第4話

「花瓶と……フォールスメモリ?」


 先輩が出ていった後、必死に二つのキーワードの意味を考えた。


 花瓶とは、つまり青木が割った物で、フォールスメモリは、つまり偽りの記憶。


「……花瓶が偽りの記憶?」


「どうしました?」


「いや、何でもない」


 何か閃きそうな気がするも、青木に変な心配をかけるのは良くないと止めた。


「変な頼み事してすいません。小野君もあの先輩もきっと迷惑ですよね」


「そんなことないって、気軽に相談してくれって俺らが募集出してるんだし、それよりそろそろ敬語止めようぜ、同じ一年だろ」


「う、うん。そうだね」


 青木はようやく笑顔を見せた。

 先輩程ではないにしても、普通にしてれば俺も人並みにコミュニケーションを取れる。


 先輩が心理学なら、俺は下町風情でかかるのみだ。


「ところで、青木は何の忘れ物をしたんだ?」


「筆箱、うっかり置いてきちゃったんだ」


「筆箱か、そういえば俺も先週取りに戻ったよ。だるいな~とか思ってたらさ、グラウンドから野球部の気合いの入った声が聞こえて、練習風景見てたら何だか楽しそうでさ、その後バッティングセンター行って打ってきたんだ」


 ボールが中々当たらなくて、興醒めしたのは秘密だ。


「へぇーそうなんだ。あ、そういえば昨日もいたよ、野球部。練習は見なかったけど、掛け声を聞いた」


 話しがどんどん乗ってきた。


「僕は帰宅部だから、学校終わったらすぐ帰るし、他の部活がなにやってるのか昨日まで全然知らなかったな……はあ」


 突然青木が溜め息を吐いた。


「僕はなにやってるんだろう。花瓶を割っただけでこんなに慌てて、ただ謝れば良いことなのに」


 突然雰囲気が暗くなった。また青木の表情が沈み出している。


 昨日を思い出させたのが悪かったのかも知れない、ならばと俺は話題の方向を変えるためにあえてキーワードを投げてみた。


「ちなみに、花瓶ってどんな形?」


「透明な長方形の花瓶だよ、いつも教室の後ろ側の戸の近くに置いてあったんだ。でも、僕が割ったから今日は無かったけどね」


 後半はやや自重気味であった。


 何か言葉を掛けてやりたかったが、上手い言葉が思い付かなかった。


 俺はバカだ。花瓶の形じゃなくて、もっと別の所を聞けば良かった。


 沈む青木に逆らうよう、俺は椅子に背を預けて天井を仰いだ。


 なんでこういう時にあの先輩はいないのだろうか……。


「……花瓶」


 ――ヒントは、花瓶とフォールスメモリだよ。


 瞼の裏で何かの光線が過った。


 そう、花瓶だ。ヒントに花瓶がある。あの先輩は何か分かって花瓶というヒントを残していった。


 もしかしたら――。



「花瓶を割ったんだよな、割った後どうなってたんだ?」


「え? ご、ごめん。割った直後はパニックで、教室に戻った時は花瓶の破片も花も無かったよ」


 突然の質問にきょとんとする青木だが、すぐさま答えてくれた。


 答えてくれるなら、もう少し花瓶について掘り下げたい。


「どんな花が花瓶に差してあったか、思い出せるか?」


「え? いや、花があったことしか」


 花瓶に注目してみると、どこかおかしい。


 割ったことに気を取られていたが、いざ注目してみると情報があまりにも無いのだ。

 今まで花瓶をきにしなかったのは話を通じて理解した。

 花瓶があるのが当たり前、だったのだ。


 鞄置きの棚は授業の場合そちらに背を向けるから印象的には強くない。だからなんとなく覚えているんだ。


 天気予報などで日本の地形を目にする機会は多くても、それをいざ思い出しながら描くと全然違うものになるのと同じように。


 じゃあ、しっかり見ているのは誰か? それは――。


「なあ、授業が始まる前に、担任や先生は何か聞かなかったのか?」


「え? そういえば、なにも聞かなかったね」


 突然の話題変更になんとか付いてきてくれる青木に感謝しつつ、気になる点を突っ込み続ける。


「話しだと、ガラスの割れる音がした後、うちの担任が一年二組の教室にいたんだろ。音がしたところに必ず向かったはずだ」


 すれ違いで青木が教室を出て、鬼教師が教室に入った。


 その時に割れた花瓶を目撃できるだろう。そしてそれを一組の教師に伝えれば良いだけ。


 何故聞かれなかったのか、事故と考えた? いや、事故だとしても花瓶が落ちた頃には青木はまだ教室のすぐ側、人影くらいは目撃したかもしれない。


 じゃあ、人影を目撃したとして追いかけなかった理由は?


 後日問い詰めるため? あの鬼教師がそんな生易しいことするはずない。人影を見たとして誰か分からないんだ、きっと追いかける。


 靴を履き替える辺りで追い付けるぐらいにはあの鬼の足は早い。


 じゃあ、そうしなかった理由……そういえば。


「なあ、教室に、花瓶以外で割れやすそうな物ってあるか、ガラスでさ」


「すぐ思い付ける物はないけど、割れやすいって言ったら、窓かな」


 窓ガラス、それが割れていたから追いかけなかった。あり得る。だけど、一年の教室は三階にある、それを鞄が当たった程度で壊せるだろうか。


 いや――いた。


「野球部だ!」


「え? なに?」


「確か昨日、野球部の掛け声を聞いたんだろ、なら、ボールを打ったときのカキーンって音も聞いたか?」


「う、うん。聞いたよ。でもそれがどうしたの?」


 全てが繋がっていく感覚がする。この話しを聞く限り、青木は花瓶を割るまで無関心だった、割った花瓶も見ていない。ならば最後に聞くことは――。


「なあ、青木。最後に大切な質問をさせてくれ。教室を出るときさ、花瓶を見たか?」


「え? 花瓶……あったよ、いつもあるし」


「昨日教室から出るときだ、思い出してほしい」


 この質問の答えはすごく大事だ。罪の意識と質問責めとで疲れたのか、憂いの色を見せる青木。


 でも、これだけははっきりと答えてほしい。


 迷子のように視線を泳がせる青木はとうとう、答えた。


「ごめん、覚えてない。いつもあるからあるとは思うけど、いざあったか思い出してみても、分からない」


「大丈夫。それを聞いて確信したんだ。お前は花瓶を割ってない」


「……え?」


 困惑半分、驚き半分という顔の青木に、俺は一つあらすじを語り始める。


 教室を出た後にガラスの割れる音がして、その後鬼教師の大声が廊下に響いてびっくりしたお前は教室を後にした。


 あのおっさん、四十代後半なのに目は良いからきっとお前を見かけたはずだ。追いかける途中で音のした教室を見たんだ。そこで追いかけるのを止めた。窓ガラスが割れてたからだ。

 まあ、それだけならまだ追いかけたかも知れないけど、たまたま戸の覗き窓から野球のボールが目に入ったら、もう追いかけないだろう。だって、窓を割った犯人は分かってるんだから。


「どうだ! これなら教師が追いかけなかったのも、質問しなかった理由にもなるだろ」


 自分でいうのもなんだが、我ながら名推理だと思う。

 青木もなるほどと感心してる。してた……。


「あれ? どうした」


「小野君の推理、すごかったよ。驚いた。けどね、まだ問題はあるんだ」


 問題? 他に残ってる問題なんて……。あ、



「床が濡れてたんだっけ」


 こくり、と頷く青木。


 物音の正体として窓ガラスが割れる音を出したが、結局それも予想。割れる前に花瓶があったかという問題に対して、その場しのぎの回答を提示しただけで、教室に戻った後花瓶が無くなっていたことには無意味な妄想だった。


 何の閃きも起こらない。諦めようとした時。透き通る上から目線な声が響いた。


「小野 翔真君。筋が通った面白い推理だったよ、おめでとう」


 突然の出現に頭がついてこない、それは青木も同じらしく、目をぱちくりとしている。


「花瓶とフォールスメモリというヒントだけでよく頑張ったな。

 そう、花瓶がそもそも割れたかどうか青木君は最終的に確認していない。そして誰も花瓶について問わないが、教室から消えていて、記憶しか頼れるものがなかったという孤独の状況。そんな苦しい思いした青木君のために答えを持ってきた」


 キュ、キュ、と先輩の上履きが小気味良く鳴る。ホワイトボードの前に立った先輩は、ペンのキャップを開け、踊るように解答を書き出した。


 教室を出た青木君の後に、窓ガラスが割れ、それに驚いた青木君はすぐさまその場を退場した。その後一年二組の教師が音の正体を確認するために一組の教室に入った。

 とても驚いたらしいぞ、何せ強化ガラスが粉々になっていたらしいからな、恐らく今までのダメージで傷ついていて、野球のボールが止めになったのだろう。


 破片を片付けるため掃除用具をだそうとした時、新しい花を差した花瓶を持った一組の教師が現れたんだ。鬼教師と恐れられるだけあって一組の教師も驚いて花瓶を落としたらしい、振り向いた時の鬼教師の顔は、まさに般若のようだったと言っていたぞ。


 新しい破片も片付け、窓ガラスのスペアを取りにいった教師二人は教室を後にして、そこに君がすれ違うように現れたというのが答えなのさ。



 ●○●○●○



 後日談というには早すぎるかも知れない。

 先日、先輩の話しを聞いた青木は担任へ直接話しを聞きに行ったそうだ。新しい花瓶に何の花を差すか今日担任と決めるらしい。


 結局、フォールスメモリというヒントに関してはほとんど活用出来なかったけれど、学友を救えて良かったと心から思った。


「コラ、フォールスメモリの復習だ。花瓶ばかり気にするから半端な推理になってしまうんだ」


「ちゃんとフォールスメモリについても考えましたよ、記憶に嘘がないか一生懸命に聞きましたし」


「聞いた? あんな質問責めのどこが一生懸命聞いたことになるんだ」


「……ちなみに先輩、いつ頃戻ってきたんですか?」


「バッティングセンターに行ったとかだったか」


 結構前からじゃねえか! あの後ずっと盗み聞いてたのかよ!


「ところで、先輩はいつ頃分かったんですか、青木が花瓶を割ってないってことに」


「ガラスが割れるような音がした、というのを聞いた時だ。すぐ分かったよ」


「なんで?」


「その時私を心配して抱き抱えてくれたじゃないか」


 よく分からない、話しの内容的に昨日のことらしいが、というか何故照れてるんだろう。

 俺の表情から何かを察したらしい先輩は、少しだけ真面目な口調になった。


「あの時、ガラスの割れる音がしたんだ」


「そうだったんですか、ていうか、それなら教えてくれても良かったじゃないですか、先輩って意外とケチですね」


 俺の態度が気に食わなかったのか、「嘘の記憶が出来る要因としては……」と話しを勝手に進める。


「思い出す際に妄想が混じってしまうのが原因だ。花瓶を割ったと思い込んでいた彼みたいにな」


 結局青木は花瓶を割っていなかった。たまたま花瓶がある位置と、ガラスの割れる音などの偶然が一致してしまい、花瓶を割ったという妄想が一人歩きしたのだ。


「妄想ってことは、問題が解決しないまま時間が経ったらより酷くなってたんですよね」


「ああ、もしかしたら自殺まで追い込んでしまう原因にまで昇華したかもしれないな」


 人はあらすじを立てて、つじつまを合わせようとする生き物だ。今回の青木だと、床が濡れていたことから花瓶を割ったと確信してしまったぐらいだ。


 そう考えると、記憶とは案外脆いものだなと思った。


「完璧に記憶するなんて無理なんですね、仮に出来ても、どこかで自分の妄想や想像が入って、真実味が薄れていくんですね」


「ああ、そうならないためにも、私のありがたい講義を毎日聞くことだ」


「げっ、そう来ましたか……」


 サークルに無理やり入れられた身としては、心理学に興味なんてなかった。けど、こうして人の内面を覗いて、色々な可能性を探していけるのは、結局先輩のおかげだ。


 小柄で黙っていれば美人の先輩は、今日も大きな態度で俺に心理学を叩き込む。


「さて、講義の時間だ」

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記憶の嘘。 無頼 チャイ @186412274710

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