エピソード3 蜂とマホウツカイのランチタイム決戦
ダリル・ハニーボール、おつかいに出かける
《サントルヴィル――とあるビル・屋上》
異変解決屋『グランデ・マーゴ』の事務所がある、サントルヴィル某所のビルの屋上。そこでは、一人の男がいつものように、転落防止用の柵にもたれながら街の景色を見下ろしていた。
紅い瞳が見つめる先は普段と変わらず平和な街そのもので。ここ最近流行っているらしい、温厚な小型のドラゴンを移動手段に使うような人が増えてきた印象を感じる。
そう眺めている間にも、彼の頭上では人を乗せた小型のドラゴンが悠々と通過していく。
ゴーグルと
流行とは、よく分からないものである。
「あー……暇」
ダリル・ハニーボールはそんないつもの景色を眺めてボヤきつつ、煙草でも吸うかと安物のスーツの胸元を探った。
しかしどこを探しても目当てのものは見つからず、彼はふと、数時間前に自分で最後の一本を吸ってしまったのだということを思いだす。
それと同時に彼の腹も空腹を思いだしたのか、ぐぅとまぬけな鳴き声をあげはじめる始末。一気にダリルの思考は煙草から昼飯へと塗りかえられた。
電子端末で時間を確認すれば、時刻はとっくに正午をすぎて十二時半。そう、まさにこの時間は、世間一般的にいうランチタイムなのであった。
「腹減ったな……。煙草買うついでに飯でも買ってこよ……」
ダリルはそう呟いて屋内へ入ると、階段を降りて自身が所属する事務所の扉を開く。
最近嗅ぎ慣れはじめたコーヒーの匂いがドア先まで漂っていたことに、どこか安心感を覚えたのはきっと気のせいだろう。
――今月は財布もほぼ空だし……飯、奢ってもらうか。
彼の探していた人物は、部屋に入ってすぐ。今ではすっかり定位置となった黒革のソファの上にあった。
自室から持ってきた新品のノートパソコンと、いつも携帯しているメモ帳。そして数冊の本をテーブルに置き、ずっと画面と睨み合いをつづけている青年。
しかし彼はダリルが入室してきたことにも気がつかないのか、作業している手を止めようとはしなかった。
――最近うわ言みたいに『げんこうが……』って言っていたのはこれのことか。
そんな彼に対してダリルがちょいちょいと肩を叩くと、寝不足気味なのか、うっすらと
「サクラバさん。ちょっと煙草が切れたんで、それ買いにいくついでに昼飯でも買ってきますよ。まだ食べてませんでしたよね?」
「ああ……。ありがとう、ダリル。ちょうど俺もお腹が空いたなと思っててさ……。お金は預けるから、ダリルの分もさ。好きなのを選んで買ってきてくれると助かるよ」
そう言うと
フォイユ村の一件があり、ダリルが正式にこの異変解決屋『グランデ・マーゴ』に所属することになってから早一ヶ月。
依頼や気になる異変の特にないような暇な――よく言えば平和な日には、こうして桜庭がダリルに小遣いを預けて、昼食の買いだしを頼むことが
時には所長のオズワルド・スウィートマンも入れた三人で外食に向かうこともあるが、基本的にオズワルドとダリルの食の好みがバラバラなために、店を決めるまでに揉めることがほとんど。
外食はどちらかといえば、アパートまで帰る際に桜庭とダリルで行ったことのない店を回って、開拓しにいくことの方が多かった。
「え~、ダリルご飯買いにいくの? 僕のもお願いしていい?」
「嫌ですよ。いつもみたいに出前でも頼んだらいいんじゃないですか」
「そんなこと言わないでさ。ほら、おつりで好きなもの買っていいから」
「……仕方ないですねぇ」
桜庭の向かい側に位置するソファで、だらけながら壁かけテレビを眺めていたオズワルドが、ダリルに紙幣を一枚手渡す。
桜庭が渡したものと色味の違うその紙幣は、金額もどうやら一桁多いようで。
ダリルは一瞬
きっとおつりでなにを買おうかとでも考えているのだろう。小さい頃に親からおつかいを頼まれた時のことを思いだし、桜庭が密かに同調するようにうんうんとうなづいた。
「そんじゃあ、いってきますわ」
思わぬ収入に彼は鼻歌混じりに事務所を出ると、とりあえずビルの前で立ち止まり、どこにいくかを思案する。
常であれば近場のコンビニなどで適当なものを選んでいくのだが、今日の彼はひと味ちがう。なにせ手元にはダリルと桜庭、二人分の昼食ならば数日は買えるであろうほどの大金があるのだ。
「少し足でも伸ばして、街中にでもいくか」
ズボンのポケットに乱雑に金をねじこむと、ダリルは今にもスキップしだしそうな足取りでサントルヴィルの中央街の方角へと歩きはじめた。
街中まで来ると、人の行きかいは事務所を出た時の何十倍にもなっていた。
もちろん飲食店も目移りしても足りないほどに立ち並んでおり、混み合う時間であるのかどこもかしこも賑わっている。
ダリルは時おりビルや飲食店の間にあるゲームセンターやパチンコ店に吸いこまれそうになりつつも、腹を空かせた自分と、自分を待っている桜庭のことを思ってどうにか堪える。
そろそろ事務所を出てから十五分。さすがに決めないと仲間が飢え死にしてしまう――くらいの気持ちをもって、彼は探さなければならなかった。
「つっても、いざ余るくらい金があるってなると、なにを買えばいいものか――あっ、すんません」
よそ見をして歩いていたせいか、ダリルの肩が前から歩いてきていた人物とぶつかる。
彼が慌てて振り返り相手に謝ろうとすると、ちょうどその相手も同じことを思っていたらしい。タイミング同じくこちらへと振り返るところであった。
「いや、こちらこそ前方不注意ですまなかった。気にしなくて――ん?」
「げっ」
ダリルの口から思わず声が漏れでる。
なにを隠そう、こちらへと振り返ったのは、見覚えのある金髪翠眼の男――警察官アレクシス・マードックであったのだ。
彼はダリルを見て、特徴的な三白眼をよく凝らして記憶をたどっていたようであったが、すぐに答えがでたのか「ああ」と納得がいったように声をあげた。
「貴様は。スウィートマンのところの」
「その節はどうも……」
視線をそらしながらダリルが距離をとろうとする。
アレクシスは以前出会った時とはちがい、警察官の制服ではなく白いシャツを着たラフな服装をしていた。
先日ダリルが
だが思ったような話は聞けなかったのだろう。下っ端の雑用ばかりで、
もっとも。聴取自体は彼の部下のオーウェンという男が担当していたので、実際にそこまで面識があったわけではない。
それでも署内ですれ違う度に、いわれなく睨みつけられていたことが印象強く、つい苦手意識を感じてしまうのだ。――例えアレクシスにとっては、睨んでいたつもりがなかったにしても。
「で、警察官サマは今日はプライベートってやつですか」
「そんなところだ。俺にだって休みくらいはある。貴様は……そうか。もしかしてスウィートマンのところすら追いだされて、こんな昼間から……。可哀想に」
「いや、ただ昼飯買いにきただけですから。めちゃくちゃ失礼ですねぇ。アンタ」
手ぶらでフラフラしているダリルを見て、アレクシスが哀れみをこめた視線を向ける。
彼はダリルに訂正をされた後も疑うようにジッと見つめていたが、さすがに納得したのかそれ以上の追求はしてこなかった。
「……まぁそれならいい。とりあえずここで貴様と立ち話をしているつもりもないからな。ついでだ。スウィートマンには、面倒事は起こしてくれるなよとだけ言っておいてくれ」
「はいはい。僕もそれは同意見なんで。しっかりと伝えさせていただきますよ。警察官サマ直々のお達しですし」
「さっきからその呼び方はやめろ。じゃあ俺はもう行くから――」
「アッくーーーん!!」
「うおっ!?」
アレクシスが振り返ろうとしたまさにその時。
まさに、目にも止まらぬ弾丸のごとく。彼に向けて突然何者かが、大声をあげて飛びついた。
アレクシスは思わずそのまま後ろに倒れこみ、どうにか受身をとると、すかさず飛びついてきた相手に向けて怒号を浴びせかけた。
「このっ……セリーナ! 街中で大声をだすな! そして飛びついてくるのはよせと、何回言えば分かるんだ!」
「だってアッくんが先に行っちゃうんだもん! だから急いで追いかけてきたの。……というかアッくんだって大声だしてるよ?」
アレクシスに飛びついてきたのは、彼と同じ金髪翠眼の背の高い美女であった。
セリーナと呼ばれた彼女は楽しそうにアレクシスとの会話を楽しんでいるようであったが、視線を感じたのだろうか。くるりと振り返ると、何事かと驚いたように自分に注目しているダリルを発見する。
そしてダリルの顔をまじまじと見つめると、彼女は途端に表情を明るくして、今度はダリルの両手を握ったのだった。
「えー! アッくん誰この子~! すっごく可愛い! 可愛いのに目つきが悪いところとかすごくお姉さんのタイプ~!」
「な、なんなんですかアンタ……」
「そのお顔で敬語使うの? なにそれもっと可愛い~!」
――に、苦手なタイプの人間だ……
助けを求めて、ダリルがアレクシスに視線でうったえかける。
まさにここだけ嵐がきたかのようなプチ騒ぎ。
通りかかる人々の視線が集まっていることを自覚したまま、諦めたのだろう。アレクシスは片手で目を覆い、天を仰ぐようにして盛大な溜め息をついた。
「……紹介する。彼女はセリーナ・マードック。俺の嫁だ」
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