いつかお礼を言いたくて
《数週間後》
慣れない大荷物を片手に慣れない列車に揺られて数時間。じょじょに顔を出す背の高い建物の数々は、まさにテレビで見ただけだった世界。彼女にとってはすべてが新しく、すべてが新鮮であった。
さらに列車を降りて改札を抜ければ、あまりにも多くの人の流れに
「すごい。これが都会と言うものなのね! 建物がぜんぶ大きくて、人がたくさんいてすごくキラキラしているわ!」
少女は大きな旅行用カバンを持ちなおし、反対の手に持った地図を確認する。
地図にはひとつバツ印がつけられており、目的の場所がここからそう遠くはないということが分かるだろう。地図が同封されていた手紙には『その区画の中で一番大きな家』を目印に探せと書かれており、少女はカバンと地図を握りしめて歩きだす。
目的の建物は彼女の想像をはるかに超えていた。
駅を出て二十分ほどは歩いただろうか。途中ですれ違う人々に地図と差出人を頼りに道を尋ね、そのたびになぜか驚かれることが不思議だとは思っていたのだが。
――まさか……ここ?
そこは、豪邸という規模を超えたまさに大豪邸であった。
「もしかして、有名人のお宅……なのかしら」
大きな門の隣で控えめに主張をするインターホンを押してみれば、その上に設置されていた監視カメラが機械音を鳴らして彼女の姿をとらえだす。
反応はすぐに返ってきた。
『――どちら様でしょうか?』
スピーカーから聞こえてきたのは女性の声。
「は、はい! わた、私こちらの家の人に用事があって、えっと、あの、こちらはキングスコートさんのお宅でお間違えありませんでしたでしょうか!」
『ええ、そうですが……。用事とは旦那様……エドガー・キングスコートに……でしょうか? アポイントメントはとられていますか?』
「あ、あぽ……?」
緊張からかうまく言葉が出てこず、さらには聞いたことのないような単語に少女の頭はパニックになっていく。
――と、都会ってどうしてみんな意味の分からない言葉を使うの……!?
テレビで流れているのをなんとなく見ているだけならばともかく、実際に自分に向けて使われるのでは話がちがう。
とりあえずなにかを答えなければ不審がられてしまうかもしれないと、慌てた彼女は頭上の監視カメラに向けてカバンから封筒を取りだし見せつける。
「こ、これ! この前私の家に、そちらからこの手紙が送られてきたんです!」
『手紙……ですか? ……失礼ですが、あなた様のお名前をうかがってもよろしいでしょうか』
インターホン越しの相手はその手紙に心当たりがあるのか、カメラをズームして少女の顔に注目する。
少女は頭に飾った小さなオレンジ色の花の位置を正すと、レンズの方へと向きなおり自分の名を告げた。
「はい! 私、フォイユ村から来ましたエマです。エマ・ウッドハウスです!」
□■□■
フォイユ村での事件からはすでに数ヶ月が経ち、村と森の御神木とを繋ぐ道の復旧作業にもかなりの
あの事件で父を亡くし、サントルヴィルの学校に通うことを夢見て村の手伝いに
知らない差出人から送られてきた封筒に入っていたのは、先ほどまで彼女が見ていた地図とサントルヴィル行きの列車のチケット。そして手紙には――
「なるほど、君がエマか。ようこそ、キングスコート邸へ。俺がこの屋敷の主人、エドガー・キングスコートだ。そしてこっちが秘書のキャロル。君を案内してくれたのはシャロンとフーリューだ」
「え、エマ・ウッドハウスです! あの、手紙に書いてあったお話……こちらのお屋敷で働く代わりに、学校に通わせていただけるっていうのは本当なんでしょうか!」
ふかふかのソファにオレンジが香り立つ暖かな紅茶。
部屋を彩るシャンデリアやショーケースに入った宝石の数々はエマにとっては眩しすぎて、ここが現実なのかさえを疑わせる。
「ああ、もちろんだとも。それで使用人として君を雇おうという話だったな。うちは広いし、訳あって今は他の使用人がいないから大変だぞ。掃除に料理に洗濯。あとはたまに庭の木や花の手入れと三時の間食の準備、それから――」
「本当ですか! そんな簡単なことだけでいいだなんて……さ、詐欺とかではなく!?」
「えっ、は? さ、詐欺? 俺が? まて、サンディから聞いていたのとちがうぞ。すでに話は通っていたんじゃないのか」
エドガーがパチリとまばたきをして不安げにキャロルの顔を見上げる。それを見て、部屋の扉の横でひかえていたシャロンと如月は顔を見合せて笑いをこらえることしかできなかった。
彼女たちは気がついているのだ。エマはきっと、見栄っ張りなエドガーのペースを崩すことのできる人物であると。
しかしエマの方はといえば、あっさり承諾されたことに対して実は自分が騙されているのではないかという不安にかられていた。
そもそも話が突然で、なおかつうますぎるのだ。
見知らぬ人物から届いた謎の封筒。相手はなんの接点もない大豪邸の持ち主。手紙書かれていたのは『屋敷に住みこみの使用人として働く代わりに、サントルヴィルの中でも金持ちが通う学校として名高いエリート校に通う援助をする』というものであった。
考えてみれば、エマがサントルヴィルの学校に通いたいと日頃から言っていたことを知っている人物は限られている。
――村の学校の時のお友達が言ってくれたのかしら? でも、こんなお金持ちの知り合いがいるような子なんていないし……。も、もしかしてあのオーロラの夜……魔法使いさんが私のお願いを叶えてくれたんじゃあ……!
もちろんそのような憶測は
その疑問を解くためにも確認せざるをえなかった。
「あの、失礼ですが私のことって一体どなたから――」
そうエマが口を開いた時。
彼女が入ってきた入口の扉が開かれ、一人の男が姿を現した。彼は人目を気にせず大きなあくびをしていたが、エマの姿を見たとたんにピタリと動きを止める。
「なんだ? 私は今日客人が来るだなんて話聞いてないぞ。なぁシャロン」
「サンディ様サンディ様、彼女がエマ様ですよ。ほら、この前手紙を出した……」
「……ああ! なるほどこいつが……。なんだ、またどうせ兄貴が契約直前になってごねはじめたとかそんなんだろう。アイツらの推薦なら別に疑うことないのに」
「疑われたのは俺の方なんだが?」
どかりと空いた椅子に腰かけたサンディは、如月が用意したカップにティーポッドから紅茶を注ぐ。本日も彼好みのオレンジの爽やかさが突き抜ける甘い紅茶は、文句なしに百点満点であった。
だがそんなことよりもサンディの言葉に反応したのはエマの方で、彼女はあいさつもそこそこに彼に向かって問いかける。
「あの! アイツらって……」
「なんだ、サクラバから連絡もいってないのか。知り合いなんだろ。お前ら」
「サクラバさんが!?」
思わず大声をあげて立ち上がったエマにサンディとエドガーが同時に肩を跳ねさせるが、サンディは飲もうとしていた紅茶をカップから零さなかった自分を心の中で褒めつつエマをなだめる。
「落ちつけ。詳細に言えば、お前をうちの使用人に推薦したのはダリルだ。いろいろあって奴らには恩があってな。なにか欲しいものがないか聞いたら、アイツは迷うことなくお前の話をしてくれたよ」
「ダリルさんが、私のためにそんなこと……」
彼とした約束が頭に浮かぶ。
――数日いっしょに過ごしただけの私のことなんて、もう忘れていると思ったのに。先に私の許可すらとってくれないなんて、やっぱり気遣いのできない人なんだから……
エマはくすりと笑い、エドガーたちに向けて頭を下げる。
彼がこんな自分を推薦してくれたというならば。彼女の決心は固まっていた。
「さっきは疑ってしまってごめんなさい。私、ここで働きます! それで学校に通って、立派に成長したところをダリルさんたちに見てもらいたいです!」
「だとよ、兄貴。どうするんだ」
「どうするんだって、俺は最初から雇う方針で話を進めていたんだが……。このままシャロンたちになにもかも任せっぱなしも悪いし、俺もお前の顔くらいは立ててやるさ。キャロル」
「はーい! それではこちらを」
すっかり言いがかりばかりつけられたエドガーは、キャロルに合図をだして事前に頼んでいたものを用意させる。
テーブルの上に出されたそれは、契約書とペンであった。
「それでは、改めて……キングスコート邸へようこそ。エマ・ウッドハウス。我々一同は君を心から歓迎するよ。ここにいる者たちは皆君の家族だと思って、どうか気楽に接してくれたまえ」
「あっ、ありがとうございます! まだまだ未熟な田舎者ですが……よろしくお願いします!」
もう一度エマは大きく頭を下げる。
憧れていたサントルヴィルでの生活。ついに夢への第一歩を踏みだした彼女の心は、大きな希望に満ちあふれていたのだった。
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