火に油を注ぐ天才

《翌朝――ウッドハウス家・桜庭の部屋》


 日が昇り、朝がやってきた。

 暖かく、柔らかな光が窓からさしこむ、穏やかな朝。


 ――田舎の朝って、やっぱりいいよなぁ。都会に比べて、時間の流れがゆったりしてる気がする。


 朝食をとり終えて軽い身支度をすませた桜庭は、ベッドの端に座り、メモ帳へ昨夜までに聞いた情報をまとめていた。

 たいした話を聞いたわけではないが、そういった情報もいずれ記録をつける際には必要になる。

 仮にうっかり忘れてしまった、なんてことになれば思いだすのにも一苦労。いくら時間はたくさんあるといえど、桜庭も無駄な時間はさきたくないのである。


 ――にしても、これから初調査……か。ここまで流れで来ちゃったけど、本当に俺、ついていっていいもんなのかな……


 マホウツカイであるダリルならばともかく、戦闘技術を持たないただの人間である桜庭が同行してもいいものか。

 きっとオズワルドはそれでもいい、と言うだろうが、それでも気がかりなのはたしかである。

 なにせ『この世界で死んではならない』と。そう言ったのも彼なのだから。


 ――俺が死んで、夢から覚めたらこの世界も消えちゃう……ってことなのかな。それなら俺も、悪いマホウツカイが現れたら拳の一つや二つくらい対抗して……


「いやいや、たしかに俺は小さい頃から好奇心旺盛で正義感が強い少年ヒーロー気取りだったけど。だからといって実際に戦えるかっていったらそうじゃないんだよなぁ。護身術でも習っておけばよかった」


 正直活躍できる気がしない。

 もしも悪いマホウツカイが関係しているならば、最初に狙われたり人質にとられるのは自分かもしれないのだ。そんな時、無力な自分になにができる。


 ――でも、一度オズの仕事を手伝うって決めたんだ。それなら俺のできる限りを頑張らないと。


 そう桜庭が決心を固めた時であった。


「……ん?」


 誰かが階段を駆けてくる足音を聞いて、桜庭は思わず顔を上げる。

 間もなく二度、軽快にドアをノックする音。入室をうながせば、おそるおそるドアの隙間から顔を覗かせたのはエマであった。


「サクラバさん、もうお出かけする支度は大丈夫かしら?」


「ああ。エマが早起きして朝食を作ってくれたおかげで準備万端。助かったよ。オズとダリルは?」


「二人は今ごはんを食べてるところ。まったく、お寝坊さんなんだから……。しかも朝から目玉焼きにはソースだの醤油だので揉めはじめて。昨日のお夕飯の時だって、シチューにご飯を入れるか入れないかで揉めてたじゃないの」


 桜庭の支度が終わっていたことに安心したのか、ドアを大きく開けてエマが困ったように息を吐く。

 しかし一方で、彼女の服装を見た桜庭は疑問の声をあげた。


「あれ……エマ。君もカバンを持っているけど、どこかへ出かけるのかな」


「ええ。当たり前じゃない。私もいっしょに行くんだから」


「誰と……どこへ?」


「どこって……東の森に決まってるでしょう? サクラバさんたちといっしょにね」


 当然といったような顔でエマはそう答えた。

 彼女の服装は動きやすそうな黒いパンツ姿で、金糸のような長い髪を一本に束ねたポニーテール。

 桜庭が朝食を食べている間はエプロンをしていたので気がつかなかったが、昨日のワンピース姿とは一転してかなりアウトドアな印象を受けるだろう。


「えっ? まてまて。森に行くってどうして」


「どうもこうもないわよ。皆さんこそ、これから森に行くのでしょう? それなら少しはこの辺りに詳しい人がいた方がいいと思うし、事情も知ってる私が適任だと思ったの」


 疑問に頭をこんがらがらせる桜庭を見て、「さっきからどうしてばっかりね」とエマが笑う。

 それもそのはずである。昨日の話し合いの中ではエマを同行させるという案はなかった。それどころか、桜庭自身はあまり森の話題については触れないようにしていたはずである。

 となれば、考えられるのは。


「あー……もしかして、オズかダリルどっちかから聞いたのか……」


「おあいこよ。サクラバさんたちだって……私のお父さんのこと、聞いたんでしょ? もちろん私が行ったところでなにかができるわけじゃないのは分かってる。でも、やっぱりいてもたってもいられなくて」


 それは彼女の独白に近いものだった。


「前に一度、お父さんを探しに森の入口まで行ったんだけれど……怖くて。まるで森に来るなって言われているみたいで、勇気がでずに帰ってきちゃったの。それからは近づくことすらできなくて、ずっと待ってた。待っていれば、もしかしたらお父さんは本当に森に迷ってしまっただけで、ひょっこり帰ってくるんじゃないかと思って……」


 エマが胸の前でぎゅっと自分の手を握りしめる。

 彼女は伏せていた顔を上げて、まっすぐに桜庭を見つめた。


「でも、やっぱり待っているだけじゃダメ。今度は皆さんがいるからきっと大丈夫。一人じゃないんですもの。だから私も、いっしょにお父さんを探しに行く。お父さんに待たせてごめんねって言ってあげたいし――それに、私自身にも大丈夫だったよって言ってあげたい」


「エマ……」


 桃色の瞳は彼女のたしかな意思を語っていた。

 本当は今まで寂しかったのかもしれない。泣きたかったのかもしれない。助けがくるのを待っていたのかもしれない。それでも彼女は、心配をさせまいと周りの人々に笑顔を振りまいていたのだろう。


 ――俺たちを快く泊めてくれたのも、本当は一人が寂しかったから……なのかな。


 だとすれば、桜庭たちと彼女が出会ったことは偶然ではなく、必然だったのかもしれない。彼女の寂しさを和らげ、ゆいいつ救うことのできる、救世主として。

 そのことが分かった上で、桜庭には彼女の意思を断ることはできなかった。


「分かったよ。いっしょに行こう、エマ。もしも危険があれば俺たちが守るからさ。君に万が一があったら君のお父さんに会った時に顔向けができないし」


「ええ。ありがとう……ありがとう、サクラバさん」


 エマが笑う。今の桜庭には分かる――それは初めて彼女に会った時と同じ、寂しさを押し殺した偽りの仮面であった。

 彼女が心の底から安心して笑えるように、桜庭は自分たちにできることを最大限にやるまでだった。


「――あれ? アンタそんな格好でなにしてるんです」


 するとちょうど朝食をとり終えたのか、二階にあがってきたダリルとオズワルドが桜庭の部屋の前で立ち止まった。


「おはよう。オズ、ダリル。実は今日の森の調査なんだけれど、エマもいっしょに行くことになってさ」


「へぇ……アンタが。まぁ、足でまといにならないなら別にいいですけどねぇ。……なんですか」


 関心が薄そうに素っ気ない返事をするダリル。

 しかしエマが振り返りニヤニヤと見つめてくるのに気がついた彼は、不審げに眉根を寄せた。


「いいえ、なんでも。そうやってツンケンしていても、本当は優しい人だって私は知っていますもの」


「はぁ? なんだそれ」


 ダリルが明らかに気に障ったような顔をするが、エマは気にも止めずにニコニコと笑顔を向ける。

 どうも寝起きの彼は少し沸点が低いらしい。それもエマの話では、先ほどから彼の苦手なオズワルドの相手をマンツーマンでしていたという。おそらく……普通に機嫌が悪い。

 相手がエマだからいいものを、他の人間相手ならばナイフの一つくらいは飛ばしていてもおかしくはなかっただろう。

 するとその後ろから、二人を観察していた当のオズワルドがダリルの肩に両手を置いた。


「まぁまぁ、僕もダリルは良い子だって知っているよ。ちょっとツンデレなだけだもんね? ただ、そうやって口が悪いのはモテないから直した方がいいと思うけれど」


「……火に油を注ぐって言葉、知ってます?」


 オズワルドはなだめたつもりなのだろうが、完全な逆効果にダリルのこめかみがひくりと動く。

 それでもオズワルドは両手をダリルの肩から離してのんきに笑って誤魔化すと、桜庭へと目を向けた。


「でも、エマが森に行くというならちょうどいいや。彼女と交代で僕は村の方に残らせてもらうよ」


「え? なんで?」


 突然の居残り宣言に桜庭が理由を問いかける。

 しかしオズワルドの語った理由は、はたから聞いても明らかに分かる言い訳であった。


「いやぁ、それが実は朝からお腹の調子がよくなくてね……。さすがにこの状態で行くだなんて、それこそ足でまといになってしまうと思ってさ」


「朝から人の家の砂糖使い切る勢いでコーヒーに入れて、美味そうにガブ飲みしてたのはどこのどいつですか。行きたくないって駄々こねてるだけなら無理にでも引きずっていきますよ」


「やだなぁダリル。そんな言いがかりしないでよ。僕だってね、本当は君たちだけで行かせるだなんて……そんな無責任で危ないことはしたくないんだ。それとも本当に引きずっていくつもりなら、表で一戦相手になるがどうだい? まぁ、手違いで殺してしまったらその時は謝るけれど」


「……」


 せせら笑うような声に、先日の一件を思いだしてダリルが口を閉ざす。

 ついて行くくらいの元気はないのに、人を殺すくらいの元気はあるとはどういう了見だ。と抗議をしたいところはやまやまである。

 しかしこれ以上言い合いをしたところで、この男相手に議論が進展することはないだろう。それこそ口でも、喧嘩でも。

 ダリルはオズワルドを睨みつけると、大きく舌打ちをして自身の割り当てられた部屋へと向かう。


「僕は部屋にいるんで。出発する時に教えてくださいね。サクラバさん」


「あ、ああ。分かったよ」


 すぐに隣の部屋からドアが閉まる音が聞こえ、困ったようにエマが桜庭とオズワルドの顔を交互に見やる。


「だ、大丈夫かしら……? もしかして私のせいでダリルさんの機嫌を損ねてしまったんじゃ……」


「大丈夫だって。……あれは絶対にオズのせいだし。これくらいの小競り合いならしょっちゅうだから、エマは気にしないで」


「そう。ならいいのだけれど……。オズもお腹は大丈夫? なにか合わない食べ物でもあったかしら」


 そうエマが問いかければ、心配の矛先が自分に向いたことが嬉しかったのだろうか。それとも先ほどの言い訳が彼女に通じたことが嬉しかったのだろうか。

 オズワルドはにこやかに目じりを下げ、エマに微笑みかけた。


「エマは心配してくれて優しいねぇ。きっと緊張してしまっただけだろうから大丈夫さ。さすがに森の入り口までは見送りにいくから……それまで僕は部屋で安静にしているとするよ」


 そう言い残すと、オズワルドもダリルと同じように自分の部屋へと帰っていってしまった。


 ――オズの奴、昨日までは自分も森へ行くつもりだったのに……どうしたんだろう。


 気が変わった……というには違う。彼は明らかに、なにか理由があって村に残ることを選んでいる。

 今の言い訳自体も、桜庭やダリルを騙すことが目的ではない。優しく純粋なエマに怪しまれないよう、当たり障りのない言い訳で探索メンバーを離脱したのだ。

 それが分かっているからこそ、ダリルは不本意ながらも数回のやり取りで大人しく引き下がったのだろう。


 ――アイツがなに考えてるのかはサッパリ分からないけど、今は信じる他になさそうだな。


「さて。それじゃあ……これからどうするか」


 オズワルドとダリルは自室。残されたのは桜庭とエマのみ。

 桜庭自身、軽い身支度はすでに済んではいるものの、今の今でダリルとオズワルドをすぐに引き合せるということはどうにも気が引ける。

 それこそ大袈裟ではあるが、また言い争いが始まれば出発までに日が暮れてしまう可能性とてあるのだ。

 仕方がないというように、桜庭は部屋の入口で立ち止まったままのエマを隣に座るように呼びかけた。


「エマ。こっちで少しお話しでもしようか。急ぎたい気持ちはもちろんあるんだが……どうせ行くならダリルの機嫌が直ってからにしたい。オズは来ないようだし、俺たちの命は彼にかかっていると言っても過言ではないからさ」


「ふふ、仕方ないわね。あの二人ってばどっちもお子様なんですもの。それで、なにをお話ししてくれるの?」


「エマはなにが聞きたい?」


「うーん……それじゃあ、都会のお話が聞きたいわ!」


「都会の話かぁ……。俺もこっちに来てからは日が浅いし……故郷の話でもいいかな? 俺の故郷もサントルヴィルと似て大きな街だったんだ。まぁ書き物に集中したくて、静かで離れた場所に引っ越しはしちゃったけどね」


 夢幻世界むげんせかいのことはまだ分からないが、現実のことであればいくらでも語ることができる。

 エマも桜庭の提案に興味をもったようで、無理にサントルヴィルの話題を聞きだそうとはしてこない。だが、どうやら彼女が気になったのは別の点らしく。


「書き物?」


 と、首をかしげて頭上にハテナマークを浮かべた。


「実は俺、故郷の方では小説を書いていてね。一応あっちではそこそこの知名度はあるんだよ」


「まあ、作家さんなのね! それじゃあきっと面白いお話が聞けるはずだわ」


「おいおい……ハードル上げてくれるなって。それとこれとは話が別なんだからな?」


 困ったように桜庭が笑う。


「だって楽しみなんですもの。ねぇサクラバさん、早くお話聞かせて!」


 瞳を輝かせ、待ちきれないと言わんばかりに足をパタパタさせるエマを見て、桜庭の顔がほころぶ。

 この一時だけであっても、彼女の偽りの笑顔が本物の笑顔となるよう――そう願って。桜庭は思い出を手繰たぐり寄せて語りを始めるのであった。

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