第133話

 翌朝、まだ日も昇らぬ早朝に俺は一人家を出る。


 軍の仕事も区切りをつけた。俺が抜けても振り回される事は無いだろう。


 身の回りの整備も完璧だ。俺の貯金の全てはサルビアに与えられる。質素にさえ過ごすのならば一生困らない程度の金額だ。


 ――――みんなは俺の死を悼んでくれるだろうか。


 そんな感傷に浸りながら俺は街の出口へと歩く。


「やっぱり行くのかい……?」


「……ジューダス?」


 俺の道の先に立ち塞がるのは七星のジューダス・ライフレインその人だ。


 その瞳に敵意や害意は何もなく、いつもの様に優しげな眼差しで問い掛けてくる。


「どうしてお前が……?」


「最近の軍での行動。ここにきて急に全財産を掻き集めて金庫に放り込む。完全にここから去って行く人間の行動じゃないか」


「……まぁ……それもそうか」


「それで……魔王を倒しに?」


「そうだ」


 その問い掛けに即答し、ほんの僅かにジューダスの顔が歪む。


「全員で力を合わせるんじゃ駄目なのかい? 君ひとりで行くよりも勝率が上がるだろう?」


「誤差だよ。滝に水滴が混ざる程度だ。だったら態々飛び込む必要すらないだろ? 気付けば終わり。世界を脅かした魔王は倒されましたってな」


 詰め寄るジューダスへあえて遠ざける様な口ぶりで言い放つ。


「……死ぬ気なのかい?」


「そう取ってもらって構わない」


「どうしてだ! 君の力なら魔王だって楽勝なんじゃないのか!?」


「色々見つめ直してさ、解ったんだ。アイツはそんな生易しいものじゃない。格が違っていたんだよ、正真正銘の化け物さ。奴と同じ舞台に上がった今の俺でさえどうなるかさえ分からない」


 最初は魔王なんていつでも殺せると思っていた。殺せると思いたかった。


 きちんと自身の宿命に目を向けて、俺という恒星核が進化して、ようやく魔王の星の脅威を知った。


「だから来るな。行かせてくれ。せめて最後に胸を張って守らせてくれよ」


 ジューダスは何も言わない。ただ視線を下げ悔しそうに拳を作るばかり。


 彼の隣で一度立ち止まり、すれ違いざまに軽く肩を叩く。


「皆を頼む。そして――――止まってやれなくて悪かったな」


「――――、ッ!?」


 今という日常を愛するのがジューダス・ライフレインという男の真実だ。故に発現した星こそが時間停止。流れゆく日常を絵画のままに飾りたいと願い、それが決して叶わないと知っている。


 そんな常識的で良識のある彼の時間の中で消えていく俺をどうか許して欲しい。


 ジューダスが振り返ろうとした瞬間、俺は全速でアステリオを離れる。景色が後ろを流れていく、今まで過ごしてきた日常が融けていく。


 ――――さらば愛しき我が日常。どうかせめて、安らかな日々を過ごしてくれ。




――――


 セラウスハイムまでやってきた俺は近場の建物の屋根に着地する。日は未だ昇らず、早くに支度している漁師が数人伺える程度。


 この街の何処かにユーリが眠っている筈だ。一瞬迷いはしたものの、態々起こしてまで別れを告げるのも悪い気がしてきた。俺は結局街を過ぎ去り海面を蹴り上げながら魔王城を目指す。


 ユーリは強い子だ。例え俺の死を知った所で立ち直ってみせるだろう。


 ――――そうやって、また逃げる。


「――――アレか」


 岩石だけの小さな島に建造されている魔王城。黒く塗り固められた外壁は素材の全てが不明である。歪みも欠片も無いそれはまるで黒い砂粒の集合体の様だ。


 城における入口であろう部分が音も無く押し開かれる。


『ようやく来たわね。口約束にしても期限は付けるべきだったかしら?』


「一ヵ月と少しだろ? 我慢してくれよ。こっちだってやる事が山ほどあったんだ」


 聞こえてくる念話に当たり前の様に答える。最早奴は目と鼻の先。繋がりの深い俺たちは心で念じるだけで会話が成立してしまう。


『さあ、入っていらっしゃい。貴方が入り次第魔物で防衛網を築き上げるわ』


「ああ、それなんだけどさ――――」


 己の内の星をただ一振りするかのような気軽さで起動させる。


 俺とマオの決戦。その最中に魔物で城を防衛する。これで邪魔者の入る余地は無く、確実に二人で戦えるという訳だ。


 ――――しかし。


「あれ――嘘だから」


 射程は全世界、対象は魔物及び六残光。


 ――――死ね。


 たった一度の念により世界から魔物という存在が滅殺される。奴の幹部としてこさえられた六残光ですら何ひとつ抵抗できないまま冥府に墜ちる。


 ――――すまないケルベロス。ついでにプロメテウスも。お前達も人類の敵に変わりない。だからせめて安らかに死んでくれ。


『……やってくれたわね』


 本当に、心の底から呆れた様に乾いた笑いが漏れて聞こえる。


「俺たちは敵同士だろう? オマエを斃して魔物が消え去る保証が無い以上、殺し尽くしてから戦うに決まってるじゃねぇか」


『もう……信じた私が馬鹿みたいじゃない。悪い子なんだから』


 それでも奴は変わらずに母が子を叱り付ける様な優しい口調で怒る。マオにとっては本当にどうでもいいのだろう。ただ念には念を入れたかっただけに過ぎないのだから。


 俺がここまで単独で来た以上、マオの目的は達成されたも同じなのだから。


『入って来なさい。早く会いたいわ』


「俺にじゃねぇだろ」


 マオに誘われるがまま、俺は魔王城へと足を踏み入れる。

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