叱られた番犬

 如月の振り下ろした刀は、確実に目の前の盾へと刃をくいこませようとしていた。

 そのままであれば如月のマホウにより氷の侵食が進んで氷漬けになるはず――なのではあるが、その盾は微動だにすることなくただ静かに空中へとたたずんでいた。


「……ほんと、造ろうと思えばいけるもんですねぇ。とっさの判断にしては良い選択したんじゃないですか、僕」


 そう言ってダリルはその場に立ちあがった。

 水をたっぷり吸って重くなった衣服が身体に張りつき、彼の気分を不快に塗りかえる。


 如月もすでに戦う気が失せたのか、彼は大人しく刀をさやに戻すと目の前の盾を手の甲でノックするように叩く。

 その盾はダリルが過去に一度だけ見た、フォイユ村の花畑で彼がオズワルドに斬りかかった際にオズワルドが造りあげた盾と酷似しているものだった。


「まさか俺のマホウで凍らないものがあるとは……。これ本当にただの盾か?」


「まぁ、見た目的にはそうでしょうね。なんでそうなのかは僕もよく知りませんけど」


 ダリルが視線だけをオズワルドの方に向けるが、当の本人はなにも存じあげないといった様子で腕を組んでにこやかに二人の様子を見守っている。


「……で、もういいんですか。腕試しってやつは」


 空中に残したままだった盾を光に還し、ダリルは如月に向けて問いかけた。

 しかし彼はその溶けていく光達を物珍しげに眺めることに夢中で、すでにダリルには興味をなくしたのか適当に答えを返す。


「ん? ああもういいぜ。大体のお前の実力は分かったし。とりあえず足でまといにはなんないだろ」


「アンタねぇ……」


 上からな物言いにダリルが口の端をひくつかせる。

 するとそんな彼らの耳に勢いよくホテルの大扉が開く音が響き、全員の視線が音の元凶へと向けられる。

 桜庭にいたっては飛び上がるほどに驚いて振り返ったが、そんな彼らの視線の先にいたのは緩いウェーブのかかったベージュ色の髪の女性だった。


「キサラギ様! これは一体どういうことですか!」


「げげっ、シャロン様……」


 シャロンと呼ばれた女性は大扉の前の階段を早足に降りると、凍る地面を避けるようにして如月へと近づく。


「客人を迎えに行くから待っていろと言われて部屋で待っててみれば……。こちらの方々どころかホテルの皆様にもご迷惑をかけているということに気がついているのですか?」


「いや、違うんですよ? これはコイツらがちゃんとシャロン様のご期待通りの働きをできるかどうかを見ていただけでして……」


「理由を聞いているのではありません。見てみてください。この付近一帯が冷蔵庫の中みたいではないですか!」


 シャロンの言葉に如月がようやく辺りを見回す。

 まるで凍った湖のように地面を覆う氷には所々から巨大なつららが立ち上がっている。

 かろうじて氷の侵攻はホテルの中まではいかなかったようではあるが、ポカポカとした陽気を運ぶ空の下にしてはここは真冬のように寒かった。


「で、でもほら、誰にも被害はでてないわけですし。ね?」


「被害はなくとも、こうして事実ご迷惑をおかけしていることを咎めているのです。それにエドガー様の推薦ならば、疑う余地など……あっ」


 エドガーの名前をだしたところで思いだしたのか、彼女は両手で口を押さえて桜庭とオズワルドの方へと振り返る。


「し、失礼しました! わたくし、つい初対面の方々の目の前で子ども叱るような真似を……」


「いや、全然かまわないよ。それよりももしかして、君がエドガーの言っていたサンディの恋人っていう?」


「はい。わたくしはシャロン・オールドリッチと申します。サンディ様の件につきましては、どうぞ我々の宿泊している部屋でお話を――まぁ!」


 一人一人の特徴を覚えるように順々と顔を眺めていたシャロンの視線が、最後にずぶ濡れのままのダリルへと向けられた。

 彼女は滑りながらも慌てて彼の元へと駆け寄ると、ポシェットから肌触りのよさそうな白いハンカチを取りだして手渡す。


「そんなに濡れてしまって。キサラギ様がご迷惑をおかけしてしまったみたいで申し訳ありません……。よかったらこれで少しでも拭いてください」


「別に……どうせそのうち乾くんですし大丈夫ですよ」


 関心がないといった様子でダリルがハンカチ返そうとするが、そんなことではシャロンは引き下がろうとはしなかった。


「いけません! 風邪を引いてしまったらどうするのですか。ふかふかのタオルがよろしければ、そちらも部屋に備わっております。さぁ、こちらへ!」


 そう言ってハンカチを押しつけると、彼女はダリルの手を引いてホテルの中へと戻ろうとしていく。

 シャロンの迫力に負けたのか、ダリルは空いた片手で受けとったハンカチを使い顔を適当に拭きながらついていった。


「はいはい分かりましたよ。最近はどうもよく女に振り回されるな……。あっ、サクラバさんも早く行きましょ。僕お腹が空きました」


 すれ違いざまにそうダリルが桜庭に告げると、彼は苦笑しながら了承の意を返す。


「わかったわかった。それじゃあ俺たちもチェックインすませるとするか」


「それなら僕がやっておくから、先生はそこでしょぼくれてる彼といっしょに先に行ってきなよ。ついでになにか昼食頼んでおくからさ」


「ありがとう。それじゃあ行こうか、如月」


「あ、あぁ……」


 シャロンに叱られたことが少しショックだったのか、今の今に比べて少し弱った如月がうなづいて桜庭の横を歩く。

 凍った地面はよく滑り、桜庭はレンガが見える場所を選びながら慎重に足をおろす。この時ばかりはふわふわと浮かび先に行ってしまうオズワルドが恨めしかった。


 改めて桜庭は自分たちのやってきたホテルを見上げる。

 景観にも合うレンガ造りのホテルはどこも手入れが行き届いており、明らかに高級であるということを主張している。

 エドガーの手配がなければこんな場所に泊まることなど夢のまた夢だっただろう。


「それにしても、シャロンさんは強い人なんだなぁ。君もダリルもすぐに大人しくなってしまったし」


「あの方はそうしないといけないと思ってるんだよ。……きっと、サンディ様ならああ言うだろうと思ってな」


 如月がはぁ、と溜め息を吐きだす。


「いつもはとても穏やかで優しい方なんだぜ? 怒ることなんてないし、いつも言い合いをする俺とサンディ様の仲裁に入ってなだめてくれるんだ。……重ねて言うけど、怒ることはないんだぜ?」


「だからさっき叱られてしょげていると」


「そう」


 うなだれながらそう呟く彼の横顔はシャロンの言うように叱られた子どものようで、とぼとぼと歩く如月を慰めつつ桜庭は三人のあとを追ってホテルの大扉を開いた。

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