第33話

「ん……んぅ……」


 窓から差し込む朝日を浴び、目を覚ます。


「おはよう、ケルベロス」


「……おう、おはよう」


 目の前にはユーリの顔。あれから結局コイツと寝るのが習慣付いている。


 久しぶりの睡眠に少しくらつきながらも仮面を正すべく顔に手をやる。


「……ああ?」


「ご、ごめんね。気になっちゃって……つい」


 狼の面が少しずらされ素顔を晒していた。


 ユーリは体を小さくし目を逸らす。


「別に……いいさ。お前だけならあまり問題は無い」


「い、意外とカッコいいんだね!」


「意外とは余計だ」


 ユーリの頭に手をやり、強引に髪の毛を掻き乱す。


「わわっ!? だ、だってずっと仮面してたし……ほら! 顔に傷跡でも付いてるのかなって……」


「そんな武勇伝が語れる傷でもあれば良かったんだがな。悪いな、ただの色男で」


「……うん。カッコいいよ、ちょっと冴えない感じがして……好きかも」


 ユーリが俺の胸へと顔を埋めてくる。愛おしそうに匂いを嗅ぎ、頬擦りをしてくる。


 どうやら完全に懐かれてしまったようだ。


「いつまでもやってないで、朝飯いくぞ?」


「うん……あと五分だけぇ」


 軽く溜め息を吐き、彼女を抱き寄せる。


 勇者としての力試しの模擬戦は明日。大丈夫、まだ殺せる。


 既に言い訳染みた考え、それでも首をはね飛ばせる。殺せる、きっと殺せる。


 ユーリが、勇者じゃなければ良かったのにな……。




――――


「それで……自身の任務を放り出して私の元に来たというわけ?」


「仕方ねぇだろ……こっちだって悩んでるんだ……」


 朝食を済ませた後、急用が出来たと残しキリュウ邸へと向かった。


「正直……自分でもどうしていいか分からん……」


 この十日間見てきて思った。ユーリは優しい子だ。そこに特別な思想だったり、歪んだ感情なんてものは存在しない。ただ純粋に、普通の優しさ。


 疲れ切って倒れ伏している人間には労いの言葉と癒す為の行動を、泣いている子供がいれば優しく手を握りその涙を止める為に行動できる。


「そんな子を……殺してしまっていいのかなっ……てさ」


「貴方がそうしたいなら、そうすればいいじゃない」


 何を当たり前のことを、とマリナは言い放つ。


「そもそも、迷っている時点で貴方の中で答えが出ているじゃない」


「で、でもさぁ、ユーリは勇者だし、いつか魔王を倒してしまうんじゃないかって思ったら……」


「それこそ、別にいいじゃない。その後の世界情勢のことを考えるのは分かるけれど、いつまでもこのままじゃいられないもの」


 それはまさしくその通りだ。しかし今で無くてもいい筈だ、魔王が海を越えこちらの大陸に乗り込んできた瞬間殺せばいいだけのこと。


「それに、スヴァルト正教国も動き出しているわ。お姉さまからの報告でね、何か強大な力を手にしたらしいわ」


「……攻めてくるのか?」


「ええ、そうね。あの宗教狂い共はアステリオを引き潰し、その勢いのまま魔王討伐を目指すでしょう。彼等ならやりかねない」


「マリナ……フール村に移住する気は無いか? お前たちが来てくれるのならアステリオなんて俺が守らなくても良くなるんだから」


「無いわよ、だから多少危険でもここに住んでいるもの。偶には貴方のお尻を蹴り上げてくれる人がいないと……ね?」


 本当に厳しい奴だ。少しも優しさを見せてくれない。それでも昔からの付き合いで、何よりこんなマリナだから守りたいと思えるわけで。


「だから、どの道人は争うのよ。魔王なんて関係無いわ。そもそも、貴方はどうして魔王に近寄ろうとしないの? 昔から、まるで避けてるみたいに」


 その言葉に俺の心臓が強く跳ねる。体を駆け巡る血液が青ざめたように冷たくなっていくのを感じる。


 そういえば、何故だ? 俺は魔王なんて話でしか聞いたことが無いのに。それに人は魔王関係無く争うというマリナの言葉、これにも納得がいく。魔王など、いてくれなくても関係無い、殺そうと思えばすぐにでも殺せる筈なのに。


 なのに何で、こうも死んで欲しくないと思えるんだ?


「……アイル? どうしたのよ、顔が青いわよ?」


「いや……大丈夫だ。……一度ユーリと話してみるよ。彼女の気持ちも聞いておきたいから」


「……そうね。その子が善良であるのなら、貴方はきっと正しい道を選ぶと信じているわ」




――――


「もう仮面は着けないの?」


「お前しかいないからな、必要ないだろ」


 トリスタイン城の屋根に腰掛け夜空を見上げる。雲一つ邪魔をしない、綺麗な満月が暗闇の中孤独にも俺たちを照らしている。


「結局……起動できなかったね」


「そうだな。それでも身体能力は他の七倍だ、それだけでも十分戦えるさ」


 彼女を安心させるように僅かに微笑む。しかしユーリの顔は固いままで緊張は解れない。


「……俺が怖いか?」


「そ、そんなこと…………」


 沈黙こそが答えであるというようにユーリは言葉の続きを発さない。


「当然だよな。明日、もしかしたら俺に殺されるかもしれないっていうのに」


「……殺さない……よね?」


「それはお前次第だ。弱ければ殺すし、そうで無いのなら生き残るだろう」


 ユーリは震え静かに涙を流す。その横顔を、ただ横目に眺めるだけで何もしない。


「ユーリは、どうしたい?」


 これからのこと、明日のこと、魔王のこと、あらゆる意味でも捉えられるその質問に僅かに頭を悩ませる。


「私は――――」


 そしてようやく、彼女の口から本音が零れる。


「――――死にたくない。地面に這いつくばって泥水を啜ってでも、どれだけ蔑まれて心が壊されても、それでも……死にたくない」


 死にたくない。それがユーリの原動力。生きたいでは無く、死にたくない。ここに彼女が積み重ねてきた人生の重みがあるのだろう。上にでは無く下に下りたくない。人間なら誰でも持ち得る当たり前の感情をこれでもかと心の中に溢れさせている。


 それこそが一番なのだと主張する。涙を流し、嗚咽に溺れ、苦しそうに俯く彼女を優しく抱き寄せる。


「大丈夫だ。その気持ちさえあれば、人間万事どうとでもなる」


 彼女は声を上げずに泣き続ける。俺の体に縋り付く様にして、それを受け止める様に、壊れ物に触れるかの様に。


 この瞬間、ユーリは俺にとっての日常に加わる事となった。


 それを祝福するかのように、夜空に浮かぶ月だけが俺たちを静かに照らしていた。


 


 



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