第2話

「さて、フォールスメモリについて説明しよう!」


 存在しない眼鏡をくいっと上げて、ホワイトボードに書かれた文字をペンで指し示す先輩。


「フォールスメモリとは、偽りの記憶といって、つまり存在しないことをあたかも存在したように記憶してしまうことさ」


 くるり、と先輩の手の中にあるペンが回る。


「例えば、君が人を刺したという嘘の記憶を吹き込むとしよう。可憐で美しい先輩をナイフで刺したかい、と私が質問する」


「いいえ、刺してません。って答えます」


「ああ、そうだな。ところで、私が血糊の代わりに使った材料は覚えているかい?」


「え? えーと……」


 確か甘いって言ってたような。甘いし赤いからジャムだよな。そういえば、よくみるとイチゴの粒みたいなのがあったような。


「多分、イチゴジャムです」


「ふむ、その根拠は?」


「赤いし甘いって言っていたからです。ついでにイチゴの粒も混ざってました」


 にやり、と先輩が不適に笑う。どうやら思った通りになったらしい。


 やれやれという感じに鞄を手に取り中に手を突っ込む先輩。出されたのは、赤い液体が詰まった小さなビン。

 それを合図なしにこちらへ投げた。


「っと、風野先輩、せめて声かけて下さい」


 いいから早く見ろ、という視線を送る先輩。

 仕方なくビンの蓋を開け中身を確認する。

 艶のある赤い液体に満たされていた。


「……あれ?」


「どうしたのかな、小野 翔真君」


「イチゴの粒がありません」


 よく観察してみるが、赤い液体にはイチゴの粒らしきものは見当たらなかった。


 これだよ、と先輩がペンでホワイトボードに書かれた単語を強調するように二度叩く。


 フォールスメモリ、偽りの記憶。


「つまり、君は今、その血糊にはイチゴの粒が入っていたという偽の記憶を私によって植え付けられたのさ」


 いたずらに成功した子供のような笑顔を浮かべる先輩は、どうだ分かったかと言わんばかりの視線を送った。


 少しばかりとはいえ、先輩の手の中で踊らされたことに腹が立ち、逃れるように視線を泳がせる。けれど、手の中の赤い液体で目が止まり、記憶力のなさを痛感せずにはいられなかった。


 大体、俺が人を刺した記憶を植え付けるじゃなかったのかよ。


 先輩のどや顔に耐えきれなくなった俺は、自販機でジュースを買いに行こうと席を立ち上がる。


 コンコン、部室の扉が鳴るのもそのタイミングだった。


「ん? 翔真君、人と会う約束でもしていたかい?」


 首を横に振った。先生ならばノックの後に入るか名乗るかのどちらかだ。

 そっと扉の前に立つと、誰かは今も扉の前にいることが分かった。


「どうぞ、鍵はかかってないよ」


 軋む音がなり終えると、か細い声の主が顔を覗かせた。


「あの……相談受けてもらっても良いですか?」


 困り顔をした眼鏡の男子生徒だった。

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