うわごと、なぎこと、えそらごと

凪沙帳

第1話 旅の始まり

マットレスに投げ出した体は、どこまでも沈んでいきます。さっき引っ掛けたビールのせいかもしれません。気泡が頬に当たるような気がします。溺れているのでしょうか。息は苦しいのに、不思議と気持ちは凪いでいます。これは正確ではないかもしれません。

例えば沸騰したスープ。混ざりきった諸々の感情が水面で爆ぜるように。


これもどうなのでしょう。煮沸に例えられるような激しさがあるのでしょうか。もっとにこごった、沈殿する澱のようなものかもしれません。

絶望しているのでしょうか。何に? 私には何も分かりません。


今日は休日の最終日で、昨日は会いたい人にドタキャンされて、明日は深夜までの残業が確定しています。でもそんなことは大した問題ではありません。いつものことです。生きていく上で何度となく乗り越えてきた、ちょっとした障害に過ぎないのです。

もっと根本的な、根元的な、例えば自意識に関わるような所に、問題の根っこがあるように思われます。


恥ずかしながら私は小説を書くことを趣味としています。何が恥ずかしいのか? これははっきりしています。私にとって小説を書くことは自分をさらけ出すことだからです。内面を覗かれるということは、自分の器の小ささを見透かされるということですから。

でも私は書くのです。書くことでしか、誰かに褒められたり、認められたりすることが出来ないからです。だから趣味と言うよりは、ライフワークに緊密に組み込まれたものと言った方が正確なのでしょう。


自分をさらけ出すことと言いましたが、これには幾分かの虚飾が含まれます。

私は憧れや理想の中に、自分ではない誰かの現実を詰め込みます。趣味嗜好の発露でこそあれ、自己を吐露する行為かと問われればそう言いきれないところもあります。

だから自分自身に切り込む必要があることを私は感じています。


切り込むということは、血が流れるということです。痛くて苦しくても、もう二度と書くことがなくなってしまわないように、私は自分の中の執筆する意味というものを明確に定義しなければならないと思います。


深く、静かな絶望の中にいて、活路を見出だすなら、自己を表現する言葉しかないだろう。悶々とした日々の中で私が見つけた結論はそれでした。


まどろんでいる意識の中で、それでもはっきりと、これから長い思索の旅路を行くことを私は理解していました。


これは、私がうなされる過去へのうわごと、死にたい現実への泣き言、遥か理想への絵空事。

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