『フロスティ・スノーグローブ』
如月が一歩踏みしめるごとに、濁った泥沼の表面に広がる薄い氷の膜。
その光景は見る人によっては
「ところで知ってるか。マホウツカイっつーのは、遺伝やら体質やら科学的なものでなれるもんじゃねぇ。その魂に波長が合ったマホウが結びつくことで、はじめてマホウツカイに
如月が氷の刀の切っ先で、足元に小さく円を描く。
とたんに青い光を放つ円。その内側はよく観察をすれば、円の縁いっぱいまで
魔法陣。
そう呼ばれるものとそれは酷似していた。
「昔、親父から聞いたことがある。そもそも歴史をさかのぼってみれば、俺たち人間や化け物たちにマホウの力を与えたのは、なにを隠そうあの本物の魔法使いさんなんだとよ。さすがにそんなことをした理由までは聞いちゃいねぇがな」
まぶたを閉じ、白い息を吐きだした彼の顔の前に、同じく白いものがはらはらと舞い落ちる。
「……雪?」
自分の元へも落ちてきたそれをすくいあげて、シャロンがつぶやいた。
いくらこの辺りが如月のマホウによって気温が下がっているからといって、春真っ盛りなこの季節に雪など降るのであろうか。不思議に感じた彼女が空を見上げるものの、空はどこまでも赤く雪が降るような気配はみじんも感じられない。
そう感じたのはナタリアも同じのようで、マジュウ越しに見える彼女もどこか不審そうに空を見上げていた。
「だが、人間ってのは一度大きな力を手に入れるとタガが外れるもんだ。過去のマホウツカイたちはすぐに暴徒化して、世界中はプチ戦争状態。困った魔法使いさんはマホウツカイたちが悪さしないよう、マホウの力を最大限に発揮するための合言葉――『呪文』を記憶の中に封印した」
語りつづける如月は、馬鹿にしたように笑っていた。
「困っちまうよなぁ。俺は悪用する気なんてさらさらないってのに。昔のやつらのせいで現代に生まれるマホウツカイたちも、同じことを繰り返さないよう『呪文』を封印されている。だからまぁ、今の俺たちが使えるマホウっつーのは、せいぜい『呪文』が元から使えないマジュウが使うマホウと同程度なものなのよ」
雪はすでに辺りの氷の地面、泥の沼、その両方に覆いかぶさる形で積もっている。
しかしその量はあきらかに今空から降っている雪の量よりも多く、枝葉に霜がおりるように、地面そのものからもこの雪は
「……だから逆に考えてみろってことよ。封印された『呪文』さえ思い出すことができちまえば、俺は真の『マホウツカイ』になれるってわけだ」
「キサラギ様……まさか……」
そこでシャロンはあることに気がつく。
この雪は如月を中心として降っているが、ある一定の場所から先は氷の地面。つまりははっきりと、人工的に雪と氷の境目が存在しているのだ。
さらによく目を凝らせば、自分たちが半透明状の薄い氷のドームの中にいるということが分かるだろう。
このドームはちょうど雪と氷の境目部分から生えているようで、シャロンたちを包囲する檻となり夕日を反射して赤く輝いている。
そうしているうちにも如月の足元の魔法陣はどんどんと成長していき、その末端がシャロンの足に触れた時。とつじょとして彼女の周りに積もっていた雪が、意思をもったように天に昇りシャロンの頭上で花開いた。
それはナタリアの頭上にも咲いているようで、二つの花が現れたことを確認した如月は氷の刀を勢いよく地面へと突き刺す。彼の閉じられていたまぶたがゆっくりと開いた。
「ここまで話せば今から俺がなにするか分かるよな? 今までは披露する機会がなかったが、ちょうどいい機会だから見せてやるよ。『呪文』を取り戻したマホウツカイの力……その目に焼きつけておけ」
雪が、降りやんだ。
「――『
如月がその『呪文』を口にした瞬間。
彼の背の高さをはるかに越えるマジュウの頭の、そのまた上。ドームの天井にあたる部分からぽたり、と
しかし一滴落ちたからといって特別なにかがあるわけでもなく、気にもとめないマジュウは自分の足元にいる如月に向けて大きく発達した右前足を掲げる。
その間も。
ぽたり、ぽたりと冷たい雫は落ちていく。
ぽたり、ぽたり、ぽたり。雫の数は増えていく。
ぽたり、ぽたり、ぽたり、
「ガァァァアッ!」
まさに爪先が彼の目と鼻の先まで近づいたその時――その前足は前ぶれもなく地面へと落下した。
「アァ!?」
突然重力に押さえつけられたような感覚に、驚いた声のマジュウが自身の右前足を確認する。――マジュウの前足はただ落下したのではなく、地面へと縫いつけられていた。
全長二メートルほどにもなる、冷たく巨大な
「的がデカイ分当てやすくていいよなぁ。初めてだから失敗するかもと思っていたが……おあつらえむきな大きさで助かったぜ」
また、どこからかつららがマジュウの元へと飛んでくる。
仮に出どころを探ろうとつららが飛んできた方向へと目を向ければ、それが先ほどシャロンが発見した、彼女らを囲む氷のドームの天井や壁から生えているのだということが分かるだろう。
その数は一本や二本ではなく数にして五十は超えており、見る者にまるで自分たちがアイアンメイデンにでも閉じこめられているような錯覚をおぼえさせる。
「悪いが反対も固定させてもらうぜ。当たりが外れて、お前も長く苦しみたくはないだろ?」
飛んできたつららがマジュウの左前足を貫き、地面につなぎ止める。
「いやぁ、それにしても。春に見る雪っていうのも案外おつなもんだなぁ。これがもっと風情ある景色のいい場所で見られたんならよかったんだけど」
のんきな様子の如月は、地面から氷の刀を引き抜き雪の上をサクサクと音を立てて歩く。
今度は逆方向から飛んできた二本のつららがマジュウの丸太のような尻尾を貫いた。
「ゴァァァ!」
「さぁて、これで動きは封じたし準備はオッケー。ようやく趣味の悪いミニチュアの完成だ」
両前足と尻尾が固定され、身動きの取れなくなったマジュウを見て如月がにやりと笑う。
彼は氷の刀を前に突きだすと、声高らかに。誰に対してかも分からない虚空に向かって号令をくだした。
「お前はもう俺特製の牢に囚われた。恨むなら、俺じゃなくここに呼ばれちまったお前の不運さを恨むんだな。……総員! 砲撃準備!」
その一声なにが起こるのかは、その場にいる人間ならば見なくてもすぐに分かるだろう。
ぐらり、と揺れるドームの壁から生えたつららたちは一斉に、目標であるマジュウに向けてその先端を向けはじめる。
「――砲撃、開始!」
そこには重力などは関係なく、息をのむ間もない次の瞬間にはすべてがマジュウへと放たれていた。
弾丸のごとく放出されたつららは次々にマジュウの身体を貫き、ドームの壁からはまた新たなつららが生えてくる。
まるでガトリングガンでも撃っているかのような爆音は、数秒の間ドームの中に響き渡っていた。
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