第138話

 とある小国のとある王様。


 とある浮島の上にある小さな世界を統べる国王。


 優しくも、威厳があり、上に立つ者の素質を備えていた。


 加えて星光体ともなれば皆は敬い着いて行った。その背中を追えば必ず輝かしい未来が訪れると信じて。


 民は王を頼り、王は民に命ずる。そんな当たり前の構図が当たり前の様に出来上がり、理想の国として皆が笑いながら過ごしていた。


 王は誇りに思った。こんな素晴らしい国の王である事が。ならばこそ、皆の為に尽力を欠かさず小さな国に繁栄を齎した。


 ――――そんな理想の王国もやはり災害には敗北してしまう。


 過去最大級の津波により浮島の上に出来た小さな国は呆気無く滅びてしまう。星の力を持ち、水を操る事が出来た国王だけを残して。


 王はその衝撃に耐え切れず、未だ玉座に座り続ける。幾度と無く迫る津波に晒されながらも、残された謁見の間に何十年も座して待つ。


 過去に捕われ続けた王は嘆きと共に深海でその生涯を閉じる事となる。


 ――――どうか――――まだ――――。


 過去の栄光に縋りながら、涙の枯れた瞳は静かに虚空を見上げるばかり。


 そんなただの災害に敗れたどこにでもありそうな小さな国の御話。




――――


「姉さん!」


「――――、ッ!?」


 渦巻く水柱によりヨロズの体は飲み込まれる。自身の周囲の水のみを巧みに操り何とか柱から脱出を図った。


 しかしこの程度では終わらない。更に追加で十本もの水柱が徒党を組んで襲い掛かる。縦横無尽に繰り出されるそれは回避不能。ヨロズは再度水に飲まれ岩石に叩き付けられる。


「――――助かったわ」


「ふむ――――」


 ポセイドンの放った攻撃の中にヨロズの姿はなく、チドリによって抱えられ難を逃れていた。


「やはり厄介だな、幻覚使いというものは」


 初撃からの脱出する直後、ヨロズの着地位置を誤認する霧を発生させていた。たったそれだけの事で後に続く水柱は標的を捉え切れずに距離をとられる。


「ならばもう一度」


「姉さん……」


「ええ……!」


 ポセイドンに対する二人は今一度気を引き締める。戦闘開始と同時に放たれた不可視の攻撃。たったのそれだけで人間という生物を殺し切る。


 体内に存在する血液、及び水分を膨張させ水風船のように破裂させる。それこそがポセイドンが持つ対人体への必殺技である。


「やはりか……」


 しかし『海星ネプトゥヌス』を掲げるヨロズも同種の水使い。防御に集中さえすれば辛うじて二人分を守り切る事が出来る。


 よって必殺の一撃は完封されるが、ヨロズ達もまた攻撃の手段を持たない。ヨロズの用いる攻撃には全て水を用いる。ポセイドンも同様、それ以上に水の扱いに長けている。放った水は全て絡め取られ倍以上の練度となり返される。


 言うに及ばずチドリの星は戦闘に、ましてや破壊力に特化したものではない。幻覚、暗闇、分身による攪乱を用い攻撃を受けない様にするだけ。


 故に勝負は二人の不利なまま拮抗し、大きな動きを見せないでいる。


「チドリ……」


 ヨロズの僅かな目配せと共に二人は背中を合わせながらポセイドンを睨み付ける。


「キツイと思うけど、私達に勝てる手札は無いわ。だからここで時間を稼ぐ。その間に、誰かからの救援を願おう」


「救援が……来なかった場合は……?」


 分かり切っている事実をそれでも問わずにいられずに、妹は姉へと問い掛ける。


「限界が来たその時は――――命を懸けて相討ちを狙う」


「分かりました。その時が来ない事を祈りましょう」


「相談事は終いか?」


 二人の会話に区切りがついた頃に今まで不動のままだったポセイドンが語り掛ける。


「ええ、ありがとう。見た目に寄らずお優しいのね」


「ふん、未来の民となる者やも知れぬからな。優秀な人材にはそれ相応の対価をやらねばならぬ」


 突如として飛び出した意味不明な発言にヨロズは眉根を寄せる。


「……未来の……民?」


「むっ……? 未来の……? 我は一体……?」


 この戦闘中に何度か発したポセイドンの言葉には何処か重さを持たない、今にも消えてしまいそうな程の軽薄さが見て取れた。まるでここではない何処か遠くを幻視ししているかの様な。


 瞬間、ポセイドンの両肘と両膝を狙って放たれる不可視の投擲。一寸の狂いなく放たれたそれはしかし単純な硬度に打ち負け虚しい金属音と共に地に落ちる。


「やはり……駄目でしょうね」


 会話の最中、物は試しと放ったチドリの投擲。まるでそこに居るかのような存在感を放ちつつ幻覚と共に投擲を放った。


「や、やめるのだミザエル! これは王への謀反であるぞッ!?」


「えっ……?」


 ポセイドンの慌てふためく反応は投擲を行ったチドリですら驚きを隠せない程のものだった。


 頭を抑えながら酷く冷媒した彼は只人の様に戸惑う。まるで信頼を置ける誰かに突然刃を向けられたかの様な。


「…………なんなのだ……これは……?」


 当の本人でさえ混乱し回路が詰まった頭部をひたすらに抑える。


 戦いが長引くに連れ、ポセイドンは徐々に人間らしさを取り戻しつつあった。自身が人間であった時の記憶や思いを強く継承し、星機体である事実さえ捻じ曲げて電子の脳に蓄積される。


「……聞かせて貰ってもいいかしら。貴方が治める国というものを」


 どの道時間を稼ぐのならば戦うよりも話し合いで時間を潰した方が効率的だろう。即座に話の流れを汲み取り朧気な形の国について問い質す。


「我の……国……? それは……ああ……。――――ああ、とても美しかった」


 ポセイドンの声音から機械然とした違和感が消える。ここに居るのは過去、何処かで生きた人間である。


 これもひとえに魔王がこの世から遠くかけ離れた地点、星座へと墜ちて行った弊害である。そのせいか魔王に掛けられていた呪縛が徐々に緩まってきている。


「小さな国だ。誰かの為に精一杯頑張れる、そんな素晴らしい人間が多く暮らしていた」


 か細い声ながらも、ポセイドンはかつて自身が治めていた国を賞賛する声を上げる。


「美味い魚が取れてな、ワシが海から取って来れば子供達が大喜びしておってな!」


「へぇ……是非とも一度口にしたいものね」


「うむ! 貴公も一度立ち寄るがいい! みなも歓迎するだろう!」


「……姉さん」


「しっ。任せて」


 荘厳な態度は消え失せ、ポセイドン本来の人間性が垣間見える。彼は元々戦闘者でも無ければ略奪者でも無い。なまじ争い事には向いていない、優しい王様。


「他には? 何か……景色とか……名所とかっていうのは?」


「景色のぉ……いかんせん孤島じゃからなぁ。崖から見る海は煌びやかではあるが……後は城ぐらいかの?」


「へぇ……お城。さぞご立派だったのでしょう」


「みなで協力したからの。石造りの、何とも立派な城を築けた」


「何て言う国だったの? 名前は?」


「名前…………?」


 今までの会話の流れから大してズレていない話題にも関わらずポセイドンは妙な引っ掛かりを覚えた。


「名前……名前……何を……ポセイドン……みな一体……何処へ…………?」


 その狼狽の様相は明らかに異質である。正しく廻る歯車、しかし絶妙に噛み合っていない。そもそも星機体の性能が過去への感傷を封殺している様だとヨロズは察知した。


 速く、鋭く、的確に、それでいて迅速にヨロズは決断を下す。繰り出すのは最大威力。この好機を逃せば、二度とは奴へと近付けまいと感じ取ったのだ。


「ゴッ――――ハァ――――ッ!?」


 叩き付けられた高圧水流に為す術も無く岩石に圧しつけられる。ほんの僅かばかりだがアラミタマで作り上げられた装甲が剥がされていく。このままの状態で続けていればいずれポセイドンの体は水圧によって砕け散るだろう。


 ガチリと何かが嵌め込まれる音がした。正常だった筈の歯車が、人間性が海へと溶ける。


 それは魔王が残した緊急機構。六残光が人間性を取り戻した際に発生する人類への敵対意思の再構築。


 今までの人間性の全てを捨て去りながら、ヨロズが巻き起こした水流を押し退けていく。


 そこから紡がれる詠唱には機械の冷たさしか残っていなかった。


 ――――青き水面に寄り添いながら我らは共に生きてきた。

 優しく、雄々しく、何処までも続く水平線に誇りを抱き手を取り合ったあの憧憬は偽りなどでは決してない。

 夢に描いた銀河の果ては、深海の底に虚しく煌めく。

 大海に散ったかつての光よ、どうかせめて安らかに。

 我は永久に待っている、いつか真なる理想郷が水面の底より甦るまでのその時を。


 ――――否、否、断じて否だ。滅んでなどはいないのだ。理想郷はここにあり。信に支える民が待つ、水面の底から流れ出すのはみなが愛した我が故郷。


 滅んでいると自覚しながら、それは否だと断じる矛盾の星。ポセイドンは今、この瞬間に過去を取り戻す。


「『海王星ポセイドン――深海に眠るは我が理想、グロウリーヘヴン・皆の愛した水鏡国アトランティス』」

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