毛玉のマジュウ

 自分の意思では動かない身体。他人の意思で好き勝手動かされる身体。手元を離れた主導権は、いくら取り戻そうとしても文字通りに手も足も出ない。

 決められた動作をむりやり行う傀儡くぐつとなった腕は、それが他人のものであるかのようにダリルの目に映っていた。


 陽の光を反射して鈍く光る彼の手の中の剣は、無防備なオズワルドの背を狙う。

 マホウの発動を止めようと、どれだけ制御を試みたとしても。それで仮に今すぐとめられたとしても。きっと間に合うことはない。


 ――もう、抵抗するのも限界だ……!


 まるで罪人の首をつ処刑人のように彼は大きく振りかぶる。

 そしてダリルの振り下ろした剣は、確実にオズワルドの背を斬り裂いた――はずだった。


「今さぁ……君、僕のことを操ろうとでもしたでしょう」


 まるで初めから敵の意図が分かっていたかのように、オズワルドは身体を横に傾けてダリルの一撃をかわす。

 そして彼はダリルの手からいとも簡単に剣を奪い取ると、感情をかき消した声と表情で毛玉のマジュウを見下ろす。それまで穏やかに吹いていた風はピタリとやんでいた。


「それもうちの可愛い部下まで使ってさぁ。そこまでして僕にこんな真似をするだなんて――実に冒涜ぼうとく的で許しがたい」


 彼はくるりと剣を手元で一回転させると、それを逆手に持ち直す。そして息をつく間もなく、ためらいなしに毛玉のマジュウの顔面へと突き立てた。

 一瞬の間だけ流れる静寂せいじゃく。しかし潰れたカエルのような悲鳴はオズワルドとダリルの目の前ですぐにあがった。


「ギィッ!? アアァァア、痛い、痛いぃ! なんで、なんでおおお前ぇ、オイラの目を見ても思った通りに動かねぇんだぁ!?」


 剣が抜かれる。

 右目を二つ潰され、毛玉のマジュウは目玉のあった場所から血を垂れ流し後ろへとのけぞる。

 ボタボタと醜い顔でよだれを落としながら長い体毛を振り乱すその姿は実に滑稽こっけいであった。


 あぜんとした顔でダリルはその光景を見ていたが、自慢の瞳を一部失ったことにより毛玉のマジュウのマホウによる拘束も解かれたのだろう。ダリルの身体に自由が戻り、それと同時にオズワルドが突き立てていた剣もしゅわしゅわと泡のように光を発して消えていく。


「あっ! ちょっとダリル勝手に消さないでよ。あれまだ使おうと思っていたのに」


「だってそれ僕の意思で造ったわけじゃないですもん。勝手に出てきたものが勝手に消えたところで、僕は責任までもてませんよ」


「酷いなぁ。これじゃあまた僕はただの丸腰野郎に逆戻りじゃあないか」


 口を尖らせながらオズワルドはダリルに抗議をつづけるが、それを見た毛玉のマジュウは口の端から涎を垂らして唸り声をあげる。


「む、むむ、む、無視をするなぁ! あぁ、ぁ、こうなればまた後ろのソイツを操って――」


「ねぇ」


 残った四つの目玉を使ってもう一度ダリルを操ろうと試みた毛玉のマジュウであったが、そんなマジュウのまさに目と鼻の先にオズワルドが顔を突きだす。


「僕の目を見て」


 オズワルドの瞳がエメラルドグリーンに染められていく。

 不気味に笑顔を形作るその口元から、瞳から、視線をそらそうとしてもそらすことができない。すでにオズワルドの術中にはまっていることに気がついていないのは、とうの毛玉のマジュウ本人のみであった。


 困惑しながらも怒りに震えるマジュウの様子に耐えきれず、オズワルドがふはっと息をこぼす。そこには隠しきれない嘲笑ちょうしょうが含まれていた。


「しょうがないから君の疑問にも答えてあげるよ。理由は単純明快さ。君のようなマジュウ風情が、


「うぅぅぅ! オイラのことを馬鹿にしやがってぇええ! その綺麗な顔ごと引きちぎってやるよぉぉ!」


 マジュウの人間のそれに酷似こくじした口がガパリと大きく開き、目の前のオズワルドの顔へと向けられる。

 しかしオズワルドは避けることもせずに、そのままじっとマジュウの行動を眺めていた。それは三秒、五秒と経っても変わらず、十秒が経過したところで彼は屈んでいた体勢から立ち上がる。


 オズワルドの目の前でマジュウは、剥製はくせいになってしまったかのように鼻先から尻尾の先まで微動だにしない。その状態で、彼は心のうちで疑問を吐きだしつづけていた。


 ――オイラの身体、どうしちまったんだぁ? 動くこともできないし、喋ることもできないぞ?


 その心の声が聞こえたかのように、後ろでオズワルドとマジュウのやりとりを見ていたダリルが首をかしげる。

 声までは聞こえなかったが、様子を見るにオズワルドがなにかをしでかしたことは間違いないだろう。


「……アンタ、今度はなにしたんです」


「ん? あぁ、ただコレがやったことと同じことを真似してみただけだよ。ほら、ダリルもさ」


 振り返ったエメラルドと目が合う。


 彼が名前を口にしたその瞬間、身体の内側から引っ張られるような感覚。何ごとかと思う間もなく、ダリルのマホウが彼の意思とは再び関係なく発動する。

 毛玉のマジュウのすぐ下の地面から生えた六本の槍は、交差しながら身動きできないマジュウの身体を軽々と貫いた。

 槍が光に溶け、ドサリと音を立てて地面に崩れたマジュウは傍目はためから見ても分かるとおり絶命していた。オズワルドの瞳がいつもの黒色に戻った後もそれは動くことはない。


「…………」


 身体の中の気持ちの悪い感覚はもうなくなっていた。

 一瞬でもオズワルドにマホウの支配権を奪われたことが気に入らずにダリルは眉間に皺を寄せると、つかつかとオズワルドに歩み寄り顔を見上げる。

 フォイユ村の一件や毛玉のマジュウのマホウがきかなかったことを考えれば、とくだん驚くようなことはしなかった。


「それ、今度から絶対禁止にしてください。勝手にされる方は気分が悪くて仕方がないので」


「えぇ〜そんなぁ。僕は楽ができていいんだけれどなぁ……。でもまぁ、ダリルがそんなに嫌がるなら緊急事態以外はやめておいてあげるよ」


「緊急事態でもするなよな……」


 ダリルがボソリと呟く。

 二人の周りに倒れたマジュウはバネのマジュウと毛玉のマジュウ。そして残るもう一匹、三つ首のマジュウを相手にしているのは誰か。

 それはその人物がマホウを使ったことによる変化――野犬の門いったいに広がる凍える冷気がその答えを表していた。

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