踏みにじられた記憶
「ううん……。あれ、私寝てたのかしら……」
「エマ。目が覚めたんですか」
どうやらオズワルドの風に当てられたことで、夢の淵にいた彼女を起こしてしまったらしい。
彼女は自分がダリルの背におぶられていることに気がつくと、彼とオズワルドの顔を交互に見比べて頭上にハテナマークを浮かべる。
「あら、ダリルさん……? それにオズも。私たちいったいなにをして――」
寝ぼけ
しかし顔を上げた彼女は、自分たちを包みこむ幻想的な光景を目の前に、思わず目を見開き、言葉を失った。
「――すごい。こ、これ……どうしたの……?」
「どうしたって、アンタが自分でやったんじゃないですか? 覚えてないんです?」
「私が……? 嘘。信じられない」
ダリルがエマを降ろす。
彼女はフラフラと足取りもおぼつかなく歩いては、地面を埋めつくすほどの花畑に感動した様子で瞳を輝かせる。
「すごい! すごいわ! まるで私の夢が叶ったみたい! 世界中がお花畑になったみたいで、なんて素敵なのかしら!」
「ええ……まったく。やればできるじゃないですか、エマ」
「ほんとうに! この光景をお父さんにも――あ」
嬉しそうにくるくるとエマは両手を広げてその場で回りつづける。
が、これも風のイタズラなのだろうか。そんな彼女の頭からは先ほどオズワルドが頭につけた花がポトリと落ち――エマの視線は自然とそれを追いかける。
彼女は慌ててそれを拾いあげると、大事そうに……まるで長年の宝物であるかのように胸の前へと抱き寄せた。
……そして、次に聞いた言葉にダリルは耳を疑うことになる。
「ああごめんなさい! 私ったらつい嬉しくて。危うく他のお花に混ざって見分けがつかなくなってしまうところだったわ! ――
「――え?」
呆然とするダリルには気がつくこともなく、彼女は二人の元へと駆け寄ってくる。あの花を持ったまま。
「……エマ。その花……」
「ん? なあに、ダリルさん。お父さんがどうかしたの?」
「お父さんって……それ、ただの花ですよねぇ……?」
その指摘はもっとも。なにせ、その花はオズワルドが適当に摘んだだけの、そこらに生えていただけの野花。
しかしダリルの言葉を聞いてエマは頬を膨らませると、彼の目の前に仁王立ちとなってその花を近づけて見せつけた。
「もう、そんな言い方しないでよ! ダリルさんもさっき見たでしょ。お父さんが私たちを守ってくれたところ」
「は……?」
「ダリルさんとサクラバさんが動けなくなって危なかったところを、お父さんがマホウで御神木を止めてくれたのよ。力を使いすぎてこんな姿になっちゃったけれど……」
「……」
ちがう。明らかにちがう。
たしかにエマの言うことはほとんどが事実である。しかし、ちがうのだと、断言できる。
ダリルが実際に彼女がマホウを使っているところを見たわけではないが、彼女の父は……エマの父親は、この一面の花畑を見て、娘の成長を喜び涙を流していたのだ。それが、最期の姿であったのだ。――彼女の父親の死体は、今も御神木の根元で鎮魂の花と共に残っているのだ。
――まさか、記憶が……改ざんされている……?
辛いことを忘れたいと思う人間の防衛本能か。……いや、それもちがう。あまりにもできすぎている。
それはまるで、傷ついた彼女をいたわって
エマはダリルをからかっているような様子もなく、気を使ってそう言っているわけでもなく。本当に父親を失った悲しみと、自分たちを守ってくれたことへの誇らしさを織り交ぜて話しているように見える。
それゆえに、彼女は無邪気ながらに嘘っぱちの誇りを自慢するのだ。
「オズにも見せたかったなあ。すごくかっこよかったんだよ? 私のお父さん」
「そうなんだ。よかったらぜひ、あとで聞かせてくれないかい?」
「ええもちろん! あっ、そういえば皆さんはもう村に戻るのよね? 最後にどうしても御神木に用事があって……。少しだけ行ってきてもいいかしら?」
「いいよ。先生をお医者さんのところに連れていきたいから、手短にね」
「はーい!」
エマは元気よく返事をすると、花畑の中を駆け抜けて御神木の元へと向かっていく。
それをオズワルドは微笑ましそうに眺めていたが……ふと。自分の周りの空気がピリついたのを感じとり、彼は隣のダリルに視線を向ける。
「……アンタ、なにしたんですか」
「ん? なんのことだい?」
「だから……さっきエマになにをしたのかって聞いてるんですよ。アンタ、彼女の頭になにか小細工でもしたんでしょう」
わずかに怒気をふくんだ声。
ダリルの問いかけにオズワルドは首をひねったが、すぐに合点がいったのかああと声をあげた。
「たいしたことはしていないよ。ダリルも言っただろう? さっきは彼女にとって辛いことがあったって。だから、ちょっと頭の中をいじって
「――は? なに言ってるんですか、アンタ。記憶を書きかえる? そんなことできるはずが――」
「できるよ。だって僕はすごいから」
オズワルドがニコリと笑う。またこの笑顔だ。どこか薄気味悪くて、ゾッとする。人ではない、化け物のような男の笑顔。
この森の中で最初に御神木の手足であるツタに襲われた時は、
それでもダリルはこの化け物に問わなければならなかった。
「なんで。なんでそんなことしたんですか? アンタになんの権利があるっていうんです?」
「……? おかしなこと言うなぁ、ダリルは。だって、辛い記憶があるならば、幸せな記憶に変えてしまった方が気持ちがいいだろう? その方がみんなハッピーだ。人間は誰しもが幸せでいたい生き物なんだし、僕は間違ったことはしていない。今日の僕は適度に暴れられて気分がいいからさ。特別大サービスで彼女
「アンタそれ……本気で言ってますか?」
ペラペラとオズワルドの口からつむがれた言葉は、実に個人的な価値観に満ちあふれた自分本位なものであった。
とぼけているわけではなく、本当に意味が分からないといった表情で再びオズワルドが首をかしげる。
辛い記憶を書きかえる。エマにとっての辛い記憶というのが、この御神木の真相と彼女の父親との悲惨な死別ということならば。
「それって、彼女の決心も、悲しみも、
「酷い言い草だなぁ。でも君の言うとおりでもある。悲しい記憶ならば綺麗な記憶に上書きしてしまえばいい。
ダリルの反応がお気に召したのか、オズワルドは楽しげに提案をもたらす。
「そうか。気がつかなくてごめんね。一番辛かったのはダリル……君か。しょうがないよねぇ、今もまだ手に感覚が残っているんだろう? 初めて人を殺してしまった感覚ってのがさ。せっかくならエマみたいに面白おかしく書きかえてあげようか? それとも先生みたいに都合の悪いところだけ忘れさせてもいいけれど……ま、どっちでもいいか。気楽に生きようよ。君だって、本当は人を殺した記憶なんてものは忘れたくて――」
瞬間、オズワルドが目を見開く。
彼の言葉を強制的にさえぎったもの――それは、この幻想的な空間には到底似つかわしくない、硬い鉄同士がぶつかり合う現実味をおびた音であった。
しんと静まり返った聖域。聞こえるのは、荒い息づかい。
「……ッ」
怒りからくる興奮状態から、ダリルが肩で息をする。
なぜ、こんなにも腹が立っているのだろうか。どこか冷静な自分が疑問に思う。その疑問にしいて答えるのならば……許せなかったのだろう。身勝手な行いをしたオズワルドと、なにもできない、無力な自分が。
「えぇ……目がマジじゃん。さすがにびっくりして、避ける前に余計なもの出しちゃった」
なにもできない……いや、なにもさせてはもらえない、という方が正しいか。
ダリルが手元に生成して振り下ろした剣を、オズワルドは目の前に造りだした
その盾はダリルの全力で斬りかかった一撃を受けても傷一つつくことはない。しかし、奥にいる男の表情は珍しく意表をつかれたものであった。
「いやぁ……まったく。最近の若者は手をだすのが早いんだから。困るんだよねぇ。今は先生をおぶっているんだから、そういうのは控えてくれないとさ」
「クソ……アンタいったいなんなんだよ。本当にただのマホウツカイなのかよ!? おかしいだろ……風を操って、記憶をいじって、防具の具現化ができる? そんなの、マホウ同士に
ダリルが声を荒げて叫ぶ。
しかし、今度こそオズワルドはいつもの
「変なことを聞くね、君は。僕は特別だから、ちょっとみんなとはちがう。それだけさ」
とだけ答えた。
「はぁ? なんですかその理由。説明放棄ですか? そんな適当なこと言って、僕が納得するとでも――」
「ち、ちょっと二人共! なんで少し目を離した隙にまた喧嘩してるのよ!」
さすがにここまで争っていればバレるというもの。
御神木を眺めていたはずのエマが、自分を待つ二人の様子がおかしいことに気がつき慌てて戻ってくる。
彼女が到着するまでにオズワルドは何事もなかったかのように盾を消し、ダリルもエマを巻きこむつもりまではないのか不本意そうに剣を光に還す。
「まったく、アナタたち二人は喧嘩ばっかり! もう立派な大人なんだからもう少し落ちついたらどうなの」
「ごめんよ、エマ。ダリルがあまりにも喧嘩っ早くて」
「お互い様でしょ! ほら、私も用事がすんだから村に戻りましょう。……って、ダリルさん! どうしたの、この服。よく見たら血まみれじゃないの!?」
合流したエマが驚いた顔でダリルのシャツを掴む。しかし彼はバツが悪そうに彼女から視線を背けただけだった。
「……僕の血じゃないので問題ありませんよ」
「いやいや問題大ありよ! なんでそんなことになってるの! だいたいダリルさん、さっきも身体を痛めてたみたいだし、骨が折れてたりしたら大変。見栄なんて張らなくていいから、ほらこっち。道は潰れているみたいだし……少し遠回りして戻りましょう」
そう言ってダリルの腕をとると、エマは満足気に笑ってフォイユ村に向けて歩きはじめる。
一本道が使えなくなってしまった以上、草をかき分けながらでも土地勘のあるエマについていくほかない。
振りほどくような無粋な真似はせず、ダリルは静かに彼女の隣をついていく。その後ろからは退屈そうにあくびをするオズワルドがつづいていたが、もうお互いに喧嘩をするような気分にはなっていなかった。
「……結局、御神木への用事ってなんだったんですか」
しばらく歩いて足が疲れてきた頃。とうとつにダリルがエマに尋ねる。
彼女はなんと言えばいいのか言葉に困っていたようであったが、すぐに口元を緩めては自分の気持ちを正直に話すことを決めた。
「根元にね、お花を置いてきたの。こんなことにはなってしまったけれど、どうしてか……あの木を憎むことはできなくて。これからは安らかに、村を見守っててくださいっていう気持ちをこめて」
「……そうですか。アンタからの贈り物なら、喜ぶと思いますよ」
「御神木が? ふふ、そうだといいのだけれど」
「ええ。きっと」
そこでようやく、ずっと固く、うつむき気味であったダリルの表情が柔らかくほどける。
ああよかった。記憶をなくしてしまっても、彼女の心の隅にはあの約束が根づいている。そんなちょっとの安堵に重くのしかかっていた罪悪感が軽くなる。
すると、その時。
『エマ』
柔らかな風に木の葉が揺れる。
「……ん?」
誰かに名前を呼ばれ、惹かれるようにエマは後方へと振り返った。
オズワルドではない。もちろん隣のダリルでもない。もっとずっと後ろ――御神木のある聖域から。優しくて大好きな声で「ありがとう、またね」と言われたような。そんな言葉が聞こえた気がして。
「――うん、またね。絶対に会いにくるから」
顔も分からない、懐かしいアナタへ。
別れではない。再会を約束する言葉を彼女は口にした。
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