第61話

 ――――アイル……アイル……私はここよ。


 うるさい、うるさい。近寄るな。


 ――――酷いわ、約束したじゃない。


 そんなの知らない。お前なんて知らない。


 ――――大丈夫。いつかきっと目覚めるから。あの子が描いてくれるから。


 知らねぇ……黙れ……それ以上喋るな。


 ――――それならば……総てを殺して、私と一緒に眠りましょう?


「うるせえェェェェェェェェェェッ!!」


「ぎゃああああああああああ! すまぬすまぬ!! これは決して夜這いとかそういうヤツじゃなくてだなあっばばばばばばばばばばばッ!!」


「…………なにやってんだ……お前」


 何か胸糞悪い夢に叩き起こされてみれば、目の前にはファヴニールが俺に跨り顔を覆っている。


「……またか……おい」


「ち、違うわ違う! これはぁ……そう! 愛を育む為じゃ! さぁさぁ! その子種をわしに注ぎ込むがいい!!」


「よっぽど性質わりぃわ!!」


 夜這いを行ってきたファヴニールの頭の頂点に俺の鉄拳が火を噴いた。


「ぎゃふんっ!?」


「飯ならやってんだろうが……ったく……」


 彼女の体を掴み、そのままベッドで横になる。


「ア、アイル!? せ、積極的じゃなぁ!?」


「いいから……今日は……一緒に寝てやる……」


 駄目だ……少し震える。誰でもいいから、傍に居て欲しいなんて思ってしまう。


「――――まったく……甘えんぼさんじゃなぁ」


「……うるせ」


 彼女の温かさに包まれながら、俺はもう一度眠りに就く。


 そうだ……もう、怖くなんてないんだ。




――――


「珍しいですね、兄さんがファヴちゃんと寝るなんて」


「……今日は、偶々……な」


 目を覚ますと俺の体は唾液でベトベトに汚されていた。何かに酔っ払うように顔を赤らめているファヴニールを簀巻きにしてから川で水浴びし、そうして今に至る。


「ハァ……なんだかなぁ……」


「どうしたんですか?」


「いや、何でもない。やっぱ叩き出すか、アイツ」


「ふふ、そんな気なんてないのに、ほら、運んでください」


「いやいや、俺だって家主としてだなぁ……」


 今日は卵のスクランブルエッグにソーセージか。いかにも朝食らしいメニューだな。とろとろの焼き加減の黄色が目に眩しい。ケチャップの赤に彩られ、ソーセージもテラテラと輝いている。


「むぅ……」


「どうしたんですか、シエルさん」


「……一緒に寝るなら……私とも寝てくれたっていいじゃないか……」


「あーー……」


 マジで手を出してしまうから簡便してくれ……とは言えない。逆に手を出してくれとせがまれるだろうしな……。


「俺たち……そういうのはまだ早いと思う……」


「何がだ! いいではないかッ! きちんと関係を持った男女が行為を行うのは至って――――」


 ズガンとまな板を包丁で貫く音が聞こえてくる。


「ふたりともぉ? 今は朝食の時間ですよぉ? そういう話は夜にでもして下さいねぇ?」


「す、すいません……」


 声を揃えて我が家の覇者に頭を下げる。


「さっさと食べちゃって下さいねぇ。私の愛情が籠った朝ご飯ですよぉ」


「い、いただきますぅ!!」


 素早く手を合わせ朝食を頬張る。うんうん、このソーセージの味がたまらんなぁ。外はカリカリ、中はジューシー、いくらでも食べてられるな。


「……なぁ……これって」


「気が付きました? 祝祭の時にラッセルさんが出してた屋台から頂いた物なんですよ? 今でも偶にお手紙でやり取りをしているんです」


 一体何処で仲良くなったのか。我が妹ながら、恐るべし。


「……ん? ……手紙?」


「はい、美味しかったか? とか、次はいつ王都に来るんだ~とか。世間話とかですね」


「…………ラッセルと?」


「そうですよ? 結構面白い方ですよね。軍人さんってもう少しお堅い方ばかりだと――――」


「殺すわ」


「はいはい、行かせませんよー」


 そのまま首根っこを掴まれ席に戻される。


 サルビアからの説教を小一時間受け、ようやく解放される。




――――


「ハァ……」


 今日も今日とて釣り糸を垂らす毎日。


 最近は寝れば寝るだけ心が疲れる気がする。体調は良好。しかして心に泥が詰まっているというか、何とも立ち行かない。


「今日も釣り?」


「あぁ……釣り釣り」


「寝そべってても釣れるの?」


「俺ぐらいになるとなぁ……」


「じゃあ、私も寝る」


 昨日と同じ様にイリスがやってきて共に過ごす。彼女は横になった俺の腕の間に入り込んでくる。


「くぅわっ…………ああああ」


 一際大きな欠伸が出る。


 ああ駄目だ、このまま寝てしまおうか。


「おっ?」


 立てた竿が勢い良く引かれる。持っていかれない様に竿をしっかり掴み取り、川の中を覗き込む。


「何だ……枝かよ……」


 期待を裏切らせやがってと怨みを込めて地に放る。


「よっこらせ……」


 また竿を立て、イリスを抱き締め横になる。


「それ……釣りになってる?」


「カイネか……お前も釣るか……って、聞くまでもねぇな」


 釣竿を持ったカイネがこちらの方に歩いてくる。大方、夕飯の確保にでも来たのだろう。


「と……隣……いい?」


「んん? おう」


 何を今さら聞いているんだと疑問に思うが、快く了承してみせる。


「……お前さぁ、なんか余所余所しくないか?」


「え、ええっ!? い、いやぁ……そんなぁ……あー……たはー!」


「たはーって……なんだよソレ」


「へ、変じゃない変じゃない! マイブームなのよねぇ、これ! ほらほら! カイネお姉さんはいつもフレンドリーだぞぉ!」


「お、おい! 抱き着くなよ! マジでどうしたお前!」


「て、照れるな照れるな! こ、こんなのただのスキンシップだからぁ!」


 照れるなって、カイネの方がよっぽど照れてるじゃねぇか。沸騰したお湯に付け置いたかのように赤く火照っている。


「……胸が当たっているんですが、セクハラですか、お姉さん」


「どおぅあっ!?」


 どんな鳴き声だよ。


「熱でもあんのか?」


 彼女の額に手を置くが、更に顔を赤くし視線も定まらないようになってきた。


「あ……ああ……あああ……だ、大丈夫だからっ!!」


「おお……そうか」


「カイネ、だいじょうぶ?」


「う、うんうん……ダイジョブ……ダイジョブ……」


 イリスをカイネの膝に置いてやると驚く程瞬時に熱が冷めていく。


「……話があるから来たんだろ?」


「……うん」


 それ以上は何も問わない。彼女が話せるタイミングを待ち続ける。垂らした釣り糸は二本に増え、優しく凪ぐ風が揺らしている。


「……アイルと……シエルちゃんって……付き合ってるの?」


「…………ハァ?」


「だ、だって……凄く良い雰囲気だったし……その……キスまでしてたし」


「まぁ……付き合ってると言えば……そうなるか?」


「曖昧じゃん……」


「曖昧って訳じゃ無いな。ああ、付き合ってる。愛し合ってるって言った方がいいか」


「……そっかぁ」


「一々沈むなよ……ったく」


 少し気恥ずかしくなり空を見上げる。


「まぁ、マリナとも……そういう関係だ」


「マリナちゃんとも!?」


「ああ……その……ちゃんとしてないよな、分かってる。それは分かってるんだけど……」


「……ハーレムってヤツ?」


「まぁ……概ねその通りです」


「……一人だけじゃ……なくていいの?」


「一人を選ぶ事が誠実で、間違い無く本当の愛を貫けるものと思ってはいるんだ……それでも――――」


 ――――ええ、そうね。総て手元に置いておかないと、失った時が怖いものね。


 うるせぇ。テメェは黙ってやがれ。


「どうしたの? 頭が痛いの?」


「ああ、時々変な声が聞こえてな……」


「一度王都で診て貰った方がいいんじゃ――――」


「いや、これはいいんだ」


 何となく、口から自然に漏れ出した。


 しかし、これに関してはこの声の言う通りだ。


「さっきのだけど……ただ、怖いってのもある。大切な人達は、全員傍に居て欲しい。失うのが……怖いんだ」


 失いたくない、失いたくない。一度は自分の命すら失ったのだ。これ以上、何かを失くすなんて耐えられない。


「ア、アイル――――」


 気が付けばカイネに詰め寄る様に乗り出していた。顔を見合わせ、互いに恥ずかしがる様に後退する。


「悪い……ちょっと――――」


 後退した俺を抱き締める様に引き寄せてくる。


「ん――――」


「わぷ――――」


 俺とカイネに挟まれる様になったイリスから可愛らしい呻き声が聞こえてくる。


「私がアイルを守るから。力では弱くたって――――貴方の心は誰にだって穢させないから」


「え、えっと……」


「付き合う、付き合わない。そんなのは関係無いの。ただ、私はアイルを愛してる、だから絶対に守るからね。……好きだから、大好き。世界で一番愛してる」


 日中、それもイリスの前だというのに、カイネは俺の唇を奪う。


「んぅ!?」


「わぁ」


 唇を離された俺は気恥ずかしそうに頬を掻く。


「時と場所を考えろよ……」


「えっ? あっ! …………たはー」


「たはーじゃ無くてだな……」


 ふと気が付くと頬に暖かさを感じた。イリスが俺に抱き着き、可愛らしいキスをくれる。


「私も、アイルが好きだよ?」


「あ、あはは。ああ、俺も好きだぞ」


 少し気恥ずかしさを残しつつも、静かに流れる時の中に浸り続ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る