スプリガン④

 やがて彼は、わたしの背丈の二倍ほどの高さと、わたしの身幅の四倍ほどの大きさまで膨れあがりました。彼が手に持つ木の棒は、もはやツマヨウジのようです。

 腰が抜けてしまって後ろにへたり込んだわたしからすると、この状況、まさに絶望です。彼が気まぐれに一歩踏み出せば、きっとわたしは彼のプニョンとしたお尻のしたでペシャンコになるのでしょう。

 せめてあの柔らかな質感が、気持ちの良い触感であることをただ願うばかりです。


 ああ、短い人生でした。


 そうして頭を抱え込んでうつむいてから、どれくらいか経った頃でしょうか。


 ツン ツン


 突然、頭をつつかれました。

 ちょっと痛いです。

 多分あの木の棒なのでしょう。

 だけど怖くて顔をあげられません。


 ツン ツン


 するとまたつつかれました。

 これはもしかして、遊ばれているのでしょうか……

 やがて、いっこうに潰される気配のないことに気付いたわたしは、涙目になりながら、ゆっくりと彼を見上げました。


「ひっ」


 やっぱりまだ大きいままで、つい変な声が出ちゃいました。同時に、地面に落としたままだっただいじな本を慌てて抱えました。


「そのっ、わたし、あなたの敵ではないですから、そのっ……」


 精一杯、声を振り絞りました。

 言葉が言葉になりません。


 するとスプリガンさんは視線をわたしに向けたまま、その柔らかな体を横にかたむけます。その態勢のままとどまって、しばらくすると今度は逆側に傾きます。


 わたしを観察しているのでしょうか。

 目の前には大きな口もあります。

 ひとくちで食べられちゃいます。

 心臓の鼓動が鳴り止みません。


「あ、あなたたちの家を壊したりそういうのっ、しませんからっ……!」


 ほかの精霊さんたちと同じように、すこしでも言葉が通じてくれることを祈りながら、だめもとで命乞いを重ねます。


 それからまた、しばらくわたしを観察する大きなスプリガンさん。

 すると突然、シャアアアと低く鳴いて、その大きな体をぶるぶると震わせはじめました。


 キャア キャア ワア ワア────


 大きなスプリガンから無数の小さなスプリガンたちがピョンピョンと放り出されて、あたりに降り注ぎます。そして可愛らしい鳴き声とともに地面にペシャンと落ちると、わらわらと遺物の穴に勢いよく駆け込んでいきました。

 それぞれはとても小さなコですが、とんでもない数です。


 いましがた家ほどの大きさもあったスプリガンさんの姿はみるみるうちに元のサイズに──いえ、それよりももっと小さなスプリガンさんへと姿を変えていました。


 やがてすべてのスプリガンさんが穴に戻り、落ち着きを取り戻しました。


 わたしは大きく深呼吸をして、心の底から安堵しました。言葉が通じてくれたのか、怯えるだけのわたしを危険性なしと見てくれたのか、どちらかは分かりません。

 いまはとにかく、この安心感と脱力感に、地面に倒れ込むばかりです。


 事態が落ち着いたのを見計らってか、お姉さんたちが心配そうに駆け寄ってきてくれました。


「だ、大丈夫ですか? 相談所の先生、ほら、立てますか?」


 手を差し伸べてくれるお姉さん。

 わたしはその手をつかんで、ゆっくりと立ち上がる。


「あはは……ありがとうございます。もう、腰が抜けてしまって。みなさんはお怪我はありませんか?」


 するとまわりのおじさん達が元気な様子で答えました。


「おうよ、俺たちは真っ先に隠れてたからな、なんともねえや!」

「ぼっちさんが潰されるんじゃないかとヒヤヒヤしながら見守ってたよ! いやあ、よかった!」


 そこは助けにきてくれると嬉しかったのですけれど……という言葉は深く深く呑み込んで、


「みなさんに怪我がなくてなによりです。ふふ」


 とびきりの営業スマイルを、わたしは投げかけてやるのでした。

 集落の方々との良い関係を築きあげるのも、わたしのお仕事です。

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