幕間 回想:ケルベロス
冥い記憶。
周囲に響くのはサイレンの音。チカチカと視界を塞ぐ赤色が鬱陶しく感じた。
通り魔殺人。珍しく無いといえばその通りだが、実際に遭遇する確率は天文学的な数字になるだろう。
背中を一刺し、それだけで俺は地面に倒れこみ、意識を朦朧とさせる。
無駄に喚き散らす傍観者に腹を立てる。
可哀想に、まだ若いのに。うるせぇな、そう思うんなら変わってくれや。
見下ろしてるんじゃねぇ。何で俺がこんな目に合わなくちゃならねぇんだ。
塵共が、貴様らの足も引きずり降ろしてやる。俺と同じ場所まで墜ちてこい。
この時ほど他人を恨んだことは無い。転生する前の、今ではこんな事も合ったなと、振り返られる程までに昇華した、懐かしい記憶。
――――
「二度と手を出すんじゃねぇぞッ!」
「くぅ――――糞がッ!!」
逃げていく山賊の後ろ姿を一瞥し、ざまあみろと心の中で呟く。
「すげぇじゃねぇか! お前さん、名前は?」
「アイルだ。アンタらも大丈夫か?」
「おうっ! いやぁ、キリュウ様には感謝だな! これで村は平和になった!」
「大袈裟だなぁ……」
十歳の頃。いつもの様にマリナの依頼をこなしていく。この頃は今よりも精力的で、月に一回は何かしらの仕事を貰っていた。
フール村の近くに存在する、ムール村。その周辺にジョン・バルボッサ率いる山賊団が根付いたのだという。
バルボッサは星光体。並の冒険者では歯が立たない。そこで矢面に立ったのが俺、という訳だ。
「オレァ、ケルベロスってんだ! ヨロシクな、兄弟!」
「きょ、兄弟ぃ?」
獣人族が住まうムール村。若くして村一番の用心棒に登り詰めたケルベロス。
皆の兄貴分で面倒見が良く、星光体の力を遺憾無く発揮していた。
歳が近い俺たちは自然と仲を深めていった。
「へへっ! オレの勝ちだっ! 競争なら負けんのよっ!」
「くっそっ! 早すぎんだろっ!」
見た目同様、子供らしくかけっこを。
「ゼェ――――ハァ――――組み手なら……俺のが強ぇな」
「ゲホッ――――だあぁぁぁぁッ! ちくしょぉッ! 惜しかったッ!」
「惜しくねぇよ! 俺の楽勝だったろうがっ!」
「いいや、惜しいね! もう一戦だこの野郎っ!」
「アンタたち! 危ない事してんじゃないよッ!!」
「グハッ!?」
「クゥン!?」
力試しの組み手をして、近所のおばさんに殴られて止められたり。
「フィィィィィッシュッ!!!」
「デッケー!! マジかよケル公ッ!」
幻の巨大魚を目指し秘境まで釣竿片手に冒険したり。
まぁ、今にして思えば、中々に楽しい思い出の数々だったと言わざるを得ない。
「今度うちの村にも来いよ。ケルに会いたいってさ」
「おお、マジか! だったら兄貴分として行ってやらねぇとな!」
「誰が兄貴だよ、オマエが弟だろうが」
「んだとこのヤローッ!」
「勝負か?」
「あたぼうよッ!!」
兄貴分の座を掛けての喧嘩。いつもと変わらぬ日常の風景。心地の良い、掛け替えの無い宝物。
しかし大切な物というのはいとも容易く消え去るのだと、改めて痛感させられた。
「……おせぇ……あのバカ、寝坊してんじゃねぇのか?」
フール村での約束の日。中々訪れないケルベロスを不審に思い、ムール村まで見てこようと山道を駆け上がっていく。
「…………何だ、この臭いは」
鼻の奥を擽る吐き気を催す臭い。気配。少し嫌な予感を感じながら、俺は走る速度を更に上げる。
「――――はぁ?」
「ア……アイル……か……」
思わず素っ頓狂な声が漏れる。この光景を現実の物と思いたくなかった。
これは夢で、きっと俺は寝坊してて、起きたら家にケルベロスが遊びに来ていて、サルビアと意気投合したケルベロスに茶化されて。
一歩近付く。踏み締める地面の感触。むせ返る血の匂い。充満しているのは死の香り。
全ての家に突き刺さっている土の杭。歩く道全てに血が溢れ返っている。
その中心に横たわる、黒い毛並みの友の姿。いいや、あれは横たわっているのでは無い。宙に浮かび、地面から突き出した土の杭に腹を貫かれ、その体を持ち上げられているだけだった。
「――――ハァッ! ハァッ! アアッ!!」
訳も分からず、ケルベロスを貫く杭を砕く。全身に打撲痕を残した友を担ぎ、優しく地面へと降ろす。
「な、何だッ!? 何がッ! 誰がやったんだよッ!?」
「アア……やっぱ……アイルかぁ……」
「待ってろ! うちの村には医者がいるんだ! こんな怪我、すぐにでも――――」
「手ぇ……握ってくれるか……?」
血塗れとなったケルベロスは弱々しく、僅かに手を震わせる。
「大丈夫だッ! ここにいるッ! だからそんな弱気になるなよッ!」
「いつ……だったかなぁ……アイルが追い返した……山賊。……ソイツ等が来て……皆を……」
一気に絶望の淵へと叩き落される。俺が以前追い返した山賊、ジョン・バルボッサの山賊団。そいつ等がこの惨劇を引き起こしたのだという。
「ごめんなぁ……守れなくて……。オレ、兄貴分なのにさぁ……守れなくてさぁ……」
「……泣くな……泣かないでくれよぉ。俺が……俺が悪いんだ。俺があそこで殺さなかったから」
あれだけ痛い目を見たら二度と手を出さないのだと、夢見がちな考えに捕われていた。
「オ……マエ……こそ、泣くんじゃねぇよ……。これは、アイルの――――」
糸が切れた様に掴んだ手から力が抜ける。
「……おい……おい……嘘だろ? ……ダメだろ……まだ、遊んで無いのに……」
妹が家で美味い料理を作って待ってるんだぞ? デカい鍛冶場だってあるんだ、お前が見たら絶対に驚くのに。
紹介したい友達が、物が。共に行きたい場所だってあるんだ。星獣とだって友達なんだぞ?
「死ぬな……死ぬなよぉ……。死なないでぇ……」
涙で何も見えなくなって。塞がった視界はこの手の冷たさをより実感させるものとなって俺を襲う。
「死ぬな……死ぬな――――」
感情が、怒りが――――星が、爆発した。
「死ぬなあああああああああああああああああああああッッッ!!!」
天に叫んだ慟哭は、誰にも届かず虚しく消える。
ムール村を死の影が覆う。頼む神様、こいつ等どうか連れて行かないで。
俺なんかより、生きる価値があるんだから。
しかし願いは届かずに、亡骸を飲み込んだ俺は滅殺すべき対象を捕捉する。
――――
ムール村から程近く離れた洞窟の中。ジョン・バルボッサ率いる山賊団は奪った食料を散財するかのように宴を開いていた。
「ゲッヒャッヒャッ! あのガキ見たかよっ! 惨めったらしく庇いやがって、何が『オレだけなら何してもイイから』っだ、バカじゃねェのか? コレだからモノを知らねェ田舎モンはよォ」
バルボッサを中心に、下賎な笑みが洞窟を包み込む。
――――すぐそこに、死が近付いて来ているとも知らずに。
「ジョン……バルボッサ」
「ああ? 誰――――」
バルボッサが振り向いた瞬間、周囲を取り囲む全ての人間の腹が捌かれていた。
「なっ!?」
臓物が飛び出し、苦しく喘ぎながら地に伏す山賊団の一員。
「な、何がッ!?」
「ムール村、九十九人」
「あ、ハァ!?」
「お前たちが殺した数だ」
洞窟の入り口で語る暗い影を背負った少年は一息で懐に飛び込み、バルボッサの股間を蹴り砕く。
「ホゥアッッ!?」
股間を抑えのた打ち回る。近付いた少年の顔を見上げ、驚愕する。
「お、お前はぁ……あの時のッ!?」
少年、アイルは近くに立て掛けてある斧を手に取り、バルボッサの側に立つ。
「な、なにをッ!?」
無言で刃を腹に押し当て、ゆっくりと引く。薄皮が切れ、黄色のブヨブヨとした塊が、その奥には桃色の臓物が覗いている。
「アッッ――――アッガアアアアアアアアアアアアアッ!?!?」
「今から、九十九箇所、狼が貪り食らう。安心しろ、そう簡単に死なせねぇから」
横たわるバルボッサの隣には一匹の銀狼が佇んでいる。ゆっくりと近付き、その内臓に牙を立てる。
「『
「アアアアッアアアアアッ!! アッ、ヒィ!? ヤメッ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
腸を、腎臓を、胃を、苦しみもがき逃げ惑えば足を、抵抗しようと手を出せば腕を、眼球を爪で切り裂く。舌を噛み千切る。睾丸を、指の一本一本を、歯を、皮膚を、その全てを噛み千切る。
絶叫が鳴り止み、醜い肉の塊だけが残された。
復讐を遂げたアイルの胸には、虚しさとほんの僅かな満足感が満たした。
復讐を遂げて満足をする。そんな自分に嫌気が差して、亡き友を想い、ただの一人で涙を流した。
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