第10話

 夕方、摘み取ってきた山菜やキノコを使用した料理をサルビアやその他の女性陣が振る舞っている。


 その後は子供たちが五右衛門風呂に浸かり、今日の疲れを癒している。


 そうした皆の楽しむ声がここまで聞こえてくる。


 俺はというと––––。


「よう、起きたか」


「うっ……ハァ……ハァ……ここは」


 我が家のベッドの上に荒縄で縛り付け、拘束しているのは先程のエルフの少女。最低限の傷の手当てを行い、そのまま俺が監視を続けていた。


「随分うなされてたな。アンタ……名前は?」


「………………」


 エルフの少女は答えない。当然のことだ、自分自身を打ちのめした相手にいきなり名前を聞かれたところで答える訳もない。明らかな敵意を込めた視線を向け、こちらを睨み付けてくる。


 ––––エルフ。


 人より優れた身体能力、貴族でなくても星光の扱いに秀でており、『星屑術ステラダスト』の使い手である。鍛え上げられたエルフは時に星光体にすら肉薄してくる程。


『星屑術』とは……まあ、俺の元居た世界で言う所の魔法の様なものだ。遥か彼方の星から降り注ぐ星光をその身に溜め込み、一時的に星光体のような力を振るう術。


 全てにおいて人間の上位互換であるが、唯一の欠点はその繁殖力、人間の半分以下、そもそもエルフ族自体に男が生まれること自体が稀である。それもあってか、少数の集落を形成し、森の奥深くで隠居し静かに暮らしている。


「一応言っておく、変なことは考えるなよ」


「考えんさ……例え万全であっても貴様には勝てんだろうよ」


 先程の動きを見たからか、最早コイツに抵抗する意思は無いらしい。しおらしい顔で諦めたようにうな垂れる。


「……殺せ、これ以上辱めを受ける前に」


「別に殺すつもりは無い……俺以外の奴の意思だけどな。だからお前も質問に–––」


 瞬時に死の気配を感じ取り、エルフの少女の口内へと指を突っ込む。


「ガアッ!?」


「俺は別に死んでもいいと思ってるんだ。それでも、俺以外の奴がを望んでいない。だから……今死ぬのは許さない」


 舌を噛み切り自害をしようとした少女の首根っこを抑えつけ、顔を覗き込む。息苦しそうに顔を赤らめ俺を引き離そうとするが、この程度の力では俺はビクともしない。


「んっ––––––んぅっ!」


「もう一度言うぞ、お前の名前は?……あそこで一体何をしていた?」


 はたから見れば俺が少女を押し倒しているように見えるだろう。だがここにはコイツと俺の二人きり、ここで俺がどれだけの事をしても誰も知ることは無い。何が何でもコイツの素性を聞き出してみせる。


「…………兄さん。何をしてるんですか?」


 不意に天女と見紛う程の可憐な鈴の音が背後から聞こえてくる。


 錆びた歯車が無理に駆動するように、ギギギと嫌な音を鳴らしながら背後に立つその人物に目をやる。


「あ、あの……これはですね」


 そこに立つのは我が最愛の妹、サルビア。手には今日皆で摘んできた山菜が調理され木皿に盛られている。それは俺への差し入れだろうか、もしやコイツの?思考が止まらない、どんな言い訳をすればこの状況から抜け出せる?


「んっ––––––プハァッ!––––––ハァ……ハァ」


 差し込んでいた指を口内から抜き取る。少女からは嬌声と共に涎が糸を引き空に卑しく滴る。おいやめろ、そんな変な声を出すんじゃない。いいやまさしく俺のせいなんだけども、今はお願いだ、声を上げないでくれ。


 目の前のエルフの少女は息を上気させ目に涙を溜める。赤らめた頬に、こちらを射抜くような目線。ああダメだ、これは詰んだ、言い逃れなど不能だろう。


「––––––––––最低です」


「ガハッ!」


 どんな星獣の凶牙だろうと、どんな英雄の一撃だろうと、サルビアの口撃を超えるものなど存在しないだろう。


 俺のガラス細工の心は音を立てて砕け散る。




––––


「シエル・マグナライト……それが私の名だ」


「シエルさん、ですね。私はサルビアと言います」


「………………」


「––––兄さん?」


「……アイル。さっきは悪かったな」


 サルビアの乱入により場が転じた。同性であるサルビアが姿を現したことで少しばかり警戒心を解いたのか、それとも先程までの俺の凶行を止めさせたのが原因か、サルビアに対してシエルは名を名乗る。


 既に彼女を拘束していた縄は存在しない。危ないよと小さく警告したがそんなものは聞こえてもいないのだとサルビアに無視される。もう一つ、俺の心に傷が付く。


「ごめんなさい、兄さんったら時々乱暴で……根は良い人なのは間違い無いんですよ」


「……いいや、警戒して当然だろう」


 サルビアの何気ないフォローを真摯に受け止める。どうやら漸く冷静になってきたらしい。


「それで、シエルさんは何故あのような場所に?」


「それは––––」


 シエルはそれ以上発さない。苦虫を噛み潰したような苦痛に満ちた表情、語るにも語れない、語った瞬間それがになってしまうと、彼女は俯き涙を零す。


「お、おいっ!いきなり泣き出すなよっ!」


 泣き出されるのが一番困る、理由が分からないのは特に。まるで俺が悪いみたいじゃないか、いいや確かに酷いことはした、それなら謝る謝りますから泣き止んで下さい。


 俺が困り果て慌てふためく間に、サルビアはシエルの傍へ近寄り優しくその頭を抱き締める。


「辛いことが、あったんですか?」


 黙って頷く。その度に涙が零れシーツを濡らす。まるで泣きじゃくる子供のようだ。


「だったら、いいんですよ。話さなくたっていいんです」


 優しい女神の抱擁。それに縋りつくようにシエルはサルビアを求める。彼女は今まさに傷心の最中、そんな女の子相手にあんな暴挙に出た自分を恥じる。


 いくら日常を侵す可能性のあるだったとしても、その素性の片鱗を見てしまえばそれはもう俺の日常の一部として接合し始める。


 だから、それが少しいやなんだ。重荷になる、守るべき者の範囲が広がる。同情しては加担してしまう、何が何でも守らなければと……無意識に心に刻んでしまう。


 故に即殺。素性を晒さない外敵の可能性を秘めた者を殺す。それが言わば、俺自身の欠点。俺が俺自身の日常たからものを守り抜くためのルール。


「その悲しみが、自分で納得できるものに変わるまで。その変化を、自分が許容できるようになるその日まで、ここに居てもいいんですよ。私たちが、あなたを癒して守りますから」


 塞き止められ、僅かに零れていた彼女の目から遂に涙が溢れ出す。ああどうしてと嘆くように、その洪水は止まらない、傷付いた彼女を更に孤独にするように、月は高く高く昇り詰め村を照らす。


 窓から覗けば村の皆が祭り騒ぎのようにはしゃぐ声。その声を聞きながら、夜はゆっくり更けていく。





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