。


 幸いなのは、即死であった為、痛みに喘ぐ事が無かった事。たったのそれだけだ。眠る様に息絶えた妹をヨロズは静かに腕に抱く。


「……アナタが生きてなきゃ……駄目じゃないの」


 空しいままにポセイドンの亡骸へと視線を向け、その所業と境遇に同情の念を送る。揺れる波に掻き消されながらポセイドンの体は何処か遠くへ流れていく。


 優しき王は自身が治めた国同様の最期を辿り、無念の内にその生を閉じた。その結果は変わりなく、星機体となった後も救われなかった者は救われない。


 せめてもの救いはポセイドン自身が国を滅ぼしてしまった事を知り得なかったという事。その末路は劇的なものであったにせよ、最期まで彼はこの世の自然を怨みながら息絶える事が出来たのだ。


 流れる海の波音へと耳を傾けながら、ヨロズは力尽き、チドリを抱えたまま地面へと倒れ伏す。

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