第2話 ギャンブラー異世界に降り立つ。

「やあ目覚めたかい?」


 神束は跳ね起き、当たりを見回す。木で出来た壁と石造りの暖炉。そして目の前の見慣れぬ顔を見て疑問を浮かべる。


「ここは何処で、お前は誰だ?」


「ここかい? ここはエルドラングルの南区にある僕の家だよ。僕はエラン。君の名前は?」


「俺は神束幽って名前だが、エルドラングル? 聞いた事も無い町だな」


「カミタバユウ? 面白い名前だね。それに大陸で二番目に大きな町の名前を知らないなんて、君どんな田舎から来たんだい?」


「大陸? そうだ、それより傷はどうなった」


 神束は着ていたシャツを胸まで捲り、撃たれた場所を見る。しかし、そこには傷は疎か、後すら残っていなかった。


「傷? 君は確かに外れの森で倒れてはいたけれど、傷なんてどこにも負っていなかったよ」


「そんな馬鹿な!」


 何度も自身の体を触り確かめるが、やはり傷は何処にも無い。目の前の男が嘘をついているようにも見えず、神束は混乱に包まれる。

 負っていたはずの傷の消失。見た事も無い場所と聞いた事の無い土地名。まるで夢でも見ているようだが、これは確かに現実である。


「混乱しているようだけど大丈夫かな? 貧乏だからあまり持てなしは出来ないけど落ち着くまではこの家にいても大丈夫だから。それじゃあ、僕はちょっと外に出て来るから寛いでて」


 エランは言い残しその部屋から出て行ったのであった。

 残された神束はベッドから起き上がり、すぐ隣にあった窓を隠すカーテンを開けた。日はまだ頂点に近く町を照らしているが、その町は見慣れない。まるでSF映画にでも出てきそうな大小様々な建物が密集した立体感のある町であり、ごちゃついた感じが見て取れた。窓を開け、町の様子を覗き見る。高低差の激しい町のようであり、少し離れた場所には大きな塔のような物が立っているのが見える。

 そして少しずつはっきりして来た頭で神束は思う。何故エランと言う男は日本語を話せていたのだろうかと。

 ここは明らかに異質な世界であり、日本ではない。しかし、エランは確実に日本語を話していたのであった。

 死んだ筈の自分が全く別の聞いた事も無い場所で無傷で目覚めたという事。明らかに自分の生きていた世界とは異なる文明の町。そして日本語を話すエランと言う名の住民。情報が少な過ぎるため何もかもが分からない。

 唯一日本語で意思の疎通が出来る事が救いであった。


「まず現状を把握しなければいけないな」


 神束は呟くとその部屋を後にし、玄関から外に出た。大きく息を吸うと、僅かに排気ガスのような臭いが鼻につく。遠くの方から聞こえる甲高い音から察するに、おそらく鍛冶屋か何かがあるのだろう。目の前の道は細く、入り組んだ路地に向かっている。また、坂道や階段も多く、高低差が相俟って尚更に道が分かりづらい。


「迷わないように気を張っておかないとな」


 神束は路地に向かって歩き出す。

 右へ左へ、上へ下へ。道を確認しながら神束は町の中心と思わしき巨大な塔に向かって歩き続けた。

 町を歩くと神束には幾つか見えてくる物があった。

 この町は自らのいた場所とは文明が違う。携帯電話のような物は無く、大きな道もほとんど無い。そのため車も走っておらず、しかし、塔の方からは汽車の物と思われる汽笛が聞こえて来ていた。神束がいた場所ならば戦後、日本の高度経済成長期の少し前あたりの時代のような文明である。だが、雰囲気だけで言えば近未来のようだ。神束が創作物などでよくみる近未来。密集した建物と入り組んだ道。それにネオンの光る酒場は男心をくすぐるようであった。

 しばらくして、神束の目の前が開けた。そこは巨大な塔を中心とした円形の市場であり、出店と思われる小さな店が幾つも並んでいる。周りには大きな道が一つも無いため、広場はまるで鳥籠のように宿屋や家に囲われていた。家と家の間、細い道は人が現れては消えて行く別世界への入り口のように見える。

 市場を見回した神束は、一つの店に向かって歩き出す。

 向かった先は様々な本や雑誌が並ぶ店であった。


「すみませーん」


 店の奥で本を整理する一人の女性は神束の声に反応し店先まで出て来た。


「どうしました?」


 二十歳ほどに見える女性は長く伸びた茶色い髪を後ろで一つに縛っており、くるぶしまで伸びる薄緑のスカートと黒のぴっちりとした上衣の上から紺のエプロンを着ている。


「あの、地図ってありますか?」


「ありますよ。ちょっと待ってて下さいね」


 女性はそう言い奥の方へ再び入っていたが、神束はとある事に気がついた。

 白いシャツに紺のズボンを履いている神束のポケットには黒の折りたたみ財布が入っており、中には7万ほどの札と幾つかのカードがあるが、この金ははたして使えるのだろうか。

 明らかに国が違い、文化が違うのだからか使えないと考えて行動すべきであったと神束は思う。しかし、時既に遅く、女性は厚さ五センチほどの雑誌のような本を持ってこちらに向かってきていた。


「こちらが大陸や首都エルドラングルなど全ての地形が入った地図になります」


「中を見せてもらっても大丈夫ですか?」


 本来、商品をただで見せてもらうという事を神束はあまり好きではない。地図は情報であり、情報は金となる。ただで見せてもらえるというのは言わば、相手の善意によって助けてもらうという事だ。しかし、神束が生きていた世界に善意を持った人間などおらず、必ずどこかで自分が損をしてしまう事となった。そのため神束はただで何かをしてもらうという事を嫌うのだ。

 もしかすると顔を覚えられるかもしれない。

 もしかすると後ろを歩いていた人が自分が一文無しだと知ってしまうかもしれない。

 もしかすると店員に嫌われ、今後この市場で買い物がし難くなるかもしれない。

 あらゆる可能性を考え、リスクを限りなく少なくするのが賭博師の基本であり、全てである。神束が穴熊に撃たれたときも、穴熊が賭け事の世界に長く身を置き、冷静な判断が出来る人間であると神束が判断してしまったために起こった事実であり、もしかすると穴熊は歴にあった強い精神力と冷静さを、自らが負ける事で失ってしまうかもしれないと備えておけば神束が撃たれる事は無かったかもしれないのである。

 正解は誰にも分からないからこそ備える必要があり、あらゆる事態を想定し、対処しなければ行けないのだ。


「見ていただいて大丈夫ですよ」


 女性店員のその言葉を聞き、神束は一瞬周囲に気を向ける。

 それは誰かが自らの行動を気にしていないか、見てはいないか、を確かめる行為であり、起こしてしまったミスに対する補塡であった。

 誰も自分を気にしていない事を確認した神束は、胸を撫で下ろし店員に渡された本のページを捲る。そこに載っていたのは周りを海に囲まれた大陸であった。大陸の南側にはエルドラングルと名を書かれた町があり、大きさは大陸の十分の一くらいであろうか。他にもエルドラングルより少し小さい町が北に2つ、エルドラングルの三分の一ほどの大きさの町が東に3つあるのが分かる。

 神束はさらにページを捲る。次のページにあったのはエルドラングルの詳細地図であった。神束の今いる塔の広場はどうやら町の真ん中にあるようで、地図上ではそこだけがぽっかり空いた穴のようになっていた。広場の少し上、町の北に当たる位置には大きな建物があり、塔から伸びる線路のようなものがそこを通って町の各地に伸びている。


「この大きな建物はなんなんですか?」


 神束は町の北にある建物を指差し店員を見た。


「それは協会ですよ」


「協会?」


「そう協会です。もしかしてこの町は初めてですか? 簡単に説明すると、この町は元々商人の町だったのですが、規模が大きくなりすぎたため商人達が護衛を雇ったんです。そうして発展して出来たのがこのエルグランドであり、協会はその護衛を担当したマジナリティという名の戦闘集団の拠点なんです」


「拠点には今もそのマジナリティが?」


「はい。今もこの町の治安を守ると同時に、町の外へ行く商人の護衛や、門の検問を行っています」


「なるほど」と、頷き神束は再び地図に目を落とす。パラパラとページを捲り、出来る限り地図の内容を暗記した。


「この地図はいくらですか?」


「そちらは銅硬貨三枚です」


 やはり、通貨は違うかと神束は思う。言語の事もあり一縷の望みは持っていたが、そこまでこの世界は優しく無いらしい。


「すみません、今ちょっと手持ちが無くて、また後で買いに来ますね」


「そうですか。またお待ちしていますね!」


 にこやかに微笑む店員に地図を渡した神束は、軽く頭を下げ店を後にした。


「さてどうするか」


 市場の端で神束は壁にもたれ掛かって考える。このまま塔や協会を見に行きたい気持ちもあるが、詳しい道も知らず、一文無しで歩き回るというのはリスキーな行動であった。今後の為にも町の施設を知っておくのは重要だ。しかし、リスクリターンを考えれば、あまり軽率な行動は取れない。


「一度戻ってエランに話を聞くか」


 思い至り神束は帰路に着く。来た道を確かめながら迷う事無く戻った神束はエランの家の前で異変に気付く。家の中からは怒号が聞こえ、妙な威圧感が漏れ出て来ている。神束は窓からそっと中を覗いた。すると中では大柄な男三人がエランに詰め寄っていたのであった。

「なるほど」と、呟き神束は悟る。

 それは彼がよく見た光景であり、トラブルの現場だ。そしてそのトラブルの原因はおそらく金である。大柄な男達の纏っている金の匂いを神束は感じ取ったのであった。常に裏社会の第一線で賭博師をしていた彼だからこそ持っている嗅覚。そして今、その金の匂いは神束の求めている物であった。


「エランどうしたんだい。何か問題でもあったのかい?」


 神束はドアを開け陽気な声でそう言いながら家の中に入る。


「カミタバ。彼だよ彼が僕が言ってた人だ」


 エランの顔は神束を見た瞬間安堵に包まれた。それを見て神束は首を傾げながらエランに近づく。


「ちょっと待て。お前はこいつの何だ?」


 大柄な男は神束とエランの間に入り、神束を睨む。190センチほどありそうな筋肉質の大男の威圧感は凄いが神束は動じない。


「何って、彼は僕の命の恩人ですよ。感謝してもしきれない恩人です」


 大男越しにエランを見た神束はそう言った。


「なるほどエランが言っていた話は本当みたいだな」


「話ってなんですか?」


 大男の言葉に神束は眉をひそめる。


「なに簡単な話さ。エランは俺たちから借金をしていてな。その金をお前が一緒に返してくれるんだとよ。なんでも命の恩人だから引き受けてくれるとか。俺は金が帰って来るならどっちでも良いんだけどな。それでお前はエランを手伝うのかどうなんだ?」


「借金ですか? いくらくらいなんでしょうか?」


「金硬貨1000枚だ。お前ら一般市民が一生働いても返せないような額では無いから安心しろ。10年くらい俺の紹介する場所で働けば終わりだ」


「エランはなぜそんな借金を……」


「ギャンブルだよ。馬鹿が楽して金を稼ごうとした結果だ」


「ギャンブルとはどんな物ですか?」


「それはギャンブル自体を指してんのか。それともギャンブルの中身か?」


「中身です。ギャンブルで金硬貨1000枚負けたんでしたらギャンブルで金硬貨1000枚取り返す事も出来ますよね」


「出来るが……それはお前がギャンブルをやるって言ってんのか?」


「無理でしょうか」


「無理じゃねえがお前元手は持ってんのか?」


「元手は無いんですが、借りる事は出来ませんか?」


「……本気で言ってんのかお前」


「はい、本気です」


「負けたら一生奴隷だぞ」


「仕方ありません。恩人の借金を返す為ですもの」


 大男は頭を捻り、後ろにいた二人の男に耳打ちする。


「いいだろう。場所と金を用意してやる。ルールはそうだな……オープンベットでどうだろうか。また詳しい事が決まり次第連絡をするから準備しておけ。それじゃあな、この男に感謝しろよエラン」


 大男がいなくなった部屋で、エランは膝をついて深呼吸していた。


「カミタバ。本当にすまない話を合わせてくれて感謝しているが、どうしてあんな事を」


 エランは覗き込むようにして神束の顔を見る。


「俺もエランには感謝してるよ。こんなタイミングでこんな都合のいい話を持って来てくれたんだからな。だからお礼として借金は俺がチャラにしておいてあげるよ。それで、オープンベットてのはどんなルール何だ?」


「借金をチャラって、そんなことを言う前に逃げないと。オープンベットが何か知らないで勝負に勝てるわけがないじゃないか」


 心配そうにエランは神束を見つめる。


「大丈夫だ。勝つから安心しておいていい。それにこれは俺の受けた勝負だから逃げることは有り得ない」


「……そこまで言うのなら君に任せるけど、有名なオープンベットすら知らないようだけどカミタバはギャンブルをやった事は?」


「あるのかないのか微妙な所だな。少なくともエランの言う有名なギャンブルはおそらくやった事は無い」


「なるほど、まあでも分かったよ。本当は止めたいところだけど元はと言えば僕が原因だから何も言う権利はないよね。よし、僕の知っている知識や技術は全部教えるよ」


「ああ頼む」


 そうして神束はこの世界のギャンブル界に降り立ったのであった。


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