紅茶に砂糖を入れる自由

 ホテルの中は想像の通り、とても豪華な造りとなっていた。

 大扉を開けて目の前に敷きつめられた赤いカーペットは一気にこの空間の高級感を演出しており、踏みしめた際に音は吸いこまれてしまったのか足音が響く様子はない。

 天井から吊り下がったシャンデリアも見る角度によってはキラキラと輝き、煌びやかな室内をより明るく照らしていた。


 エレベーターを使い目的の十階に到着すると、エントランスとはうってかわって優しい明かりの灯った廊下が桜庭と如月を出迎えた。

 すると彼らの到着に合わせるかのようにちょうど隣のエレベーターもこの階へと到着したようで、桜庭が視線を向ければ中から出てきたオズワルドと目が合う。


「あぁ、先生たちもちょうど来たところだったか」


「オズ。……ここまで飛んではこなかったんだな」


「ははは、とりあえず先生が僕を馬鹿にしているということは分かったよ。さすがに室内で文明の力も使わず飛び回るほど僕も馬鹿じゃあない」


 さほど気分を害した様子もなくオズワルドが笑いかけるが、そこで二人の間に先ほどより幾分か立ち直った様子の如月が割って入った。


「無駄話もいいが、とりあえず部屋まで行くぞ。さっきは気分が優れなかったから不本意ながらアイツに任せたものの……本来は護衛役の俺がシャロン様の元を離れるわけにはいかないんだからな」


「勝手に離れたのは君なのに」


「あれは……まぁ、そういう時もあるんだ」


 そう言った如月はある部屋の前で立ち止まると、備えつけられた獅子の形のドアノッカーを掴みノックで合図をしてからドアを開く。


 部屋の中も外と同じようにカーペットが敷かれており、窓から外の景色を見下ろしていたシャロンが物音に気がつき三人の方へと振り返った。


「皆様、お待ちしておりました。今温かい紅茶を淹れますから、どうぞ好きなところへおかけください」


「ダリルは?」


「あの方なら、風邪をひかれる前にと思いお風呂場に押しこめておきました。服もホテルの方に預けておりますので、後で洗濯してお持ちいただけるでしょう」


 シャロンが桜庭の質問に答えつつ、丸みを帯びたオシャレなティーポットを使ってカップに紅茶を注いでいく。


 彼女の言う通りドア近くの部屋はシャワールームなのか、絶えずシャワーの水が床を打ち付ける音が聞こえてきていた。

 きっとダリルのことならば桜庭たちがやってきたことにも気配で気がついているだろうと、桜庭は言われた通りにオズワルドとともに二人がけのソファへと腰を下ろす。


 目の前に差しだされたシャロンの淹れた紅茶はほのかにオレンジの香りがするもので、口に含めば鼻先まで柑橘系の爽やかさが突き抜けた。それは如月の言っていた彼女の優しさが伝わるような、そんな味であった。


「美味しい」


 思わず桜庭が呟くとシャロンは嬉しそうに微笑む。


「お気に召していただけましたらわたくしも嬉しいです。この紅茶はサンディ様のお気に入りなんですよ。キサラギ様も飲まれますか?」


「俺はいい」


「まぁ、むくれてしまって」


 窓の近くで腕を組んだままの如月がいじけた様子で口を尖らせる。


 シャロンも最後に自分の分の紅茶をカップに注ぐと、桜庭とオズワルドに対面する席へと座る。

 カップを持つところから口に運ぶところまで、仕草の一つ一つに気品を感じる彼女の動作はまさに完成された絵画のようでもあった。


 そんな彼女に桜庭が見惚れていた時。何か気になることがあるのかオズワルドが突然彼の脇腹をつついた。


「オズ、どうした?」


「ねぇ先生。これって何? オレンジっぽい匂いがするけれど」


「オズは紅茶を飲んだことがないのか? 甘いお茶って言えば分かるかな」


「お茶は苦いから好きじゃあないんだけれど……甘いならまぁ……」


 初めは躊躇ちゅうちょしていた様子であったオズワルドだったが、桜庭の話を聞いて少し興味をもったのか恐る恐るカップを口につけて一口含む。

 すると想像していたよりも味と香りが気に入ったのか、彼は二度三度と口に含むと満足気にカップをソーサーに置いた。


 しかし何を思ったのかオズワルドはポケットから小瓶を取りだすと、軽快な音を立ててコルクでできた栓を抜いた。透明なガラスの内側に見える白い塊は、いつも彼が直に齧っているような砂糖の塊だろうか。


「紅茶っていいねぇ、僕でも美味しく飲めるお茶があるなんて驚きだよ。でも、こうした方がもっと美味しく――」


 カップの上で小瓶を逆さにしようとするオズワルドであったが、そんな彼の小瓶が上から伸びてきた手によってひょいと奪われた。


「外で砂糖まみれにするような人とは知り合いだと思われたくないって、前に言いましたよね」


「やだなぁ、ダリル。これはちょっとしたひと工夫だよ。君だってパスタには粉チーズをかけるだろう? それと同じことさ」


 シャワールームを出て、用意された部屋着に着替えたダリルが呆れたように小瓶を掲げる。

 高く掲げられたそれを初めは腕を伸ばして取り返そうとしていたオズワルドであった。しかし彼はそれでは届かないことに気がつくと、スッと立ち上がって今度は軽々と小瓶を奪い返す。

 十センチ近く上から見おろされた上に馬鹿にされたように鼻で笑われ、無言のままにダリルが手元に武器を造ろうとマホウを操ろうとする。


 だが、それを止めたのは彼女の笑い声だった。


「ふふ、皆様とても賑やかなんですね。紅茶にお砂糖を入れて飲む方もいらっしゃいますので、お気になさらず入れていただいていいのですよ」


「いや、コイツの場合はそういうレベルじゃなくて――」


「ほらほら、彼女もそう言っているし。それじゃあ僕は遠慮なく」


 ダリルの言葉をさえぎるようにオズワルドはカップの上で小瓶を逆さにすると、瓶の中の砂糖を全て紅茶の中へと投入した。

 それを見たシャロンが目を丸くする。


「まぁ」


 オズワルドはもう一度ソファに腰かけ、手近なスプーンを手にとるとカチャカチャとカップの中をかき混ぜた。


「今度から持ち物検査でもするべきか……。食の好みは人の勝手ですけど、時と場合を考えてもらわないと」


 やれやれと首を振ったダリルが桜庭とオズワルドの座るソファの後ろに立つ。

 そして砂糖を溶かして中身を一気に飲み干したオズワルドは、カップをソーサーに置くと何事もなかったかのように話を切りだすのだった。


「それじゃあお茶も飲んで落ちついたことだし、これからの方針を決めようか」

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