花葬
《数分後》
森の上をふよふよと浮きながら移動をしていたオズワルドは、まっすぐに目当てのシンボルである御神木を目指していた。
ついさっきまでフォイユ村の防衛にいそしんでいた彼だったが、急に根の侵攻が止まり、撤退をはじめたことを不思議に思って桜庭たちの様子を見に行くことを決めたのである。
――波は途中まで引いたところで止まっている……どうやらあっちも無事に終わったみたいだ。
森の荒れ具合は思ったよりも酷く、中央の御神木からフォイユ村にかけての木がほとんどなぎ倒されている。
桜庭たちが歩いてきた道も上から根に潰されており、これを完璧に復旧するにはかなりの時間を必要とすることが分かった。
「まぁいいか。そんなことより、今は先生たちを探そう」
どうせ御神木までの道を使う人間など、そう多くはないのだ。今どうこう考えたところで、なにか慈善活動をする気も起きやしない。
そして視線を前方へと戻したオズワルドであったが、彼は目の前の木の様子が昨日までとは違うことに気がつき、数度まばたきをする。
――あれ、なんだろう。御神木に花が……咲いている? 木の幹に? 前に近くを通った時もあんな感じだったかなぁ。昨日の夜は暗くてよく分からなかったし……
近づいてみると、その異様さはやはり彼の記憶と相違していた。
赤に黄色に白にオレンジと色とりどりの花々が、御神木の末端まで、全体を包みこむように咲き乱れていたのだ。
地上が一望できる御神木の太い枝の上に降りたてば、一面に広がる花畑のその広さと甘い香りにオズワルドは驚愕する。
「これは……なるほど、エマのマホウか。……ん?」
「先生……?」
まさかと思い、血の気の引く思いでオズワルドは枝から飛びたつ。
彼は桜庭の前に着地すると、すぐさま駆け寄って力の入っていない身体を抱き起こした。
「先生、先生大丈夫かい!? あぁ、待って、頭から血がでてる! どうしよう、治療できるものなんてなにも無いし、こんなすぐに君に死なれるのは僕だってこま――」
「……すぅ」
「……あー……なんだ。よく見たら傷もたいしたことないし、ちょっと気絶して寝てるだけか。ははは……一人で慌てて、僕が馬鹿みたい」
頭を強く打って出血しているが傷は浅く、穏やかに息をしていることから大事はないとほっとする。
一度桜庭を花畑におろすと、オズワルドは少し離れた場所で同じように倒れているエマの元へと向かうことにした。
周りの状況を見るに、桜庭とは違って彼女はマホウを瞬間的に使いすぎたために気絶してしまったのだろう。
心配していた二人が無事であることに冷静さを取り戻したオズワルドは、残るもう一人の存在を思いだして顔を上げた。
「……で、彼は?」
一応上司という立場上、部下の生存確認はしなければならない。
オズワルドはキョロキョロと付近を見回していたが、すぐに探していた人物は見つけることができた。
御神木の根元付近にて、ダリルは木に生えた花をむしっては、目の前の穴の中へと投げこむ動作を繰り返しつづけていた。
オズワルドは花畑の中を早足に歩いて彼に近づくと、後ろから中腰になって顔を覗きこむ。
今日のダリルはいつもの紅いシャツを着てはいたが、その前部分は返り血を浴びたのか、元の色を上塗りするかのようにさらに赤黒く染めあげられていた。
「やぁ、ダリル。英雄になった気分はどうだい?」
「……最悪ですよ。今まで生きてきて一番」
「ふぅん。それ、楽しい?」
「全然」
気配に勘づいたのか突然やってきたオズワルドに驚くような様子もなく、ダリルは淡々と返事をする。
オズワルドの質問に答える間も彼は花をむしり投げる動作をつづけており、それを不思議がったオズワルドが穴の中を覗き、片手で鼻をつまんでは顔をしかめた。
「うーん……血なまぐさいのに強い花の匂いが混ざって、なんだか形容しがたい感じだねぇ。正直言えばめっちゃ臭い。これ、なにしてんの?」
穴の中は悲惨な状態であった。
あちこちに飛び散った血はかなり新しく、ダリルが投げ入れた花を触れたそばから赤く濡らしている。
しかし中にいる首のない人間の死体を覆うにはまだまだ量は少ないようで、隣に転がった頭部ですら隠しきれてはいなかった。
「人の
「ああなるほど。火葬や土葬ならぬ花葬ってことかい? いいねぇ、それ。面白そう。僕も手伝うよ」
そう言うとオズワルドは指をパチリと鳴らす。
力を使う時の彼の癖なのだろう。心地のいい指を弾く音に合わせて、踊りだす柔らかい春の風。
風はすぐに勢いを増していき、二人の周りをひとしきり遊び回ると地上へと吹き降りていく。そのまま花畑の広範囲に広がっていった風は辺りの花々をごっそりと巻きこんで、まっすぐに穴の中へと飛びこんでいった。
吹き飛ばされそうになるほどの暴力的な風圧と、反する幻想的な花吹雪。時間もさほど経たずして穴の縁までが花びらでいっぱいになり、もはやそこになにが存在していたのかなど、誰も知ることはできなかった。
「どう? 早いでしょ」
「……」
常日頃のダリルであれば、余計なことをしたと怒りもしただろう。だが、今の彼にはそう噛みついてやるだけの気力すらなかった。
ここでなにがあったのか。エマの父親が最後になんと言ったのか。それどころか、エマの想いや桜庭の葛藤もなにも伝える間もなく終わった埋葬に、ダリルはただ沈黙するしかできなかったのだ。
そんなダリルの様子に気がつくこともなく、オズワルドはにこやかに笑いながら彼の肩を叩く。
「じゃあ早く先生とエマのところに行こうか。埋葬も無事に済ませたし、いつまでもここにいるわけにはいかないだろう?」
「……ええ。そうですね」
「あはは。酷い顔。なんだか元気ないねぇ。せっかく異変を解決したっていうのに」
「おかげさまで」
足取りも重いままにダリルはオズワルドの後ろをついていく。
先に一度、二人の様子を見ていたオズワルド。聖域内の位置関係を把握していた彼は広い花畑の中でも迷うことなく、まずは近場のエマの元へと向かっていた。
マホウの発生源となるエマの周りは特に花の香りが濃く、むせ返りそうになりながらもオズワルドは彼女の隣へと膝をついて身体を揺する。
「うん。やっぱり急激にマホウを使いすぎてしまったから眠っているだけみたいだね。おーい、エマー」
「無理に起こさなくてもいいんじゃないですか。さっきまでは彼女にとって辛いことばかりでしたし……少しの間くらい忘れさせてあげてください。村までは僕が背負っていきますから」
「へぇ、そうかい」
オズワルドはエマの髪を数度なでてやると、彼女の額に手を置く。……その手元が少し光ったように見えたのは気のせいだろうか。
彼は近くに咲いていた橙色の花を一輪適当に摘むと、エマの髪につけて手を離す。
一見すると不自然にも思えるその行動を、わずかながら不思議に感じたダリルが首をかしげた。
「なにしてるんですか」
「んー? ただ彼女の負担を減らしてあげようと思っただけさ。それよりほら、ダリル。彼女のことおぶってくれるんだろう。僕は先生おぶるから、こっちはよろしくね」
「? ……はいはい」
言葉の意味を理解しあぐねるが、深く考えるだけ無駄だろう。
ダリルはエマを背中に背負うと、先を行くオズワルドの後ろを彼女を起こさないようにゆっくりと追いかける。
先に桜庭の元へと到着していたオズワルドは、エマにしたのと同じように桜庭の額に手を触れて様子を見守っていた。
「……あっ、ダリル。君なにか布とか持ってたりしないかな。先生が頭に怪我してるみたいで、まだ少しだけ血がでていてねぇ……。止血したいんだけれど……僕、荷物は全部村に置いてきちゃったからさ。貸してくれると助かるよ」
「ハンカチならありますけど」
「うーん、じゃあそれでいいや。貸して」
ダリルはズボンのポケットからくしゃくしゃのハンカチを取りだすと、オズワルドへと投げ渡す。
受けとったオズワルドは一瞬渋い顔をしたが、背に腹はかえられないと、それを桜庭の傷口へと押し当てた。
「まったく……本当に気をつけてくれよ。ダリルはともかく、先生とエマのことは死ぬ気で守ってくれって言っただろう」
「それは……本当に悪いと思ってますよ。一瞬とはいえ油断してた僕が悪いですから」
「んー……? なんか君がしょぼくれて反論もしてこないのを見ると調子狂うなぁ……。まぁ、幸い先生の怪我も大事ではなさそうだし、頭を打って少し切っただけっぽいからね。念のためにあとで村のお医者さんのところへでも連れていこうか」
「ええ」
それから少しの間様子を見ていたが、桜庭の出血も少量にとどまってきたところでオズワルドがハンカチを離す。
本来ならばそのまま当ててやりたいところであったが、固定するものも手近にない。仕方なしに彼はハンカチを上着のポケットへと押しこんだ。
「さて、村へ戻ろうか」
オズワルドがよいしょという掛け声とともに桜庭を背負い、例のごとく風を起こして飛びあがろうとする。
そこへダリルが抗議の声をあげるのは当然であった。
「ちょっと、僕は飛べないんですけど」
「ああ失礼。つい癖でね。君もいっしょに飛んで帰れるようにしようか?」
「遠慮しておきます。途中で落とされたりでもしたらかなわないので」
「ふぅん……そうかい。それじゃあそれはまたの機会にするとしよう」
誘いが断られたことに納得がいかない様子で、風を鎮めたオズワルドが着地する。
それと同時にダリルの背中でもぞりと動く感覚。気を失っていたはずのエマが目覚めたのだった。
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