第2話 破り捨てられたノート

私が書くことを始めたのはいつのことだったでしょう。記憶を辿れば、設定資料や何かの書き出しが書かれたノートの存在を思い出すことが出来ます。


もともと小説を読むのことは好きでした。小学校二年生の頃に、図書館と同じフロアの教室になって、それがきっかけだったように思います。


私が通っていた小学校の図書館は、職員室の階段を挟んで隣にありました。隅っこに押しやられたような部屋の前には、古びた本棚が並べられており、伝記ものの書籍が置いてありました。


私はそこで平家物語を読んで、夢中になりました。すのこにへたりこんで本を読む私は、きっと奇怪な目を向けられていたことでしょう。


私が自分の意思で読書をしたのは、これが初めてであったと記憶しています。


六歳離れた兄は、もっとも近しい読書をする知り合いで、創作にも関心がありました。兄と私はオリジナルキャラクターを作ったり、ロールプレイングをして遊んだり、空想の世界を駆け回っていました。


ショッキングな出来事が起こります。兄がノートに書いていた小説を、父親がびりびりに破いてしまったのです。私はそれを母親伝てに聞きました。


兄は少しエキセントリックなところがある人で、気難しい父親とは折り合いが悪かったのです。

例えば、兄はもう一人の自分と話すようにして一人で喋る癖があります。

決して悪意があるわけではないのですが、力加減が出来ず、私と喧嘩をして前歯を折ったこともあります。


乱暴者、というか極端に不器用な人なのです。空気を読んだり、正攻法のようなものを見つけるのが苦手で、全て我流でやってしまうのです。そんな兄の性格が事の発端でした。


断っておきたいのですが、私は兄が悪かったとは微塵も思っていません。父親がしたことは自由に創作する権利を踏みにじる、卑劣な行為です。子供相手でも、いや、子供相手だからこそ許されることではありません。だって理不尽に抵抗する術を持たないのだから。


兄は縦書きのノートを左上から書いていたのです。確かに読みにくいし風変わりとは思いますが、それだけです。兄は無邪気に、自分の書いた物語を父親に読んでもらおうと持っていっただけです。


そのときの兄の心を思うと、いつも心がばらばらに砕けてしまいそうになります。

自分が作り出したものを物理的に破壊されるのはどういう心持ちなのでしょう。ノートに書いていましたから、バックアップもない、まさに一点物です。


それ以前に、自分の繊細な内的世界の発露です。自己の根元まで続く一筋の道が、崩れてしまうようなものでしょう。


唯一の救いは、兄が今でも創作を楽しんでくれていることです。どうして立ち上がることが出来たのでしょう。教えて欲しいです。


私は自分が書いたものを、存在ごと否定された経験はありません。それでもかつての兄と同じような心境にあるような気がします。


どうしてこんなにも書くことに絶望してしまっているのでしょう。


かつての私は、書くことに何の希望を見出だしていたのでしょう。


どうして書きたいと思っているのか、すなわち意欲の出所はどこなのか、そこに答えがあるのかもしれません。私はまた一層深く、思考の海を潜っていきました。

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うわごと、なぎこと、えそらごと 凪沙帳 @tobari00

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